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【一聞百見】凜として涼やかに 深遠なる世界を極めて 能楽観世流シテ方・大槻文蔵さん(77)

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能の大曲「道成寺」を勤める大槻文蔵さん。観世寿夫さん(右端)が鐘後見を勤めてくれた =大阪市中央区の大槻能楽堂(本人提供)
能の大曲「道成寺」を勤める大槻文蔵さん。観世寿夫さん(右端)が鐘後見を勤めてくれた =大阪市中央区の大槻能楽堂(本人提供)
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 「能は難解」。見たことがないのに、先入観でそう思い込んでいる人はまだまだ多い。でも、一度、大槻文蔵さんの舞台を見てほしい。謡の言葉が全部わからなくても、序之舞(じょのまい)の意味するところが理解できなくても、その美しくも深い芸の力で、あなたの魂に訴えかけるものがきっとあるはずだ。長く大阪の能楽界を牽引(けんいん)、近年は人間国宝、文化功労者にもなり、現代の能楽界を代表するシテ方として、ますます円熟の舞台を見せる文蔵さんに、能の深遠な魅力をたっぷり案内してもらった。いざ、果てしのない能の世界へ-。(聞き手 編集委員・亀岡典子)

■語りすぎないからこそ、深い

 しんと冷えたような表情の女の能面。だが、その美しさの内にあるのは、青い炎のような愛の妄執ではなかっただろうか。

 ♪定家(ていか)の執心、葛(かずら)となって御墓に這(は)いまとい、互いの苦しみ、離れやらず…

 文蔵さんが特に好きな能のひとつにあげる「定家」。平安時代の歌人、藤原定家が恋に落ちた相手は身分違いの式子(しょくし)内親王。秘密の恋だったが、やがて内親王は亡くなり、定家の執心は死後も葛となって内親王の墓に這いまとう。文蔵さんは、死してもなお残る恋人たちの深い愛の地獄を、清らかに描いてみせた。「愛において喜びと苦しみは一体、ということでしょうね」と文蔵さんは静かに語る。

「若い頃は、歌舞伎、文楽、バレエなどいろんな舞台を見に行きました。客席でお客さんと一緒に見ることはとても勉強になりました」と話す大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
「若い頃は、歌舞伎、文楽、バレエなどいろんな舞台を見に行きました。客席でお客さんと一緒に見ることはとても勉強になりました」と話す大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
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 文蔵さんの舞台はいつも、決してすべてを語り過ぎない。華やかながらも抑制された所作、気品高い舞は、見る人の想像力や感情を呼び覚まし、深いところに連れていってくれる力がある。「それが能という芸能の特色なんです。語り過ぎないからこそ深い。ただ、『定家』のように複雑なテーマの場合、演じる方にも、見てくださる方にも、人生経験というのが必要なのかもしれませんね」

 現代能楽界を代表するシテ方のひとり。古典はもちろんだが、新作能、復曲能にも若いころから積極的に取り組み、能の可能性を広げてきた。大槻能楽堂(大阪市中央区)の当主でもあり、自身でテーマを決めた自主公演を定期的に行い、能の普及振興にも努めてきた。そんな多彩な功績が認められ、平成28年、人間国宝に。現在、シテ方の人間国宝は4人だけだが、大阪のシテ方では初の認定であった。

 自主公演では、哲学者の梅原猛さんをはじめ、作家や歌人など文化人に講演を依頼し、それもひとつの魅力となっている。「先生方にお願いしているのは、能や演目そのものの解説をしていただきたいということではないのです。たとえば平家の武将が主人公なら、その歴史的背景や人物像などをお話ししていただいて、能の世界に入っていきやすくしてもらいたいのです」

