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【一聞百見】僧侶、魚屋…今は英俳優や高級ブランドと和服・日本文化を発信、ファッションデザイナー kyuten kawashima さん(52)

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英国俳優、ジュード・ロウさん(右)のためにジーンズをつくった( kyuten kawashima さん提供)
英国俳優、ジュード・ロウさん(右)のためにジーンズをつくった( kyuten kawashima さん提供)
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 長い記者人生で、こんな人は初めてだ。「俺、インタビューしたら、めちゃめちゃおもしろいですよ」。京都の美術館に一緒に行く約束をしていた知人が連れてきた人物は、そういって名刺を差し出してきた。着物のような、ガウンのような、不思議な渋い上着に細みのボトムス。「和」なのか「洋」なのか。とにかく、 kyuten kawashima さんは一見してただものではないという雰囲気をただよわせていた。(聞き手 編集委員・正木利和)

■波瀾万丈…縁が重なりアフリカでショー

 ざっと経歴を聞いてみると、もともとはお坊さんだったのだそうである。それがひょんなことからデザイナーに転身。いまでは、アフリカで日本文化をPRするということまでやっているのだそうだ。そう聞くと、確かに興味が湧いてきた。そもそも、僧侶の道に進んだ人物が、どうしてデザイナーという華やかな服飾の世界に入ったのか…。で、後日、彼が居を置く東京に行ってじっくりと話を聞いてみた。

 彼のそばには、まだ白い絹の反物が幾本もまとめておかれてあった。「これですか? 6日からのイベントに出品する衣装になるんですよ」。イベントとは、来月初旬、アフリカのモザンビークで行われるファッション・ウイークのことだ。今年で6回連続の参加になるという。これまで、さまざまなイベントをファッションショーと組み合わせながら、日本という国を現地に紹介してきた。たとえば、昨年は日本から能楽師、一昨年は殺陣師を連れ自作とともに日本の伝統的な芸能を披露している。

 しかし、なぜモザンビークなのか。「弥助って知っていますか??アフリカから連れて来られて織田信長の家臣になった…。おそらく、シルクの着物を着た初めてのアフリカ人がこの人ですわ。その弥助が、実はモザンビーク出身なんですよ」。日本とモザンビークの浅からぬ縁。そのウイークを知ったのは平成26年、旧知の間柄であるDJを通じてのこと。「彼が香港でショーをするので、その衣装をみてほしい、この12月にアフリカにも行く、と。『それじゃあ、それも俺が衣装をつくってやる』となったんです」

モザンビークのショーで自作の衣装を着たモデルたちと( kyuten kawashima さん提供)
モザンビークのショーで自作の衣装を着たモデルたちと( kyuten kawashima さん提供)
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 ところが、それではおさまらなくなった。せっかくだからファッションショーを現地でやってみないか、と話がふくらんだのである。旧ポルトガル領だったモザンビークのファッション・ウイークは、アフリカ最大規模のファッションショー。もちろん、ふたつ返事で引き受けたのだが、期日は2カ月ほどしかない。現地に入ってもミシンを借り、なんとか16人分をギリギリで縫い上げた。「それをぶっつけ本番でモデルに着せて…。いや大変でした」。そのショーが、思いのほか好評を博した。

kyuten kawashima さんが18歳で集団得度したときの集合写真(前から3列目・左から6番目=本人提供)
kyuten kawashima さんが18歳で集団得度したときの集合写真(前から3列目・左から6番目=本人提供)
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■僧侶・魚屋…そして出合った服飾

 昭和41年に京都市内で生まれた。家は大地主だったので、近隣ではぼんぼんで通っていた。「母は僕をピアニストにさせたかったようで必死でした」。その母方の実家は、京都・山科で着物の裏地を加工する仕事をしていた。夏休みになると反物を市中の四条烏丸まで運び、お小遣いを稼いでいたことを子供ながらに覚えている。それが服飾との縁の始まりだ。

 テニスをしたかったが、高校にテニス部がなかったため、近くの四ノ宮テニスクラブに通うと、そこに評判の天才少女がいた。彼女と練習試合をしたが、まるで歯がたたなかった。その子は伊達公子といった。「彼女がのちに世界4位になったから救われますけど、高校生が小学生の女子にこてんぱんですから…」

 そのころ、父親のからだが弱かったせいもあり、実家は傾き始める。中学のころ、父母が離婚。信心深い母親が高野山大学のパンフレットを持ってきた。読めば、お坊さんになる学校だ。受験したら受かり、宿坊に住み込んで手伝いをしながら通うことになった。「早朝にお勤めをし、お客さんが帰ったら部屋のそうじをして大学に行く。お昼にもどって、また食事を出したり、部屋を片付けたあと、また大学に行きます。案外きついんですよ」。でも、暮らしているうちにお坊さんがカッコよく見えてきた。6月には集団得度し、国文学を学びつつ僧侶の修行にも励んだ。

 ところが、21歳のとき父を亡くし、退学を余儀なくされた。「バブルが始まるころで、北新地のクラブにボーイとして勤め、23歳のときには羽振りのよい不動産会社に就職しました」。しかし、そのバブルもはじけ、2年で会社をやめた。交際していた女性が京都・錦小路の魚屋の娘だったことから、アルバイト感覚で配送の仕事をしているうち、知らぬ間に前掛けをして包丁を握った魚屋になっていた。

