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【石仏は語る】美しい頭光背 叡福寺地蔵菩薩(大阪府太子町)

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叡福寺地蔵菩薩
叡福寺地蔵菩薩

 聖徳太子(厩戸皇子)の墓所と称される叡福寺北古墳(磯長墓=しながのはか)。その墓前に真言宗系寺院の叡福寺(えいふくじ)が所在します。推古天皇が建立し、聖武天皇が神亀元(724)年の勅願により、七堂伽藍(がらん)を整えたと伝承されています。この古墳には聖徳太子、母親の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)、妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのぼききみのいらつめ)が埋葬され、「三骨一廟」と称されて、御廟には鎌倉時代に造立された結界板碑が建てられています。

 また、磯長は蘇我氏ゆかりの地であり、ここに所在する古墳の被葬者を聖徳太子とすることについて異論もありますが、近辺には敏達(びだつ)天皇、用明天皇、推古天皇、孝徳天皇陵があり、「王陵の谷」ともいわれています。

 境内墓地には平安時代以後の石造品が多く点在します。その中の天文20(1551)年銘の重厚な石仏地蔵菩薩は、凝灰岩製、総高約162センチ、幅約56~54センチ、厚さ約15センチの舟形光背に厚肉彫りの立像が建てられています。衲衣(のうえ)(僧衣)の流れと、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手に宝珠を添えた姿が見事です。その像高約112センチ。半肉彫り二重頭光背の内区には、八葉複蓮弁が彫られ、その基礎には三方単弁反花の蓮弁が線刻されています。

 銘文は右側に、「伏追一佛出興南唐郷在優曇現瑞成禅天堂地信無為別三尺慈容霊十万」、左側に「為瑞叟崇曇禅定門也天文廿辛亥八月彼岸日施主行松源内助成秀敬白」とあり、供養したことが知られます。さらにこの地蔵菩薩と同型の石仏が並んであります。地蔵菩薩の二重頭光背の内区に八葉複蓮弁を入れ、紀年銘「維時弘治三(1557)丁巳年七月十三日」とあり、見どころは頭光背の美しさや、右手に持たれる錫杖のきめ細かい彫りです。

                 (地域歴史民俗考古研究所所長・辻尾榮市)

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