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【一聞百見】ちゃっちゃとしなはれ! 朝ドラ「大久保さん」でロス現象 女優 三林京子さん

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関西を舞台にした芝居やドラマに欠かせない三林京子さん。女優、落語家など活動は多岐にわたり、さばさばした素顔も人々を魅了する=大阪市中央区の松竹座(恵守乾撮影)
関西を舞台にした芝居やドラマに欠かせない三林京子さん。女優、落語家など活動は多岐にわたり、さばさばした素顔も人々を魅了する=大阪市中央区の松竹座(恵守乾撮影)
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 「ちゃっちゃとしなはれ!」。昨秋、テレビから流れてきた、てきぱきとした大阪弁に懐かしさを感じた人は多かったはず。NHK連続テレビ小説「スカーレット」の大久保さんといえば、この人。出番が終わったときは「大久保さんロス」が起こるほど、ヒロインを厳しく温かく鍛える女中役がぴたりとはまった。関西を舞台にしたドラマや演劇に欠かせないベテラン女優として活躍。だが、その素顔は女優にとどまらず、落語家、教育者などマルチにわたる。「生涯、働き続けていたい」と話す三林京子さんのエネルギーの源は-。(聞き手 亀岡典子 編集委員)

■厳しさは愛情あればこそ

 「あ、大久保さんや」。客席がざわめいた。昨年10月の京都・南座。藤山直美さん主演の舞台「喜劇?道頓堀ものがたり」で、道頓堀の芝居茶屋の女将(おかみ)にふんした三林さんが登場すると、場内がざわざわ。NHK連続テレビ小説「スカーレット」での元「荒木荘」の女中、大久保のぶ子役で見せた存在感の大きさに改めて驚かされた。

 「うれしいですね」。親しみやすい笑顔に周囲がパッと明るくなった。大久保さんは、ヒロイン、喜美子が滋賀から大阪の下宿に女中奉公に出てきたときの先輩。喜美子に食事や掃除、裁縫などの家事一切をてきぱきとした大阪弁で厳しくたたき込み、お茶の間の熱い支持を得た。厳しさのなかに温かさがあり、生活感のある大阪弁も人気を呼んだ。自身も、大阪芸術大学の教授時代、学生にびしびし厳しく教えたという。

 「いまの時代、先輩や大人に大声で怒られるなんてこと、あまりないでしょ。パワハラって言われますからね。そやけど、この子は見どころがあると思うからこそ厳しく鍛える。大久保さんも私も愛情なんですよ」

 上方のにおいを感じさせる女優として、関西を舞台にしたドラマや舞台に欠かせない。現在は、道頓堀の松竹座で上演中の舞台「喜劇?なにわ夫婦八景(めおとばっけい)?米朝・絹子とおもろい弟子たち」に出演。上方落語の人間国宝だった桂米朝さんと絹子夫人の波瀾万丈(はらんばんじょう)の半生を描いた人情喜劇で、三林さんは、絹子さんの母、桑田末子役を演じ、おおいに客席をわかせている。「この方もなかなか厳しい方やったそうですよ」とニヤリ。大久保さんを彷彿(ほうふつ)させる役どころを実に楽しそうに演じている。

 「大阪のお芝居で大切なのは、やっぱり大阪弁ですね」という。「私は大阪で生まれ大阪で育ちました。そういうなかで、昔の大阪弁やさまざまな職業の人が使いはる大阪弁を大切にしたい。ときには台本の昔の大阪弁のセリフが不自然だと思ったら、ちょっと変えさせていただくこともあります」。それが三林さんの演じる人物にリアリティーを与えている。

 三林さんは実は伝統芸能の家の生まれ。父は文楽人形遣いの人間国宝だった二代目桐竹勘十郎さん。幼いころから古典に親しんで育ったことが、いまの豊かな芸を作ったのであろう。

■姉弟で父の背中追いかける

 「私が子供のころ、家は貧乏でした。でも夢と希望があった。そやから生き生きしていました」。三林さんの父、文楽人形遣いの二代目桐竹勘十郎さんはのちに人間国宝に上りつめるほどの名人。だが、三林さんが生まれたころ、文楽界は組合問題から因(ちなみ)会と三和(みつわ)会に分裂。勘十郎さんは後ろ盾のない三和会に属し、夜行列車を乗り継いで巡業するなど苦労を重ねた。

 「うちだけやない。文楽の人はみんな大変な時代やったんです。『勘十郎はんの家に行ったらなんかあるやろ』って、みんな、うちに食べに来ていました。当時、質屋さんがリヤカー引いて時々来られるんです。家中をみんなで探して、質草になるもんみんな持っていってもらって。現金が入るからその日だけはごちそう。私は子供で事情を知らなかったので、ただただ、うれしかったですねえ」

文楽人形遣いの父、二代目桐竹勘十郎さんの楽屋で。若き日の三林京子さん(本人提供)
文楽人形遣いの父、二代目桐竹勘十郎さんの楽屋で。若き日の三林京子さん(本人提供)
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 女性が人形遣いになれないのはわかっていたので、父の跡を継ぎたいという気持ちはなかった。だが利発で明るく美人、「小学校の成績はオール5」という優等生の娘を、「この子が男の子やったら」と父は惜しんだという。将来の道は中学時代に決まった。きっかけは、大阪・中座で行われた歌舞伎の若手による勉強会。雑用係で駆り出され、歌舞伎のおもしろさに心引かれた。「本当は裏方をやりたかったんですけど、当時は女性がほとんどいなかった。それなら女優かなと」。父に相談したところ、「弟子入りするんやったらかめへん」と言われ、父のツテで大女優、山田五十鈴(いすず)さんの付き人になった。

