PR

【一聞百見】鉄道マン…滋賀県知事、三日月大造さん「使命は続くよ、いつまでも」

PR

運転士時代の敬礼のポーズをとる三日月大造さん =滋賀県大津市の滋賀県公館(永田直也撮影)
運転士時代の敬礼のポーズをとる三日月大造さん =滋賀県大津市の滋賀県公館(永田直也撮影)
その他の写真を見る(1/6枚)

 滋賀県知事の三日月大造さん(48)は異色の経歴を持つ。大学を卒業後、JR西日本で駅員、運転士を務め、組合活動を経て政治家に転身した。阪神大震災が起きた新人駅員時代には、被災地への応援勤務という貴重な体験も。何人もの乗客の命や生活に関わる仕事は緊張感の連続で、思い返すたびに身が引き締まる思いという。そして、その経験は、知事の仕事に確実に役立っていると語る。(聞き手 大津支局長・鮫島敬三)

■異色の転身

 平成8(1996)年8月。広島駅を出発した電車は、台風の影響で降りしきる雨の中を進んでいた。運転するのは運転士免許を受けたばかりの三日月さん。研修や見習いで運転はしていたものの、独り立ちして初めての乗務だった。雨はさらに強くなり、五日市駅(広島市)の手前で信号が見えなくなるほどに。運転指令と連絡をとり、電車を止めた。ただ、安全のための行為が理解されないこともある。「運転席のすぐ後ろでお客さんが『駅はすぐそこ。行けよ』と言う。結局、30分ストップ。本当に汗びっしょりになりました。これが、運転士のプレッシャーだと体感しました」

 JR西日本広島運転所に所属し、山陽線や呉線などの電車を運転した。その仕事から離れて20年以上たつが、たたき込まれた安全確認の動作は体に染みついている。「車を運転するとき、道を渡るとき、選挙カーから降りたとき、いろいろな場面で指さし確認をしてしまうことがあります」。電車が走り出せば、運転士の代わりはいない。トイレに行かないように前の日からの水分管理、そして時間管理も徹底した。「遅刻する夢、ブレーキがかからずに駅に止まれない夢はいまでも見ますね」。

 運転席からは、昼夜を問わずに働く鉄道マンたちの姿を見ていた。駅員、車掌、保線の人たち。たくさんの人のために、たくさんの人と仕事をすることの大切さを学んだ。そして、滋賀県のかじ取りを担っている知事の仕事を列車に例えると、鉄道マンたちの役割をすべてまとめたものと力説する。

 「まず運転しなくちゃいけないし、ここ止まれ、進めとの判断も必要。この列車に乗ってくださいと、案内もしないといけない。ひと駅進んだり、行こうと思ったところに行けたりしたとき『三日月さんの運転している列車に乗るわ』と言ってもらえると、やりがいを感じます」

運転士時代の三日月さん。前方の安全確認をしっかりと行う(三日月大造公式サイト」から)http://www.genki1.com
運転士時代の三日月さん。前方の安全確認をしっかりと行う(三日月大造公式サイト」から)http://www.genki1.com
その他の写真を見る(2/6枚)

 いまでも電車に乗ると、運転席の後ろにかぶりつくという知事。その前の国会議員時代、国土交通省副大臣を務めたとき、国交相は前原誠司さんだった。「『電車を運転できます』というと、うらやましがられました。前原さんは大の鉄道ファンですから。でも、あの方はSL(蒸気機関車)好きで電車には興味がない。話がSLばかりになると、私が知らない」

JR西日本に勤務していたころのネームプレートなど、三日月大造さん思い出の品(永田直也撮影)
JR西日本に勤務していたころのネームプレートなど、三日月大造さん思い出の品(永田直也撮影)
その他の写真を見る(3/6枚)

■「人のため仕事」の思い強く

 子供のころから、とくに鉄道に興味があったわけではない。大学卒業後の平成6年、JR西日本に入ったのは恩師の勧めがあったからだ。「就職のとき、ゼミの先生から『君の名前と顔は政治家向き。鉄道会社に入って、駅長になって立候補したらいい』と言われました。(元首相の)佐藤栄作先生もそうだったらしいですね。それで政治家になることを意識しました」。すでに入社が決まっていた会社に断りを入れ、故郷の滋賀をエリアに持つJR西へ。初任地は広島支社を希望した。同期たちは京阪神を希望していたが、いずれはそこに戻るのであれば、違う環境で仕事をしてみたかったからだ。

 配属は山口県の岩国駅。自動改札が導入される前だったので、改札口にも立った。「岩国駅では久しぶりの新入社員の配属だったらしくて、駅売店のおばちゃんにも随分かわいがってもらいました。広島の滋賀県人会の方ともつながりができました。(広島で開かれる)都道府県対抗男子駅伝でいっしょに滋賀を応援したこともありました」

 一生懸命に仕事と向き合い、人との出会いにも恵まれた1年生社員が「あの日」を迎える。7年1月17日午前5時46分に発生した阪神大震災。泊まり明けの早朝、指定券を発券するシステムを立ち上げようとしたときだった。「ゆらゆらと揺れて『地震かな。えらい長いこと揺れるな』と言ったのを覚えています」。その直後から社内の緊急放送では「京阪神地区で大地震。相当な被害が出ているもよう」といった深刻な状況が伝えられた。テレビで惨状を目の当たりにするにつれ、現地に行きたいという思いがわき出てきた。