 「いや、長靴をはかされてダサイし、魚くさいのもいやだし。それが、いつのまにかガッツリ魚屋…」。朝4時半に京都の市場に出かけ、仕事をして今度は兵庫・明石の市場に。結局、彼女と結婚し、そんな毎日を送っていた。しかし、7年の結婚生活が破綻。トラック運転手になるが、ここでも事故で重傷を負って3カ月入院…。ご難続きである。

アフリカのモザンビークではファッションだけでなく日本文化も紹介するという kyuten kawashima さん =東京都世田谷区(三尾郁恵撮影)
アフリカのモザンビークではファッションだけでなく日本文化も紹介するという kyuten kawashima さん =東京都世田谷区(三尾郁恵撮影)
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「仕事、どうしようかな、と思ってるとき、京都・北山でセレクトショップをやっていた弟が『兄貴、手伝ってくれ』と。それが33歳のころ。京都・木屋町のビルに店を出し、その店長をやってました」。とんでもないアップ・ダウンをくりかえし、やっと服飾の世界へたどりつく。

kyuten kawashima さん(前列右)。モザンビークでモデルたちと一緒に(本人提供)
kyuten kawashima さん(前列右)。モザンビークでモデルたちと一緒に(本人提供)
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■自分と向き合い「和」に回帰

 ちょうどそのころ、股上の浅いローライズデニムのブームがやってきていた。使い古して傷んだデニム生地をリメークしてはくと、ビンテージ感が出る。そこで、工業用ミシンを手に入れ、古い「リーバイス501」を手に入れてはほどき、縫い直すという作業に取り組んだ。「そうするうちに、だんだん縫うのが楽しくなってきました」。自分で作ったダメージデニムをはいていると、買い物に来た女性たちに連れられてくる彼氏たちが、注目するようになった。

 「『兄さん、それどこで買ったんですか?』って。『ええやろ。作ったろか?』みたいな感じで、注文がくるようになりました。そのうち『海外に持っていきませんか』という人がいて。それならニッポンらしいものを作ろうと、穴をふさぐように着物の反物を当ててみた」。さらに知人に教えてもらった金彩の技法を使い金の桜の花びらを散らす。「俺、できるやん、て思うほどよかった」

 そのリメークデニム作品を仏高級ブランドグループ、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)のコンテスト(非公式)に出して優勝すると、フランスからどんどん電話がかかってくるようになった。「1カ月で何千本作れっていうんです。こっちは僕ひとりで数は作れない。同じものを量産するのはイヤだってことで、最終的には断ったんです」

 リメークデニムを作っているうち、格闘家の秋山成勲(よしひろ)さんから「神戸コレクションにシークレットモデルで出るからジーンズを作ってほしい」と依頼が舞い込んだり、雑誌「LEON」を創刊した編集者の岸田一郎さんらファッション業界の人たちやシンガーソングライターの宮沢和史さんら芸能人からの注文もくるようになった。人は人を呼ぶ。「英俳優ジュード・ロウのジーンズも作りました」

 しかし、そうした仕事に取り組んでいたのは8年前まで。あるトラブルをきっかけに1年ほど、家族らに支えられながら自分と向き合ったのだそうだ。そのとき、こんな考えが浮かんできた。「どこまでジーンズをやっても、これではアメリカのものに勝てないんじゃないか?」。そこで「ふりだし」にもどってみようと思った。「和」だ。「かっこいいのに着物はなんであかんようなったんやろと」。もやもやしているところに、京都の西陣織組合の紹介で染織の有力者のアトリエを訪ねてみた。「これや、と思いましたねえ」。

僧侶の生活は厳しかったが「カッコよく見えてきた」という kyuten kawashima さん =東京都世田谷区(三尾郁恵撮影)
僧侶の生活は厳しかったが「カッコよく見えてきた」という kyuten kawashima さん =東京都世田谷区(三尾郁恵撮影)
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 さらに初めてのアフリカでのショーで、なめらかさとつややかさを兼ねそなえた日本の絹の評価の高さを思い知る。戻って京丹後に飛んだ。人のつてをたどり、丹後随一といわれる機屋を紹介してもらうと、次は東京・御徒町に腕のいい和裁士がいると聞いて訪ね、2回目のアフリカでのショーからは、その和裁士に縫ってもらっている。

 「和裁がすごいのは、パターン(型紙)がいらないってことです。着丈、袖丈だけで完璧にできあがる」。いわば、ふわりと自由に羽織れるのが着物の長所。「本物」は世界に広がる可能性があるのではないか。丹後で織り、京で染め、東京で縫う。そのかたちが、前回のコレクションで完成したという。織りも染めも縫製も、和服をめぐる高度な技術はこの国で次第に衰退している。しかしモザンビークで、その高いものづくりの技術を「ファッション」という枠に込めて、本気で世界へ発信するつもりだ。

     ◇

【プロフィル】 kyuten kawashima (きゅうてん・かわしま) 昭和41年生まれ。京都市出身。本名は川島久典。18歳で和歌山・高野山に入り出家。現在は丹後の絹織物、京都の染め、和裁の技術で仕上げた衣装を制作。

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