 「舞台女優になりたかったんです。映像は視聴者の反応がその場でわからない。でも舞台は直接わかる。それが魅力でした。いまはテレビのおもしろさもわかりますけど」。中学生の少女が夏休みや冬休みにたったひとりで上京、山田さんの事務所に泊まり込んで用事をこなす。

 三林さんには、いまも胸が切なくなる思い出がある。冬の夜、山田さんのお供で食事に行った。深夜、ようやくお開きになり事務所に帰ると、見慣れたシルエットの男性がいた。父親だった。「お母ちゃんからや、言うて、何やったか忘れましたけど渡してくれました。多分、たいしたもんやなかった。私が元気か心配で見に来てくれたんです。でも、こっちも照れくさかったのでぶっきらぼうな応対しかできなかった。いま思うと、寒いなか、いったい何時間待ってくれていたのかなあって」

華やかな美貌で、若いころから舞台に映像にと活躍(本人提供)
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 父と共演したのは一度きり。昭和54年12月、大阪新歌舞伎座で上演された「男の花道」。劇中劇「櫓(やぐら)のお七」で、三林さんを人形に見立て、父の勘十郎さんが三林さんを遣(つか)う演技をした。いま、弟の三代目勘十郎さんが父の跡を継ぎ、人形遣いの第一人者として、父の当たり役の数々を遣っている。「弟には、『もうちょっとこうしたら』とか、舞台を見て気になったら率直に言います。弟も私の舞台やテレビを見て言うてくれますしね」。ジャンルは違えど父の背を追うように舞台に人生をかける姉弟。それは厳しい芸の道である。

■頭の中に舞台、女優業に生きる

 女優、三林京子さんのもう一つの顔、それは落語家の「桂すずめ」。もちろん、高座にも上がる。師匠は上方落語の大御所で、人間国宝だった桂米朝さん。平成9年に入門、キャリアは20年以上になる。「私、あほやから、そこまで大変な道と思ってなかったんです」。もちろん、それは彼女なりの言い方で、芸の道を歩む者として落語の修業がどれほど厳しいか知らないはずがない。当初は、落語の話術や間の勉強をしようと、三林さんらしい誠実さで考えたのだ。

 きっかけは桂枝雀さんだった。ドラマや舞台で何度か共演するうち、「枝雀さんひとりやったらドカン、ドカンと笑いが来るのに、私と一緒やとそこまで受けないときもあって…」。そんなとき、京都・南座で、米朝一門の落語家が大挙出演する芝居「新・次郎長物語?海道一の男たち」に出演した。「落語家のみなさんは、ちゃんとお芝居できはるんですよ。そやのに私は落語がでけへん。腹立ちましてね。あの人ら両方できるのにって」

 そこで米朝さんに「落語をやりたいんです」と直談判。新人が最初に修業する「叩(たた)き(見台を叩きながら大声でけいこする)」から始めた。「米朝師匠は私に音(ね)を上げさせようとしたんでしょう。でも、こっちも必死で食らいついて長い噺を覚えました」。「桂すずめ」という芸名をもらう前、落語会でアンケートを取ったことも。「『もちはだ』とか、『もちつき』とかありましたわ」と明るく笑う。

 「もちろん私のは二足のわらじです。米朝師匠が女性の弟子は取らないとおっしゃっていたのに、許してくれたのは、『本業の足しになるやろ』ということだったんです。その通りで、落語の勉強をさせてもらったことは、女優や演出をするとき、ものすごく役に立ちました。頭のなかに舞台を作れるようになったんです。そこで登場人物を自由に動かすことができる。落語はひとりですべての人物を演じるからでしょうね」

弟の文楽人形遣い、桐竹勘十郎さんと一緒に(本人提供)
弟の文楽人形遣い、桐竹勘十郎さんと一緒に(本人提供)
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 米朝さんには、「高倉狐」「桃太郎」「七度狐」と小咄(こばなし)をいくつか稽古してもらった。「私が語り始めると苦虫をかみつぶしたような顔になってはりました。ただ女優ですので、『声は割と出る』と言うてくれはりました」。現在、三林さんは大阪・道頓堀の松竹座で上演中の芝居「喜劇?なにわ夫婦八景(めおとばっけい)?米朝・絹子とおもろい弟子たち」に絹子夫人の母親、末子役で出演している。米朝一門とはそれほど深い縁があるのだろう。

 今年、69歳になるが、創作意欲はまったく衰えていない。「大学で学生と一緒に舞台を作ったのがおもしろかったんです。これから、シナリオセンターに脚本の勉強に行って、芝居の脚本を書いたり演出したりしてみたいですね」。全身から前向きに生きるエネルギーがあふれている。超高齢社会の日本、こんなふうに生きていけば幸せかもと思わせてくれる人生の達人だ。「これからもできるだけ働いて人の世話をして、人の役に立って生きていきたい」。ほっこりと温かな笑顔を見せた。

                  ◇

【プロフィル】みつばやし・きょうこ 昭和26年7月17日、大阪市生まれ。父は文楽人形遣いの人間国宝だった二代目桐竹勘十郎さん。NHK大阪放送児童劇団、山田五十鈴さんの付き人修業を経て、45年、東京・芸術座「女坂」で初舞台。以降、舞台をはじめ、NHK大河ドラマ「元禄太平記」、NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」など幅広く活躍。平成9年、人間国宝だった桂米朝さんに入門、「桂すずめ」として落語家活動も行っている。大阪芸術大学短期大学部教授なども歴任。弟は文楽人形遣いの桐竹勘十郎さん。

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