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【一聞百見】歌手、さだまさしさん「日本人の“もてなしの心”を歌で共有したい」

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新アルバムのポスターを前に「歌をふるさとに返したかった」と話す、さだまさしさん =東京都港区(桐山弘太撮影)
新アルバムのポスターを前に「歌をふるさとに返したかった」と話す、さだまさしさん =東京都港区(桐山弘太撮影)
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 テレビにラジオ、コンサート。心に響く歌声と軽妙なトークで人気のさだまさしさん(67)が、20年ぶりとなるセルフカバー・アルバムをリリースした。生まれ故郷・長崎と心の故郷・奈良への思いを込めた「新自分風土記I~望郷篇~」「新自分風土記II~まほろば篇~」。昨年にはデビュー45周年を迎え、現在は精力的にコンサートツアーを展開している。その半生と、歌や奈良に対する熱い思いを聞いた。(聞き手 岩口利一)

■心の故郷・奈良に歌を帰す

 ♪走る 火影 揺れる あふれる涙 / 燃える 燃える 燃える 松明(たいまつ) 燃える

 今年1月末、ギターを手に立ったのは「お水取り」で知られる行「修二会(しゅにえ)」が営まれる奈良・東大寺二月堂の舞台。本尊の十一面観音に向かい、作詞作曲を手がけた歌「修二会」を奉納した。DVDも収録。18年前、ともにテレビ出演した際に同寺の故・新藤晋海(しんかい)別当に勧められたことが現実になった瞬間だった。「『修二会コンサート』(昭和62年)のときから行に触れ、新藤別当からは『二月堂で歌いなはれ』と。自分ごとき小さな人間が、まさか二月堂で歌を奉納する日が来るとは…。不思議でしたね」

 大仏を前に心を打つ名曲「償(つぐな)い」も奉納。さらに、2月初めの深夜には春日大社本殿・中門前にも立った。ろうそくの炎が揺れる清らかな暗闇の中、響かせたのは映画「長江」の主題歌「生生流転」だ。「奈良を訪れると自分の根っこを、『ぼくはどこから来たんだろう』ということを思わされる」というさださん。

 さらに春日大社境内の飛火野で日中、春日山・御蓋山(みかさやま)に向かって「まほろば」を歌った。作ったのは40年ほど前。米国でレコーディングをした際に「自分の国を見つめ直したい」という気持ちになり、古都・奈良にひかれるようになった。「遙かなる自分の魂というか、奈良の風景を借りながら単なる恋愛歌で終わらない風景探しをしようと思いました」

 今回のツアーも、全国各地で美声を響かせている。「この町でこんなことを思い、こんな歌を書きました、というのが『新自分風土記』。歌をふるさとに帰したかった」

■お客さまが返してくれた35億

 「実は歌手になろうと思ったことはありません。作曲家にはなれるかな…と思ったけど。歌詞も書いているうちにそれが仲間にはやり、その延長線上です」。3歳8カ月のとき、「何か楽器をやってほしかった」という母の思いからバイオリンを習い始め、プロの音楽家を目指す教育を受けた。小学校卒業後に上京。中学に通いながらバイオリン修業に励んだものの進学を前に自身を見つめ「バイオリンは無理だとあきらめた。『青春の蹉跌(さてつ)』というやつで、自分で転びました」という。

「『応援してきて良かった』と思ってもらえる活動を」と意欲的なさだまさしさん =東京都内(桐山弘太撮影)
「『応援してきて良かった』と思ってもらえる活動を」と意欲的なさだまさしさん =東京都内(桐山弘太撮影)
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 一方で、ギターを手にする機会に恵まれた。加山雄三さんにあこがれ、「君といつまでも」を弾き語りで歌った。さらに自分で歌を作り、友人に聞かせてみた。「『いい曲じゃん。天才だよ!』といわれ、その言葉が人生を変えたのかもしれません。こんなに音楽って喜んでもらえるんだなあ…と思ったのが、歌作りにはまる第一歩だったのでしょう」

 こうした体験がシンガー・ソングライターの道に進む転機となる。国学院大に進んだが中退し、長崎に帰郷。友人の吉田政美さんと「グレープ」を結成、コンサートを開いたことが関係者らの注目を集めた。「まさにシンデレラストーリーでした」と振り返る。

 2作目の「精霊流し」が大ヒット。「一躍寵児(ちょうじ)に祭り上げられた。相棒と、『これが芸能界だぞ、すぐ終わる。ブーム、ブーム』と言ってました。それがまさかこんなに長く歌うことになるとは…。有り難い一方で奇妙な気持ちです。当時はギターも歌も下手で恥ずかしかったです」

