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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】新型肺炎を正しく恐れる

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新型肺炎の感染拡大を封じ込めるため、運行を停止し閑散とする中国・武漢の地下鉄駅構内=1月23日(共同)
新型肺炎の感染拡大を封じ込めるため、運行を停止し閑散とする中国・武漢の地下鉄駅構内=1月23日(共同)

遅すぎた武漢封鎖

 中国湖北省武漢市が発生地とみられる新型コロナウイルスによる肺炎が世界に拡大しつつある。中国政府は23日、1100万もの人口を抱える巨大都市武漢を事実上封鎖して、感染拡大防止に乗り出したが、折あしく中国の人々が国内で大移動、もしくは日本をはじめとする国外へ旅行する春節の時期だった。同市の市長によれば、この措置の前に500万人以上もの人々が武漢を離れてしまったという。

 こうなった以上《ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい》という寺田寅彦の警句を肝に銘じ、過剰反応や無頓着に陥らぬよう、官民協力して自衛するしかない。水際対策の強化、マスク着用、こまめな手洗いとうがいは欠かせない。

 いまさら言うまでもないが、人類の歴史はペストをはじめとする感染症との闘いの連続だった。武漢封鎖のニュースを聞いて、3つの故事を思い出した。

 古代エジプトの石切り場でペストが発生した折、現場を立ち入り禁止にし、労働者を石切り場の中に閉じ込めて全員が死ぬのを待ったという。ペスト菌は1894年、大流行していた香港に乗り込んだ北里柴三郎によって発見されたが、ペスト菌の存在を知らずとも、人々は経験的に感染拡大防止に封鎖が有効であることを知っていたのだ。

 貿易で繁栄していたベネチア共和国は1377年、検疫に関する法律を制定した。東方からやって来る船が疫病の原因になっていると考え、船内に感染者がいないことが確認された船のみ入港を認めることにしたのだ。その方法とは、来港した船を30日間、沖に停泊させるというものだった(その後40日間に延長)。検疫を英語で「quarantine」というが、これはベネチア方言の「quarantena(40日間)」が語源だ。

 英国のイームという村をご存じだろうか。リバプールの東およそ80キロに位置する、美しい丘に囲まれた村だ。この村は1665年、悲劇に襲われた。仕立屋がロンドンから調達した布地にペスト菌を保有したノミが付着していたのだ。ペストはあっという間に村中に広まり、およそ350人いた村人の260人が感染して亡くなってしまった。

 村の歴史を伝えるイーム博物館のホームページによれば、教区牧師のモンペッソンとスタンリーの2人は、「村から出てはならない。村に人を入れてはならない」と村人を説得し、村人はこれを受け入れたという。自発的封鎖である。問題は食料の調達だ。どうしたのか。村人は村外れの井戸端に必要な食料品名を記したメモとカネを置いて支援を求めた。イーム村の自己犠牲的な決断を知った周辺の人々は、支援を惜しまなかったという。

対策本部のトップを回避

 陸海空の交通機関が発達し、地球規模で絶え間なく人と物資が行き交う現代、昔以上に発生地の迅速な封鎖が感染拡大防止に有効であるのは間違いない。ただ、民主主義国家では人権もからみ、大都市の封鎖には相当の困難を伴うはずだ。誤解を恐れずに言うなら、武漢封鎖は、遅きに失したものの、一党独裁国家にしてはじめて可能な「英断」に映った。

 ところが、「ニューズウィーク日本版」に掲載された評論家、石平さんの「中国深層ニュース」というコラムを読み、習近平国家主席は危機の指導者としていかがなものか、このままで本当に大丈夫なのか、と考え込んでしまった。というのも、中国政府は今回の危機に対応するため「疫情対策指導小組」(対策本部)を設置したが、習氏はそのトップに就くことなく、李克強首相をあてたからだ。石さんはこう記す。

 《本来なら、習自身が「組長」の最適な人選である。国家の一大事への対処に当たって、共産党総書記・国家主席・軍事委員会主席として党国家の最高指導者・軍の最高司令官である彼こそ危機対策の司令塔の司令になるべきであろう》

 中国国内のみならず、世界に飛び火しつつある緊急事態だ。中国の最高権力者として君臨する習氏が、形だけでもトップに就くのが当然だと私も考える。習氏には、この災厄から中国国民を、さらには世界の人々を守ろうという気概・責任感があるのか。関心があるのは、自分のメンツと権力の維持だけではないのか。

 指導者の資質は危機のときにこそあらわになる。習氏の対策本部人事からは、世界中が注目する困難なミッションに失敗したとき、その全責任を李首相に押し付けようとの魂胆が透けてみえる。そうではなく、「今回の危機は自分が出るほどではない」と考えているのなら、それだけで指導者失格だ。石さんの見立てはこうだ。

 《(側近人事を行って李の仕事を牽制するような)指導体制で、今回の新型肺炎の事態収拾と危機克服は期待できそうもない。状況はまさに絶望的である》

 そうならないことを心から願いたい。

対策失敗なら共産党に大打撃

 疫病、ことにペストは歴史を大きく動かす要因となった。新型肺炎のなりゆきによっては、共産党一党独裁体制が揺らぐきっかけになるやもしれぬ。中世ヨーロッパを襲ったペストは、宗教改革をもたらしたといわれる。どういうことか。ペストが猛威を振るうなかで、人々は教会を通じて神に救いを求めた。ところが、何の救いも得られなかった人々は教会組織に幻滅する。こうしたなかで人々の心をつかんだのが、聖書を通じて神と直接つながろうとする運動だった。

 共産主義という神をいただく現世的一神教国家である中国は、経済成長と厳しい監視社会を築き上げることで、その安定を保っている。成長に陰りが差し始めたいま、新型肺炎の封じ込めに失敗したならば、中世の人々が教会組織に幻滅したように、中国の人々はいよいよ共産党に愛想をつかすことになるだろう。このあたりを習氏はどう考えているのかしらん。

 習氏には、自分のメンツを守り権力を維持するためにも、李氏を全力で支え、事態の収拾をはかってもらいたい。ここではこう言っておく、加油! 習近平国家主席、加油! 李克強首相。 (文化部 桑原聡)       =隔週掲載

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