PR

【一聞百見】佐渡裕さん今夏も被災地へ、鎮魂の演奏会を子供らと 兵庫県立芸術文化センター芸術監督

PR

東日本大震災の津波による犠牲者が眠る海に向かい鎮魂の演奏をする佐渡裕さんとスーパーキッズ・オーケストラ =平成23(2011)年8月、岩手県釜石市根浜海岸
東日本大震災の津波による犠牲者が眠る海に向かい鎮魂の演奏をする佐渡裕さんとスーパーキッズ・オーケストラ =平成23(2011)年8月、岩手県釜石市根浜海岸
その他の写真を見る(1/5枚)

 今年も鎮魂と復興への祈りを音楽に託す夏がやってきた。日本を代表する指揮者で兵庫県立芸術文化センター(西宮市)芸術監督の佐渡裕さん(58)。平成23(2011)年の東日本大震災や、平成28年の熊本地震などの被災地で鎮魂演奏会を続け、訪れた町は延べ50に上る。今年も地元の子供楽団「スーパーキッズ・オーケストラ」(SKO)を率い、岩手県の復興支援音楽祭へ-。国内外での多忙な演奏活動の合間をぬっての被災地行脚だ。その原動力はどこから来るのか、聞いてみた。   (聞き手 編集委員・北村理)

■音楽は心の空白を埋める

 阪神大震災が起きたのは平成7(1995)年。佐渡さんはその2年前に仏・パリのコンセール・ラムルー管弦楽団首席指揮者に就任していた。ちょうど京都で演奏会を指揮した佐渡さんは、被災地に心を残してパリにたつ。「デビューから5年ぐらいの自分に何ができるのだろうという迷いもあった」と胸の内を明かす。

 一方、恩師の小澤征爾さんは惨状生々しい被災地で演奏会を開いた。実は後に結婚した佐渡さんの妻が、避難生活のさなかその演奏会を聞き「音楽の力で笑顔になれた」という。佐渡さんは「音楽だからこそできることはある」と感じ始めていた。

 震災から6年後、心の復興を目指す芸文センターの芸術監督就任を貝原俊民・兵庫県知事(当時)から打診された。「自分にようやく役が回ってきたと非常に興奮したことを覚えている」という。平成17年のオープン後は毎年、阪神大震災の起きた1月に定期演奏会を開催。震災から15年を迎えた22年には、レクイエム演奏会を開いた。

 その翌年の3月11日、東日本大震災が起きる。阪神大震災の被災者に向き合ってきたはずなのに「大津波に町ごと流される無常さに言葉を失った」。実はこの年の5月に念願のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演を控えていたが、譜面を開くこともはばかられた。そんな気持ちを知人の歌手さだまさしさんにぶつける。さださんはこう述懐する。「佐渡さんが電話口で号泣するんですよ。『音楽家は無力だ』と」(25年12月23日産経新聞朝刊インタビューから)。

「東北や熊本の被災地で出会った人たちのことはいつも頭にある」という佐渡裕さん(恵守乾撮影)
「東北や熊本の被災地で出会った人たちのことはいつも頭にある」という佐渡裕さん(恵守乾撮影)
その他の写真を見る(2/5枚)

 ベルリンでの演奏会は成功。改めて被災地に向き合おうとした頃、岩手県釜石市から1通の手紙が届いた。約2千人が亡くなった大槌湾にある旅館の女将(おかみ)の岩崎昭子さんからだった。手紙には、家族が見つからず多くの住民がさまよう様子とともに「心の空白を埋めることに手を貸してほしい」とつづられていた。8月のお盆を迎える頃、佐渡さんはSKOの32人を率い被災地に向かった。

鎮魂演奏会を前に、震災犠牲者への思いを巡らす佐渡裕さんと岩崎昭子さん =平成23(2011)年8月、岩手県釜石市根浜海岸
鎮魂演奏会を前に、震災犠牲者への思いを巡らす佐渡裕さんと岩崎昭子さん =平成23(2011)年8月、岩手県釜石市根浜海岸
その他の写真を見る(3/5枚)

■平和願い指揮した師

 東日本大震災から約5カ後の8月。岩手県釜石市に佐渡さんと子供たちの姿があった。佐渡さんに手紙を書いた女将、岩崎昭子さんが経営する同市根浜海岸の旅館は津波の直撃を受け、4階のうち2階までが浸水し、鉄骨はむき出しだった。余震が続いていたが、傷跡生々しい旅館に佐渡さんと子供たちは宿泊。翌朝、旅館の前の松林に集まり、多くの犠牲者が眠る海に向かって黙祷(もくとう)。地元の人々が見守るなか、祈るような静かな演奏を披露した。佐渡さんはここを「聖地」と呼び、毎年祈りをささげている。