能の最奥の曲のひとつ、「関寺小町」を勤める大槻文蔵さん =平成19年11月、大阪市中央区の大槻能楽堂(本人提供)
能の最奥の曲のひとつ、「関寺小町」を勤める大槻文蔵さん =平成19年11月、大阪市中央区の大槻能楽堂(本人提供)
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 いまでは自主公演の目玉として、解説を楽しみに足を運ぶファンも増えた。「能は絵画に似ていますね」という。自身、絵を見るのが大好きだと顔をほころばせる。「ゴッホやピカソが特に好きかな。想像の余地があり、画家が描いた絵の奥に、もうひとつ深い世界がある。そこが、能と似ていると思うんですよ」。650年という能の歴史をまとい、現代にその美を体現する。

「これからも能の普及のため、現代に添った自主公演を続けていきたい」と話す大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
「これからも能の普及のため、現代に添った自主公演を続けていきたい」と話す大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
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■運命の出会い

 人には誰でも大切な出会いがある。その後の人生を決定づけてくれるような運命的な出会いだ。大槻文蔵さんにとってのそれは、20代のときに訪れた。世阿弥の再来ともいわれていた観世流シテ方、観世寿夫(ひさお)さん(1925~1978年)の「定家」を見たのだ。「僕にとって革命的な舞台だった」と振り返る。「舞台全体に立ちこめる静かな緊張感。体の内へ内へと入っていく力。すべてに圧倒されました。能というのはすごい芸能なんだと確信しました」

 そもそも、大阪の能の家に生まれた文蔵さんにとって、能の世界に進むことは自然のなりゆきだった。幼い頃から、祖父、大槻十三さん、父、大槻秀夫さんに師事。「お稽古も舞台に出るのも割に好きでしたね。能がよくわからないなりに楽しかったんでしょう」。文蔵さんが生まれる7年前の昭和10年、祖父の十三さんが現在の大阪市中央区上町に大槻能楽堂を創建。ここが現在まで、大阪の能の一大拠点となる。「当時、能の公演はいまほど盛んではありませんでしたが、能楽師の人たちが集まってきては、謡を謡ったり、祖父や父と能の話をしていました。そんな環境でしたから能の道に進むことをごく自然に受け入れていたと思います」

 もちろん、それまでも寿夫さんの舞台を見ていた。だが、真価を感じるには、文蔵さんもまだ若すぎたのかもしれない。なにしろ、20代で見た「定家」は稲妻のような衝撃だった。当時、寿夫さんは30代後半。華やかでありながら能の本質を追求した舞台は能楽界を揺り動かしていた。文蔵さんをはじめ、現在の能楽界の第一線で活躍する人たちの多くは寿夫さんの薫陶を受けている。文蔵さんも教えを受けるため20代半ばから約10年、東京に通った。寿夫さんが折に触れ語った言葉が忘れられない。〈能楽師は特殊な仕事だが、能楽師は自分を特殊な人間だと思ってはいけない〉と。

 「たとえ古典芸能に携わっていても、私たちは現代社会の中で生きているわけですから、つねに社会性を忘れてはいけない。その考えは能に臨む上で生涯の指針になりました」

「定家」を勤める大槻文蔵さん。複雑な愛の妄執を表現した =平成26年9月、京都市左京区の京都観世会館
「定家」を勤める大槻文蔵さん。複雑な愛の妄執を表現した =平成26年9月、京都市左京区の京都観世会館
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 今年1月に亡くなった哲学者、梅原猛さんとも能を通して親交があった。梅原さんが書き下ろした新作能すべてに演出や出演などで携わったのだ。「あるとき、先生が『世阿弥が僕に乗り移ってきたんだよ。これから能を研究するからね』とおっしゃったんです。しばらくして、新作能『河勝(かわかつ)』を書き下ろされました」。能の始祖といわれる秦(はたの)河勝を主人公にした作品で、文蔵さんは演出などを担当した。

 「台本を見て驚きました。能の謡の古文ではなく現代語で書かれている。しかも劇中、梅原先生ご自身が登場し、河勝の怨霊の謎を探るため新幹線に乗って赤穂に行くという内容です。従来の能の感覚からするとあり得ない。でも現代にはこういう能も必要なのです」。そのとき、思った。芸術というのは何物にも縛られないものだと。

