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【一聞百見】東京から移住…劇作家の平田オリザさん、地方を劇的に変える「物語」演出

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「東京に比べたらストレスがない」と豊岡暮らしを気に入っているという平田オリザさん =兵庫県豊岡市の自宅書斎で(安元雄太撮影)
「東京に比べたらストレスがない」と豊岡暮らしを気に入っているという平田オリザさん =兵庫県豊岡市の自宅書斎で(安元雄太撮影)
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 兵庫県北部にある人口約8万人の小都市が、「演劇のまち」づくりに動き出している。但馬地域の中心、豊岡市。旗振り役は、国際的にも著名な劇作家、平田オリザさん(57)だ。昨年には家族そろって東京から同市内に移住し、主宰する劇団の俳優たちの転居も始まっている。観光とアートを融合した専門職大学の学長にも就任予定。まさに舞台さながら、人口減に直面する地方都市を劇的に変える斬新、かつ大胆な“物語”を演出しようとしている。(聞き手 編集委員・河合洋成)

■東京から豊岡へ

 「みなさん、豊岡市民になったオリザさんです…」

 豊岡市日高町で開かれた講演会。少し照れた表情を見せながら、平田さんは演壇に立った。講演のテーマは「但馬に大学をつくる」。大学とは、JR豊岡駅近くに開校する兵庫県立の国際観光芸術専門職大学(仮称)。令和3年春の開学予定だ。

 学長候補として、夢を語る。「城崎温泉を中心に豊岡は回遊型の国際観光都市になれる。観光のポテンシャル(潜在能力)をアートによって引き出せる人材を育成する。オール豊岡でならできる」。わきあがる拍手。コウノトリ(国特別天然記念物)で有名な豊岡だが、新たな“救世主”が舞い降りてきたような空気感だった。つめかけた聴衆が向ける熱い視線に、期待値の大きさがわかる。

「オール豊岡で国際観光都市に」と夢を語る平田オリザさん(安元雄太撮影)
「オール豊岡で国際観光都市に」と夢を語る平田オリザさん(安元雄太撮影)
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 日本海に注ぐ円山川沿いに建てた新築の家に引っ越してきてから、こうした“歓迎会”が続いている。「ありがたいこと。妻は快適に暮らしているし、子育てには東京より格段に良い環境」。55歳のときに生まれた男の子の前でほほ笑む。父親の顔に戻る。しかし、新居に戻れるのは「週1回程度」だとか。本業だけではなく、講演活動や演劇授業などで、ひっぱりだこだからだ。「それも東京にいたときと同じで、豊岡でも変わらない」と話す。

 お気に入りなのは、特急が止まる駅(JR江原駅)まで徒歩4分、インターチェンジ(北近畿豊岡自動車道日高神鍋高原IC)まで車で5分、コウノトリ但馬空港まで10分の便利さだという。「渋滞もないし、東京に比べたらストレスがない。朝には鹿の親子が出てきたりもする。不便さは全く感じていない。逆に東京の方が不便ですよ」

 東京出身の平田さんが移住を決めるほど豊岡と関わるようになったのは、ある偶然の相談からだった。

県立豊岡総合高校で生徒を指導。平田さんの授業は笑顔が絶えない =兵庫県豊岡市(安元雄太撮影)
県立豊岡総合高校で生徒を指導。平田さんの授業は笑顔が絶えない =兵庫県豊岡市(安元雄太撮影)
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■演劇で創造力を養う

 全ては、温泉街にある「城崎国際アートセンター(KIAC)」(平成26年開館)の「誰も思っていなかった成功」から始まった。いわゆる滞在型の舞台芸術創作施設である。県から払い下げられたお荷物施設を持て余していた兵庫県豊岡市の中貝宗治市長が、「ふと思いついた」のが演劇への開放だった。

 偶然、相談を受けた平田さんは「展望があるから」と芸術監督に就任。国内外の演劇、ダンス集団に「クチコミ」でその存在が知れ渡り、ほぼ毎日利用される“大繁盛”施設に。なにしろ、最高3カ月間無償で、24時間創作活動に没頭できる。それまで日本国内にはどこにもなかった「舞台芸術界待望の発信基地」が出現した。城崎温泉は、アートという新たなスパイスが加わり、一段階進んだ観光地になったのだ。

 そのアーティストらは、旧城崎町民と同じ100円で外湯を楽しめる。その存在は、今ではまちを散策していると「アートさん」と親しまれるほど当たり前の風景になっているという。「滞在型の創作施設は今まで誰も気付かなかったスキマ産業。どうせできないだろうと思われても、やっていなかったことに智恵を出して挑戦する。世界的にも珍しい存在になった」と平田さんは自負する。

 この成功が国際観光芸術専門職大学(仮称)構想へと一気に進む。「演劇のまちづくり」への序章ともいえた。市の提案に兵庫県が応え、今年10月末には文科省への認可申請にまでたどりついた。そして“学長候補”が平田さんである。知事と市長に誘われた、神戸市内の天ぷら屋での会食が、東京脱出の引き金になった。トイレに立っているすきの出来事だったという。話題は新大学。「席に戻ってきたら、いつの間にか学長候補になっていた」と苦笑する。そして「学長になるからには定住する」と決心した。

