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【古典の夢を見る】亀岡典子 天国と地獄 空虚の向こう 大原御幸 

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能「大原御幸」の一場面。京の大原にひっそりと暮らす建礼門院徳子のもとに後白河法皇が訪れる(京都観世会提供
能「大原御幸」の一場面。京の大原にひっそりと暮らす建礼門院徳子のもとに後白河法皇が訪れる(京都観世会提供

 冬枯れの京都・大原は、静謐で物寂しい気配が漂う。突然、冷たい風が頬を打つ。慌ててコートの襟をかき合わせた。京都市の中心部から北東にバスで約1時間。寂光院の閑静な門構えにたどり着く。

 平安末期、栄華を極めながら壇ノ浦で源氏に滅ばされた平家一門。逆巻く海に飛び込んでもなお生き残った建礼門院徳子は余生をここ、寂光院で送った。

 能「大原御幸」は、高倉天皇の后で安徳天皇の生母となった平清盛の娘、建礼門院が主人公。国母にまでなりながら、幼いわが子、安徳帝や一門とともに都を落ち、明日の運命すらわからないまま西海を船で漂い、絶望的な敗戦のなかでわが子を亡くすという地獄を見た女性である。しかも彼女は生き残った。海に飛び込んだものの源氏の武士に無残にも引き上げられたのである。

 「大原御幸」は、「平家物語」が原拠。作者は不詳だが、金春禅竹ともいわれている。23日、京都市左京区の京都観世会館で、人間国宝、梅若実によって上演される。

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 建礼門院は、亡くなった安徳帝や平家の人たちの回向をしながら寂光院でひっそりと暮らす日々。

 歌山里はものの淋しきことこそあれ、世の憂きよりはなかなかに

 「この山里は寂しいことも多いけれども、つらいことの多い世の中に比べれば、むしろましなのかもしれません」。それが彼女の率直な気持ちであろう。ところが、そんな平穏を乱すかのように、ある日、平家追討の命を下した張本人、後白河法皇が訪ねてくる。

 建礼門院の心は乱れたのではないだろうか。法皇の御幸をありがたく思いながらも、「お会いすることでまた、現世に執着するのではないだろうか。涙をお目にかけるのもつらいことである」というのである。

 それでもふたりは恩讐を越えて再会する。そして法皇は、建礼門院に、平家と安徳天皇の最期の様子を教えてほしいと言い、建礼門院は静かに語り始める。

 「大原御幸」には舞は一切ない。ほとんど、建礼門院と法皇の対話に終始する。建礼門院が話す平家の最期はあまりにも悲惨だが、今曲は、大原の詩情に満ちた風景そのままに静かな時間が流れるのみ。そこに、この曲の情趣があるように思えるのだ。

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 天国も地獄も見た女院の言葉は諦観にも似ている。だが、観世流宗家、観世清和は、「諦観というものでもない」と、「能を読む(3) 元雅と禅竹 夢と死とエロス」(監修・梅原猛、観世清和 角川学芸出版)のなかで語っている。

 彼女の心境は、「もう空しささえも通り越した境地にいる。(中略)ただ、ただ、時を刻んで時を過ごしてゆく。それだけ」なのだと。だからこそ、「彼女は過去に引き戻されたくないのです。ここの心理描写がとても難しい」と。

 建礼門院徳子という女性は、平家の栄枯盛衰を描いたドラマなどでは、自分の意志をあまり持たない、運命に流される女性として描かれることが多い。しかし、「大原御幸」で、花帽子を被り、気品高い女性の能面で登場する建礼門院は凜として美しい。

 ラストシーン。建礼門院は大原を去っていく法皇を見送り、再び庵室に入っていく。何も語らない。どんな思いが胸に去来したのだろう。夕暮れの大原を帰途につく。想像もできないほど壮絶な経験をしたひとりの女性がもらした吐息がふっと頬をなでたような気がした。

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