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【一聞百見】GPS役たたず、相棒を食べ…生か死か80日間「極夜行」 探検家・ノンフィクション作家、角幡唯介さん(43)

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グリーンランドでの角幡氏(角幡唯介氏提供)
グリーンランドでの角幡氏(角幡唯介氏提供)
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 太陽が出ない厳冬期のグリーンランドを約80日間にわたって歩き「極夜行(きょくやこう)」を著した。同作は昨年、新設されたノンフィクション本の大賞を受賞、大佛次郎賞にも輝いた。「白夜と反対の世界、極夜に関心があった。暗闇とは何なのか本質をつかみたかったのです」。酷暑の東京で、思索する探検家に会った。(聞き手 編集委員・坂本英彰)

■暗闇はいずり恐怖と対峙

 角幡唯介氏は待ち合わせの公園に、膝丈ズボンとサンダル履きで現れた。日焼けした四肢は修行僧のように無駄な肉がない。落ち着いた目の前の人物と饒舌(じょうぜつ)な文体に、隔たりを感じた。「極夜行」は「システムが支配する日常世界からの脱出」を掲げて臨んだ。高尚な理念とは裏腹に〈美しすぎる八戸市議みたいな光景〉など、通俗的な表現が多い。そのせいか、週刊誌のようにすらすらと読めるのだ。

 「文章は可能な限りふざけた表現を意識して使っていました。闇とか光とか崇高なことを崇高に書くと宗教っぽくなるでしょ。まじめな内容をどう崩して表現するかを考えたのです」。思いがけない説明だった。抽象的な内容に読者を引き込む技法だったのだ。

膝丈ズボンで現れた角幡氏。「暗闇の本質をつかみたかった」と話した=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
膝丈ズボンで現れた角幡氏。「暗闇の本質をつかみたかった」と話した=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
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 北緯77度47分、先住民の集落としては世界最北のグリーンランド・シオラパルクをソリを引いて出発し、氷河を登り、氷床を歩き、同じ集落に戻る。北極点を目指すといったわかりやすい探検ではない。闇の世界に身を置くためになぜ、歩き回る必要があったのか。「テントに居続けたら単に『暗かった』で終わってしまうと思う。極夜をはいずり回るように移動し、自分がどこにいるのかもわからないくらいの経験をしないと、暗さの本質はわからないと思ったのです」

「私の命は犬に依存していると強く思った」と話す角幡氏=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
「私の命は犬に依存していると強く思った」と話す角幡氏=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
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 今日の探検家の標準装備であるGPS(衛星利用測位システム)をあえて拒んだ。緯度経度や距離を即座に示すGPSは人間を取り巻くシステムの強力かつ最新の装置で、闇の意味を帳消しにしてしまうからだという。意図的に自らを困難な状況に追い込んだのだ。とはいえ、しっぺ返しは大きかった。何度も襲われた闇夜の暴風雪は、「生存を脅かす」ほどの爆音を立てて迫ってきた。氷の世界で月は必ずしも助けにならず、淡い光は距離感を失わせた。極夜は肉体よりも精神的に人間を追い詰める。「蜘蛛(くも)の糸が切れてしまう感じ。生きて人間界に戻れないのではないかという恐怖によく襲われました」

角幡唯介氏の著書「極夜行」。大佛次郎賞などを受賞した
角幡唯介氏の著書「極夜行」。大佛次郎賞などを受賞した
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■相棒であり食料…極限の思考

 「極夜行」はノンフィクションだが「私」が前面に出ている。朝日新聞に5年間勤めたのに、客観性が基本の新聞とは対照的だ。風景も出来事も角幡氏の厚いフィルターを通して描かれ、それが作品独特の深い味わいとなっている。「記者をやめたころは客観的な書き方が格好いいと思っていましたが、変わってきたのです。自分とのかかわりなしに事実はありえないのだから『私』を明示すべきだと。自分の経験や認識は圧倒的に説得力がある。自分にとって、間違いがない事実なのですから」。フェイクニュースが氾濫するいまは、事実の概念が漂流している。自分にとっての事実に徹する作品は、「ノンフィクション」にもたらされた、新しい手法といえるかもしれない。そこに時代との不思議なシンクロを感じさせる。

 作品中、探検で唯一の相棒である犬との抜き差しならない関係も「私」の視点で描かれる。食料などを積んだソリを引かせ、ホッキョクグマが近づいたときにほえて危険を知らせる労働犬として連れて行くが、次第に精神的になくてはならない存在となっていく。角幡氏は人間のように犬に話しかけたり、怒りを爆発させたりする。犬もソリ引きをさぼったり、卑屈な態度を取ったりして飼い主との間合いをはかる。

 両者の関係はホッキョクグマに備蓄食料を奪われ、飢餓に陥る可能性が出てきたときに大きく変わった。万一の場合には、犬を殺して食べようと考え始めるのだ。「犬が食料になりうることを知識として知ってはいても、実際にそうなるとは考えたことがなかった。でも一度でも考えると、最終的に食べればいいと安心感が生まれた。同時に私の命は、犬に依存しているのだと強く思ったのです」