 「すぐに岩国駅長に京阪神地区への応援を志願しました。ただ、駅長からは態勢が整っていないので待てと言われました。せっかく入った会社が潰れてしまうという思いもありました」。現地から要請があり、神戸市の新長田駅などに応援に行くようになったのは2月中旬ごろ。朝一番の新幹線で姫路に向かい、そこから在来線に乗り換える通い勤務で、午前10時ごろから、24時間の泊まり勤務に入る。「神戸に行って泊まって帰って1日休む」の繰り返しというハードな仕事は1カ月半ほど続いた。「新長田の駅前は戦争の後のよう。仮駅舎には、阪神間の大学に通われていた息子さんを荼毘(だび)に付して東北に連れて帰るという人もいました。逆に電気やガスの復旧を応援するために被災地に入ってこられる人もいました」

鉄道マンから政治家に転身。今でも「指さし確認をしてしまう」と笑う三日月さん =大津市の滋賀県公館(永田直也撮影)
鉄道マンから政治家に転身。今でも「指さし確認をしてしまう」と笑う三日月さん =大津市の滋賀県公館(永田直也撮影)
その他の写真を見る(4/6枚)

 人々の悲しみや希望を運ぶ鉄道。それを守ることが鉄道マンの使命であることを実感するとともに、多くの人たちのために仕事をすることのやりがいに気づいたときでもあった。鉄道を利用する人たちのためから、現在は知事として県民のために。根底に流れる思いは同じだ。

三日月大造さんがJR運転士だった頃の手作りの運転メモ。速度調整や制限速度などが書き込まれている
三日月大造さんがJR運転士だった頃の手作りの運転メモ。速度調整や制限速度などが書き込まれている
その他の写真を見る(5/6枚)

■ローカル線、みんなで乗って残そう

 山口県の岩国駅勤務を経て、適性検査や訓練をクリアし、広島運転所の電車運転士に「転身」したのは平成8年。乗務区間は中国地区の山陽線、呉線、可部線。「親方」と呼ぶ先輩に師事し、技術を磨いた。とくに運転に気を使った区間があった。貨物列車が通る際、最後尾に連結された別の機関車が後押ししないとのぼれないほどの勾配がある難所。関係者は「セノハチ(広島県の瀬野-八本松間)」と呼んでいる。電車の場合、下りでのブレーキのかけ具合が難しい。「『親方』を見習って、あの屋根が見えたらブレーキをかけるとか、いろいろ工夫しました。天気や乗客の数、形式が同じでも車両によってもブレーキのタイミングが違うので、経験や応用が必要でした」

 現在でも大切に持っているメモがある。それは手作りの運転マニュアルだ。速度やカーブ、勾配の具合など、気づいたこと、教えられたことを綿密に書き込み、運転に役立てた。「親方」は厳しく指導してくれた。「あるとき、運転席から軽い気持ちで飛び降りたら、怒られました。けがをしたら誰が運転するのか。階段も手すりを持て」と教えられた。まさに職人肌。しかし、配属されたばかりのころ、「親方」をはじめ、先輩たちとは溝があったという。運転士の詰め所で忘れられない出来事があった。

 「お茶があったので『いただきます』と飲もうとすると、だめだと。『それは俺らのお茶や』と言われました。そのお茶は、私が入っていたのとは違う組合が購入したものだったからです。そのほか、組合が違えば、全く会話をしないというのも普通でした」。当時、広島運転所は、三日月さんが所属していたJR西日本で多数派の組合の運転士は少なく、それ以外の組合の運転士が大多数だった。将来的に労務管理をやりたいと思っていたため、経験のために広島運転所の配属を希望したのだが、最初の1週間で後悔したという。

 「これではいけないと、積極的に先輩たちの不満を聞いたり、いろいろ教えてもらったりするうちに、先輩も『せっかく若いのが来たのだから』と言ってくれて、仲良くなりました」。その後、組合専従となり、14年に松下政経塾に身を投じる。組合活動で培った意識が政治家になるという思いを強くしていった。

JR勤務時代、三日月大造さんが乗務員養成所を修了した際の記念のメダル
JR勤務時代、三日月大造さんが乗務員養成所を修了した際の記念のメダル
その他の写真を見る(6/6枚)

 国会議員時代は国土交通副大臣などを歴任。知事になって現在2期目だが、滋賀県内では利用者の減少などにより、経営が困難となっている地域鉄道の存続問題が持ち上がっている。「行政だけで考えるのではなく、住民の皆さんや沿線事業所と合意を形成した上で、みんなで乗って残そう、盛り上げようという活動に、いかにつなげるかが大事だと思います」。JR西の社員として、鉄道の持つ社会的使命、公共的な役割を知った。国会議員として、鉄道をどう活性化させるかという法律の制定に関わった。そして知事として、政治家への道を開いてくれた鉄道の課題に、真正面から取り組んでいく。

     ◇

【プロフィル】三日月大造(みかづき・たいぞう) 昭和46年生まれ、滋賀県出身。県立膳所高、一橋大を経て平成6年、JR西日本入社。駅員、運転士、営業などの業務に就いた後、JR西労組中央本部青年女性委員長などを歴任し、14年に松下政経塾入塾。15年、衆院選に初当選。国土交通副大臣などを務めた。4期目途中の26年、滋賀県知事に就任し、現在2期目。

この記事を共有する

関連トピックス

おすすめ情報