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復活した幻のそば 香りよし味よし 長野・伊那市の「入野谷在来」

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長野県伊那市長谷杉島のほ場に可憐に咲いた入野谷在来のそばの花。一面に広がり、白色のじゅうたんが広がっているようだ=平成30年8月(市提供)
長野県伊那市長谷杉島のほ場に可憐に咲いた入野谷在来のそばの花。一面に広がり、白色のじゅうたんが広がっているようだ=平成30年8月(市提供)
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 長野県伊那市の入野谷(いりのや)郷にはかつて在来種のそばがあり、どの家庭でもそばを栽培し、打っていた。だが、戦前からの食糧難で収穫量の多い品種ばかり栽培するようになり、絶滅したかに思われていた。それが今の世に蘇り、「入野谷在来」として収穫量を順調に伸ばし、取り扱う店舗が増えている。復活劇の起こりは、たった「6粒の種」から始まったといい、地元そば店主らの熱意が夢を現実に引き寄せた。(松本浩史)

誇れるそばがない

 入野谷郷は、旧高遠町の一部と旧長谷村の地域に当たり、地元で収穫された在来種を原料とするそばを古くから食べ続けてきた。だが次第に、病気に強く粒の大きい種がたくさん収穫できる「信濃1号」という品種が主流となり、在来種でつくられたそばは、味わえなくなってしまった。

 転機が訪れたのは平成9年。旧高遠町の商工会が福島県会津若松市を訪れた際、「高遠そば」と銘打って名物になっていることに驚いた。旧高遠藩主の保科正之が福島の会津藩に移封(いほう)となり、そば職人ともども移り住んで、この地にそば文化を広げたとされる。

 「元祖」の伊那市に誇れるそばがないのはどうしたことか。在来種を復活させよう-。10年から本格的に、復活に向けた取り組みを始めた「信州そば発祥の地伊那そば振興会」の飯島進会長は「そのころ、旧高遠町にそば店は1軒しかなかった」と振り返る。趣旨に賛同した飲食店の店先などにのぼり旗を立てるなど、機運を高める活動に勤しんだ。

「失敗できない」

 復活の現実味が帯びてきたのは26年、長野県塩尻市の県野菜花き試験場に、「高遠入野谷『浦』」と書かれたそばの種が見つかってからだ。旧長谷村の浦地区で収穫された種だと推察され、封筒に入った種は約20グラムしかなかった。

 試験場の協力を得て、増殖を試みた結果、発芽したのはたったの6粒。だが、かけがえのない種だった。その後、試験場では増やした種を保管。振興会が28年、栽培のための畑(約200平方メートル)を現在の伊那市長谷浦に確保した際に、約300グラムを提供した。

 栽培前には、振興会のメンバーや信州大学の教授らで打ち合わせを行った。「貴重な種なので失敗できない」と意気込みをみせた振興会側に、同大農学部の井上直人教授(当時)は、畑の選定条件として、土に窒素分があることや獣害対策の大切さなどを説いた。

 28年7月、約300グラムのうち約100グラムを畑にまき、9月に約20キロの種を収穫した。種まきから収穫時期にかけて、鳥やサルを近づけないよう対策をとったり、草丈の倒伏を防ぐ対策をとったり、手間のかかる作業にも時間を割いた。

評判が評判呼ぶ

 その後、市内の畑を計3カ所(約8000平方メートル)に拡大し、収穫量も年ごとに伸びている。昨秋の収穫量は約500キロに達し、市内のそば店6店舗がお客さんに供し始めている。

 井上教授が昨年3月に取りまとめた報告書によると、入野谷在来の成分は、他のそばと比べ、香りや味が優れているという。香りは脂質含有量に左右され、味はタンパク質の含有量が決め手になるといい、いずれも高い傾向が示された。

 飯島会長は、入野谷在来を扱う店主には、自家製粉することを課しているという。「製粉してから時間がたつと、そばの香りも味も逃げてしまう」。せっかく蘇った在来種のそばなので、食べるお客さんには、舌鼓を打って満足してもらいたい-。そんな思い入れが見て取れる。

 振興会では今後も収穫量を増やす考えで、すでに約9000平方メートルの畑を確保するメドをつけている。6店舗のほかにも、入野谷在来を提供したいと申し出てきた飲食店もある。噂を聞きつけた東京都内の有名店からの問い合わせもあったという。

 「市内の栽培農家は8~9割が信濃1号を育成している。でもいつかは入野谷在来の種を育ててほしい」

 飯島会長はそう語る。夢はどんどん膨らんでいる。

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