グリーンランドの太陽。極夜の後には強烈な光に見えた(角幡唯介氏提供)
グリーンランドの太陽。極夜の後には強烈な光に見えた(角幡唯介氏提供)
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 鋭利な刃物のように浮かぶ屠殺(とさつ)のイメージが「極夜行」の後半、強い緊張感を与える。オオカミの一部が犬に進化して人間との共生関係になったのはなぜなのか。躊躇(ちゅうちょ)なく食べる牛肉や豚肉と犬の肉は違うのか。机上ではできない身体感覚を伴った思索が、極限状態のなかで頭を駆け巡る。「極夜行の経験はどれも個人的なことだが、中途半端なものではない。私的なことでもどんどん突き詰めていけば普遍性の扉が開かれ、力を持って立ち上がってくると思うのです」

 北極圏といえば地球温暖化が重大なテーマであり、グリーンランドはその象徴的な地であるが、著作のなかではまるで無関心だ。「温暖化と言った途端に社会啓発的なモラルが付随してくることに抵抗があるのです。関連の現象は見ているかもしれませんが、私の内面に影響を与えるものではないから書く対象にはならない。いまの話題ではなくて、時代を経ても変わらないものを書きたい」。誰もが書きそうな定型の価値観には、興味がない。

GPSに頼ると「現在が切り捨てられる」と話す角幡氏 =東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
GPSに頼ると「現在が切り捨てられる」と話す角幡氏 =東京都千代田区(酒巻俊介撮影)
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■生か死か 「誕生」への原点回帰

 「人間を取りまくシステムの外側に出ること」。角幡氏は、探検とはそういうものだと考えている。システムとは法律やテクノロジーなど、網の目のように人の上に重なってくる常識的な枠組みだという。そこから「出る」とは何か。「昔は地図のない空白部がすなわちシステムの外であり、空白部に行けば探検だった。地理的な空白のない現代にどうやってシステム外に出るか。それが極夜世界をGPS(衛星利用測位システム)を持たずに歩くという方法だったのです」

 グリーンランドまで飛行機で行くのだから文明の利器に頼らないわけではないが、探検で何を使い、何を使わないかは突き詰めて考えた。特にGPSを持たないことにはこだわった。「GPSだとテントの中にいても自分の位置や目的地までの距離がわかり、カーナビでドライブするのと同じことになる。スピードと効率に縛られ、周囲の風景などほとんど意味をなさなくなってしまうのです」。それを角幡氏は「現在が切り捨てられる」と表現した。最短、最速ルートを示すカーナビ頼みのドライブは記憶に残らない。移動中の「現在」は、目的地にとって無意味なものとして切り捨てられてしまうのだ。

 「エベレストはツアーでおぜん立てされた登頂ができる。マニュアル化されシステムの内側に入ったのです。最高齢の登頂といった挑戦は探検というより、肉体のパフォーマンスを競うスポーツに近いでしょう」。効率や競争の枠外に出ようとする角幡氏の探検は、こうしたものとは違う。GPSの代わりとして、天体の位置を測って現在地を割り出す六分儀を使った。「地形を見て、地図を見て、六分儀で計測した値と照合する。このプロセスを経ることで、自分をまわりの世界に組み込むのです」。太陽も水平線も見えない悪条件だ。これらを克服する試行錯誤を経て本番に臨んだ。ところがあろうことか、歩き始めて間もなく、暴風で虎の子の六分儀を失ってしまう。身体的な危険は大いに増したが皮肉にも、探検の意義はより深まった。生きるか死ぬかという必死の状況下で必然的に、極夜の世界に深く入り込んだのだ。「極夜の果てに太陽を見たとき、何を思うだろう」。歩きながらそう考え続けたという。探検の終盤に暴風の中でふと浮かんだのが、長女を産む妻の出産に立ち会った情景だった。

 「いま自分は闇を通って光の世界に生まれようとしている子供と同じだ。そう思ったのです。極夜に引きつけられてきたのは出生を追体験したかったからだろうか。人間が抱える根源的な不安は誕生前の暗闇にあるのかもしれないと」。準備を含む4年以上にわたる営為を重ねて到達した洞察は、人の誕生といういわば原点への回帰であった。

     ◇

【プロフィル】角幡唯介(かくはた・ゆうすけ) 昭和51年、北海道芦別市生まれ。早稲田大政治経済学部卒、同大探検部に所属。15年朝日新聞社に入り富山支局などで記者。退社翌年の21年「空白の五マイル」を著し、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞など受賞。「極夜行」の探検は28年12月から翌年2月に実施。同作は大佛次郎賞を受賞。「雪男は向こうからやって来た」(新田次郎文学賞受賞)など著作多数。

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