 「グレープ」は数年で解散したものの、間もなくソロ活動を開始。コミカルな「雨やどり」が、さらにその後「関白宣言」が大ヒットした。「あのころは自分を見失うくらい売れていました」「『関白宣言』とは別方向に行きたかった」とも。逃げるような気持ちで祖父らが生きた中国へ渡った。その大地で取り組んだのがドキュメンタリー映画「長江」の撮影だ。ところが結果的に利子を含めて約35億円という借金を抱えることになった。

 現実離れした額に「まるで人ごとでした。人生にガラガラガラとシャッターが下りてきた感じ。仲間から『お前の音楽を殺したくないから自己破産しては』という意見もあったが、『もうだめだというところまでやらしてくれ』とスタッフに頼みました」。それから年間100回以上のコンサートを行うなどして借金を返済。2日に1回程度のペースだった年もあるというから驚きだ。

 30年ほどで返すことができたことに「お客さまが返してくれた」と感謝するとともに、「声が悪くなり歌いたくなかったのでトークを磨いた。『さだはしゃべってばっかりだ』といわれるようになったのはそのころからなんです」。

■歌の匠になりたい

 これまでのコンサート回数は4395回を数え、記録を更新中だ。ギターに乗せる物語性に富んだ歌、軽快なトーク、バイオリン演奏…。「できること全部をやっています」というコンサートは、悲哀とユーモア、メッセージ性に満ちて、年齢や性別にかかわらず全国の幅広いファンに大人気だ。チケットは全国で完売になるという。

さだまさしさん。「『応援してきて良かった』と思ってもらえる活動を」と意欲的 =東京都内(桐山弘太撮影)
さだまさしさん。「『応援してきて良かった』と思ってもらえる活動を」と意欲的 =東京都内(桐山弘太撮影)
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 そんな大スターは昨年、デビュー45周年を迎えた。「(これまでの人生を)『もう一回やれ』といわれたら丁重にお断りします。それくらい大変だった。落ち込まずに明るくやってきた感じです」

 そこで新たに掲げたのが「Reborn(リボーン)」という目標。「人間って間違ったこともする。生まれ変わるのは無理でも、生き直すことはできるんじゃないか…」。以前の借金を背負った人生はこりごりだが、これまでとは違うスタートを切りたいという。では、どんなことに取り組みたいのか。

 「大借金の中を生き抜いてこられたのはお客さんのおかげ。何をお返しすればいいのか、問うことがテーマです。もう一つは、『さだまさしはこんなふうに歌いました』、後のミュージシャンが『これいいじゃん』と思ってくれるようなカタログ作り。あとは歌ったことのない風景や境地を形にしていきたい」

 「精霊流し」「関白宣言」「案山子(かかし)」「風に立つライオン」…。数々の名曲はテーマとそれにかなう言葉、メロディー、歌い方を選び抜いたたまものだ。「『こいつがいなくなればこの技術はなくなる』といわれるような職人になりたい」「作詞、作曲、演奏ももっとうまくなりたい」と、いまなおひたむきな思いを持ち続ける。そんな匠の技が生み出す歌を通じて、とりわけ今の社会に伝えたいメッセージとは…。

 「ホスピタリティー(思いやり、もてなしの心)が日本人の大切な精神構成要素だと思います。これを歌で共有することができれば、人にも優しくなれるでしょう」。たとえばと聞くと「日本人は徹底して追い詰めず、逃げ道をつくるようなことをしますよね」。

 その代表例として挙げるのは奈良・吉野という土地。神仏が宿る山岳地帯には、大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)ら歴史上の人物が逃げ込んで再起を図ったことが知られている。「生き直すことを歓迎するという究極のホスピタリティーが日本にはある気がする。それを『ぼくたちはこうだよね』と確認するような歌を歌えれば」

 再来年に10年となる東日本大震災の被災地にも目を向ける。「まだ復旧もできてないところもあるが、東北の人たちの気持ちを受けて復活祭のようなことができないかと動いています。少なくとも佐渡裕さん(指揮者)と笑福亭鶴瓶さん(落語家)とぼくの3人を軸に企画する予定です」

 若い世代にもバトンをつなぎたいとも。「ホスピタリティー」のいっぱい詰まったイベントが期待できそうだ。

     ◇

【プロフィル】さだまさし 昭和27年、長崎市生まれ。同48年にフォークデュオ「グレープ」でデビュー。その後、ソロ・シンガーとして活動を始め「関白宣言」など数多くのヒット曲を生み出した。コンサートは通算四千数百回を数えるほか、小説家としても活動し「解夏(げげ)」などの作品は映画化、テレビドラマ化も。今年5月にセルフカバーアルバム「新自分風土記」2タイトル(映像DVD付きも)を発売。平成27年設立の「風に立つライオン基金」では被災地支援活動などを展開。

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