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【プロ野球通信】田淵幸一氏「宝は落ちている」 殿堂入りの原点は高校時代

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野球殿堂入りが決まり、自身のユニホームの前で記念撮影に納まる田淵幸一氏=東京都文京区の野球殿堂博物館(斎藤浩一撮影)
野球殿堂入りが決まり、自身のユニホームの前で記念撮影に納まる田淵幸一氏=東京都文京区の野球殿堂博物館(斎藤浩一撮影)

 今年の野球殿堂入りのメンバーが1月14日に発表され、競技者表彰のエキスパート表彰に阪神、西武で通算474本塁打を放った田淵幸一氏(73)が選ばれた。「素晴らしい賞を頂けたのは出会った指導者のおかげ」と田淵氏。打球の描く放物線が美しいことから「ホームランアーティスト」と呼ばれたスラッガー捕手の原点は高校時代にあった。

 プロでは、強打の捕手として活躍した田淵氏だが、東京・法政一高の野球部には、外野手として入部した。「小中学校の野球は軟式で遊び程度。硬球は触ったこともなかった」と振り返る。部活では、グラブを持って守りにつくが、外野フェンスには100人以上の部員がズラリと並んでいる。硬球をなかなか触ることができなかった。

 「どこに行くかは知らないが(部員が)『行こうぜ』と叫んでいる。『なんやねん』と」。ふと周りを見渡すと、打撃捕手が空いていた。汚いマスクや防具をつけるため、誰もやりたがらなかった。「硬球を触れられるポジションだと思った」と立候補した。「捕手・田淵」が誕生した瞬間だった。

 当時の法政一高監督は、1984年ロサンゼルス五輪の野球(公開競技)で代表監督として日本を金メダルに導き、2007年に殿堂入りを果たした松永怜一氏。田淵氏が捕手を始めて数カ月が経過したころ、松永氏に「お前、捕手ミットの使い方がうまい。明日から打撃をしろ」と認められた。田淵氏は「みんながやりたくないことに宝は落ちている」と力を込めた。

 本塁打の原点も高校時代だった。高校3年の時、風邪をひいて3日間、練習を休んだ。休み明けに参加した合宿は、体調が完全には戻っていなかった。力が入らない状態だったが、打撃練習では、思った以上に打球が飛んでいった。「なんだ。(打撃は)力じゃない。ボールとバットが当たる場所さえきちんとすれば、ボールは飛んでいく」と悟った。ボールの芯の少し下を狙って、スピンをかける-。滞空時間の長い美しい本塁打が生まれた。

 熱血指導で知られる松永氏からは、法大時代も含めて、7年間指導を受けた。プロの世界でも、阪神から西武に移籍後、松永氏と似たタイプの指導者と出会った。選手に生活態度や食生活の改善を求める「管理野球」で知られる広岡達朗氏だ。82年に広岡氏の西武監督就任が決まった際、「終わったと思った。冷酷、冷徹といわれていたが、その通りだった」。

 広岡氏の厳しい指導の下で82、83年と2年連続で日本一に輝いた。83年には正力松太郎賞も受賞した。「厳しいから広岡さんは嫌だった。でも、結果が出ると、嫌いでも『ありがとうございました』に代わるんだよ」。毎年、2月9日の広岡氏の誕生日には、必ず電話をかけているという。今年は、うれしい報告になりそうだ。(運動部 神田さやか)

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