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【サッカー通信】U-23アジア選手権惨敗の日本、雪辱の舞台は東京五輪

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シリア戦の敗戦で1次リーグ敗退が決まってうなだれるU23日本代表の選手たち(中井誠撮影)
シリア戦の敗戦で1次リーグ敗退が決まってうなだれるU23日本代表の選手たち(中井誠撮影)

 1月26日に閉幕したサッカーのU-23(23歳以下)アジア選手権で日本代表が汚点を残した。3位までに東京五輪出場権が与えられる同大会での1次リーグ敗退は、開催国でなければ五輪出場を逃していた大失態。“げたを履かされた形”でひのき舞台に上がるのは屈辱以外の何物でもない。過去にははるかに上回る重圧をはねのけた先達もいただけに、日本サッカー史に刻まれた傷は深い。

 アジアから東京五輪へ名乗りを上げたのは優勝した韓国、準優勝のサウジアラビア、3位の豪州。日本はサウジアラビア、シリアにともに1-2で敗れて早々に1次リーグ敗退が決まり、最終のカタール戦を1-1で引き分けるのがやっとだった。

 ふがいない結果に斉藤(湘南)が吐き捨てた「悔しいというより恥ずかしい」とのコメントはサポーターの思いも代弁している。進退が取り沙汰された森保監督も「残念な結果になり、大いに反省しないといけない。結果が伴わなければ責任問題、批判は当然出てくる」と厳粛に受け止めた。

 かつて、ワールドカップ(W杯)をめぐって日本代表はより過酷な状況に置かれたことがある。2002年の日韓W杯開催が決まった1996年当時、日本にW杯出場経験はなかった。98年フランスW杯の出場を逃すと、日本は「W杯初出場は開催国枠」と揶揄(やゆ)され続ける恐れがあった。

 93年にJリーグが幕を開けて間もなかった日本サッカーの地盤は、現在では考えられないほど脆弱(ぜいじゃく)だった。93年には“ドーハの悲劇”で翌年のアメリカW杯出場を逃している。フランスW杯の出場も逃すようだと、ようやく脚光を浴びるようになった日本サッカー界が暗黒時代に逆戻りするという恐怖心も付きまとっていた。

 フランスW杯アジア予選で日本代表の主将を務めた井原正巳氏(現・柏ヘッドコーチ)は「開催国枠でのW杯初出場はどうしても避けなければいけなかった」と重圧下での激闘を振り返る。

 イランとのアジア第3代表決定戦を制してW杯初出場を決めた“ジョホールバルの歓喜”に、「W杯への扉を自力でこじ開けた充実感は格別だった」と語る。

 今回のU-23アジア選手権は、結果に関係なく五輪出場が決まっていた日本が、3位に入らなければ五輪出場を逃すチームを相手に戦うのはモチベーションの面からも難しかっただろう。

 だが、勝負の世界は結果がすべて。1勝もできなかった事実が厳然とのしかかる。

 屈辱を晴らす唯一の方法は五輪で結果を残すことだ。好成績を残せなければバッシングの嵐に見舞われる一方、メダルを手にすれば「銅メダルを獲得したメキシコ五輪以来52年ぶりの表彰台」と英雄視されることになる。その際はU-23アジア選手権の惨劇も、逆襲へのエピソードに変わるだろう。(運動部 奥山次郎)

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