「制約を作っても、とらわれてもいけない。大切なことを先生から教えていただきました」

芸養子に迎えた大槻裕一さん(左)を指導する大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
芸養子に迎えた大槻裕一さん(左)を指導する大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
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■体力と技術、つねに葛藤

 平成28年、人間国宝に認定、昨年は文化功労者にも選ばれた。名実ともに能楽界を牽引(けんいん)するひとり。「大変ありがたい分、責任も重く感じています。この年齢になりましたので、大曲を依頼されることが多いのですが、長時間に及ぶ曲だと、体力、気力とも大変になってきています。ちゃんとできるか心配で仕方がない」と、少し笑いながら謙遜する。どんなときも淡々とした振る舞い。インタビューに答える言葉は決して多くない。だが、心の内を率直に語って、誠実さを感じさせる。

 最近は、あまり上演される機会のない大曲を勤める際、「この曲はこれが最後かな」と思うことがしばしばある。昨年、東京で勤めた「芭蕉(ばしょう)」は「お相手のみなさん(共演者)にも恵まれ幸せな舞台を勤めさせていただきました。もう『芭蕉』はおしまいです」。9月に勤めた「羽衣」では、地頭(じがしら)を勤めた、同じく人間国宝の梅若実玄祥(うめわか・みのるげんしょう)さんに「結構でしたね」と声をかけられたと、顔をほころばせた。

 「若いときは体がよく動くので、ある意味、楽に勤められる。ところが年をとってくるとエネルギーを使わないと表現できなくなり、『羽衣』のような曲は、そう見せずに自然に優雅に舞うところに高度な技術が必要なのです」。77歳の能をどう勤めるのか。体力が衰えてくるとき、能楽師は何でカバーするのだろう。それが目下の課題だという。

 「舞台で長時間座ったあと、すぐに、すっと立って舞うのはなかなか大変なものです。年を取ると作品の解釈や人生経験は深くなるが、逆に体力はなくなってくるので表現する技術も落ちてくる。近年はつねに、その葛藤のなかで舞台を勤めています」

 文蔵さんは能楽師としてだけでなく、大槻能楽堂の当主としても獅子奮迅の仕事ぶりだ。自主公演の年間テーマを現代社会にありようを考えながら決定し、毎月の演目と配役を考えて、ときには自ら出演依頼をする。現在、能楽堂は大規模な改修工事のため休館中だが、その資金集めに奔走、建設会社との交渉も行う。

 「まあ、しんどくもあり、楽しくもあり、といったところですね。自分が考えた公演をお客さまが喜んでくださったときのうれしさはたとえようもありません」

 それは若き日、尊敬する観世寿夫さんが言った「能は特殊な仕事だが、能楽師は自分を特殊な人間と思ってはいけない」ということの実践でもあろう。

 能楽堂の第1期の改修工事は今年中に終わり、来年1月3日から多彩な演目をそろえ、華やかにリニューアル公演が行われる。「現代は、能の真のおもしろさを分かっていただくには大変難しい時代です。ただ、小学校に公演に行っても、ずっと目をこらして見ている子が必ず何人かいる。日本人の血の中には能の美しさや本質を感じ取る感性が流れているのです。私たちはそれを信じ、これからもいい舞台を作っていきたい」。正座する姿は凜と美しく、背筋は涼やかに伸びている。

     ◇

【プロフィル】大槻文蔵(おおつき・ぶんぞう) 昭和17年9月25日、大阪生まれ。祖父・大槻十三、父・大槻秀夫、観世寿夫、八世観世銕之亟(てつのじょう)に師事。4歳で初舞台、19歳で「道成寺」を披(ひら)く(初演)。能の最奥の曲とされる「檜垣(ひがき)」「姨捨(おばすて)」「関寺小町」の“三老女”を完演。復曲では「敷地物狂(しきじものぐるい)」など、新作では哲学者の梅原猛さんと組んだ「河勝(かわかつ)」をはじめ現代における能の意義と可能性を追求する。本拠地とする大阪の大槻能楽堂では35年以上にわたって自主公演を開催。人間国宝、文化功労者。能楽協会大阪支部長も務めている。

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