 実は、豊岡市の参与でもある平田さんが、この20年来取り組んできたのが、演劇の手法を取り入れた“コミュニケーション”教育だ。簡単に説明すると、用意した台本をもとに、児童や生徒に別のシチュエーションや新たな展開を考えてもらう、創造力の授業である。同市中心部の県立豊岡総合高校で行われた授業をたずねた。

平田オリザさんの出す課題に、真剣な表情で取り組む高校生ら =兵庫県豊岡市(安元雄太撮影)
平田オリザさんの出す課題に、真剣な表情で取り組む高校生ら =兵庫県豊岡市(安元雄太撮影)
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 出された課題は、電車の中で隣席に座った乗客に、いきなり「旅行ですか」と尋ねるのではなく、場をなごませるきっかけの言葉を考えるというもの。棒読みで演技する3年生たちだが、ときに「段階を踏んで聞いてるね」などと評価し、コミュニケーションにかける時間や手間を体感させていた。その直前には、神鍋高原(同市日高町)の山あいにある市立清滝小で、女子児童9人だけの6年生の演劇授業にも立ち会っていた。

 「日本にはクリエーティブな授業が少ない。言葉にしないと伝わらないことを体験し、みんなでやることで子供たちのパフォーマンス能力はあがる」。教育現場での演劇の力。同市では平成29年から市立全小、中学計38校で演劇授業を展開している。「たった3年で全校実施が実現できたスピード感は全国でもここだけ。豊岡の子供は変化している」と平田さんは手応えを感じている。

「これが最後の冒険」と話す平田さん。劇場に改修中の商工会館で =兵庫県豊岡市 (安元雄太撮影)
「これが最後の冒険」と話す平田さん。劇場に改修中の商工会館で =兵庫県豊岡市 (安元雄太撮影)
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■アジア初の演劇拠点へ「大冒険」

 「第0回豊岡演劇祭」が今年9月、3日間の日程で兵庫県豊岡市内で繰り広げられた。「0回」とは、平田さんによると「お試し」の意味。来年からの本格開催に向けた“実験劇場”だった。予想以上の約1500人が訪れ、市外、県外からも人を呼べるパワーを確信した。

 城崎温泉のKIACの成功、専門職大学の開学に続く延長線上にあるのが「豊岡演劇祭」だ。モデルはフランス南部のアビニョン演劇祭。ワールドワイドな一大演劇産業の拠点のにぎわいを、アジアで初めて豊岡に定着させたい…。そんな、強い思いがある。そのとき欠かせないのが、専門職大学で鍛え上げようとしている人材だ。

 「コンシェルジェを育成したい。外国人から質問されれば、地域の歴史や文化まで答えられる。文化人類学の知識は大学で学ばないと身につかない」。また、演劇の専門家としての能力も求められる。「チケットの手配やお薦めの舞台も相談できる。単に観光拠点を案内するのではなく、アートで観光の魅力を引き出せる底力のある人材。大学も今までどこにもなかった大きな“スキマ産業”です」という。

 さらに語る。演劇部の部長など、多彩な高校生から問い合わせもあるそうだ。「リーダーシップが取れ、社交性もある若者が豊岡にやってくる。インパクトは大きい。世界標準で考えれば、(アートでは)周回遅れの日本ですが、先行事例を世界から学んで最先端のオンリーワンになれる」

 自宅を構えたJR江原駅前には、主宰する劇団「青年団」の拠点劇場が来年3月に完成予定だ。着々と進む豊岡への地固めに、東京へのこだわりはない。「東京はもう限界だと思う。アーティストはボヘミアンです。企業でいえば、生産拠点を移すだけ。豊岡で作品を作り、東京や大阪で公演すれば良いだけのこと」と話す。

県立豊岡総合高校で講演する平田オリザさん =兵庫県豊岡市
県立豊岡総合高校で講演する平田オリザさん =兵庫県豊岡市
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 大きな夢と期待を集める豊岡演劇祭だが、「5年後にアジア最大、10年後には世界有数の存在に育てたい」という平田さん。自転車で世界一周に挑んだ10代の頃から憧れだった冒険家、植村直己さんの生誕地が豊岡市日高町だったことも、移住への背中を強く押した。「これが最後の冒険。アートと冒険は似ている。真新しいことをやるのではなく、やってみせたら後からたくさんの追随者が出てくるものじゃないとダメだ。尊敬している植村さんの精神をアートで受け継ぎたい。豊岡で圧倒的な成功例をつくる」

 豊岡を舞台にした、いまだかつてない物語は、幕を開けたばかりだ。

     ◇

【プロフィル】平田オリザ(ひらた・おりざ) 昭和37年、東京都生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」を結成。こまばアゴラ劇場(東京)芸術総監督、城崎国際アートセンター(兵庫県豊岡市)芸術監督のほか、大阪大学COデザインセンター特任教授、東京芸術大学COI研究推進機構特任教授などを務める。10代のとき、自転車で約2万キロを走破し、世界一周を達成した。

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