 今年で9回目を迎える演奏会。8月4日まで岩手県の復興音楽祭「さんりく音楽祭2019」(佐渡さんの出演は3日まで)として開催。佐渡さんは3日の久慈市でのコンサートで、初めて警察や自衛隊の音楽隊とジョイントし、合唱団やSKOと合わせ約140人を指揮する。

 すでにその視線は再来年、東日本大震災から10年となる令和3(2021)年を見据えていた。「傷跡の大きかった沿岸部をさらに勇気づけるために、さだまさしさんらと協力し、次世代を担う高校生ら若者を主体として、まちとまちの垣根をこえた大イベントを考えたい」と構想を練る。

 脳裏には女将、岩崎さんの苦境がある。被災した旅館は復旧したが、借金返済に追われる。「沿岸部の人たちが共通して抱える問題だろう」。復興の姿が見えるようで見えない日々だが「僕たちが毎年演奏会に訪れることを楽しみにしてくれている人々がいる限り、演奏会は続けようと思う」と決意は固い。

 佐渡さんがこれほど音楽と社会との関わりを意識するのはなぜか。そこには“師”、レナード・バーンスタイン(1918~1990年)の影響があった。「ウエストサイド物語」の作曲など、20世紀を代表する指揮者とされるバーンスタインは終生、平和を希求したことで知られる。その最晩年の3年間をともに過ごした佐渡さんは「良い音をつくることが人に元気を与え、一緒に泣いたり喜んだりできることにつながると気づかされたのはまぎれもなくバーンスタインの影響だと思う」という。

 自叙伝的著書『バーンスタインわが音楽的人生』(平成24年、作品社)を翻訳した元産経新聞記者の岡野弁さんはこう評した。「セイジとユタカのヒューマニストぶりはバーンスタインゆずりだ」

「スーパーキッズ・オーケストラ」の演奏を指導する佐渡裕さん。「聞く人の心に届くように」と語りかける =神戸市長田区(恵守乾撮影)
「スーパーキッズ・オーケストラ」の演奏を指導する佐渡裕さん。「聞く人の心に届くように」と語りかける =神戸市長田区(恵守乾撮影)
その他の写真を見る(4/5枚)

■音楽のワクワク、子供らに

 「耐え難い経験をした人をも音楽で心をときほぐせること、そして、日本に生きている限り無常だけれど災害とは無縁でないことを知って、人生を考える糧にしてほしかった」。佐渡さんと毎年、東北で鎮魂演奏会を続けているSKOは、小学生から高校生までが在籍する子供楽団だ。芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターには、3年で楽団員が卒業していく育成型の管弦楽団(PAC)もあるが、演奏会に赴くのが子供のSKOである理由はそこにある。被災地での体験を通じて子供たちは表現力が増し、芸術系で最難関の東京芸術大への進学者が増えたり、医学部に進学した子供もいるという。音楽を通じて得た経験が、人生の指針となることもある。

 「残されたエネルギーと時間を教育に捧(ささ)げたい」。バーンスタインが、亡くなる4カ月前の平成2年6月に来日した際のスピーチだ。この年、バーンスタインの提唱で日本初の国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」(PMF)が札幌市で始まった。そして、バーンスタインは佐渡さんの才能を見いだしたのだ。「小澤征爾さんの成功で日本人にも音楽を理解し海外のオーケストラをまとめる力があることをバーンスタインは確認した。その小澤さんとも違う面白さを僕に感じたのでしょう」と佐渡さんは控えめに語る。

 こうして薫陶を受けた佐渡さんが教育にかける思いは熱い。「佐渡学校」ともいえるPACの卒業生は約200人、SKOは約100人にのぼる。「彼らに接するなかで僕自身が夢を語っているか、自問自答している。バーンスタインいわく僕は『泥のついたジャガイモ』。泥を取ったら世界中の人が食べるようになるということらしい。この言葉を頭の片隅に置いている」と笑う。

「若い人に負けないようにいつまでも夢を語っていたい」と話す佐渡裕さん =神戸市長田区(恵守乾撮影)
「若い人に負けないようにいつまでも夢を語っていたい」と話す佐渡裕さん =神戸市長田区(恵守乾撮影)
その他の写真を見る(5/5枚)

 夢を語るひとつの方法として、佐渡さんは1冊の絵本『はじめてのオーケストラ』(平成28年、小学館)を書いた。愛娘(まなむすめ)が小学生となり、コンサートに入場できるようになった喜びをつづっている。「僕もおめかしをして母親にコンサートに連れて行ってもらったわくわく感はいつまでも忘れない。多くの奏者がかなでる音楽のすばらしさと、客席にいる人たちとの一体感は何にも代え難い。そんな体験を多くの子供たちにしてほしいと願って書いた」

     ◇

【プロフィル】佐渡裕(さど・ゆたか) 昭和36年京都府生まれ。京都市立芸術大卒業。1987年米国タングルウッド音楽祭で世界的指揮者のレナード・バーンスタイン、小澤征爾に見いだされる。89年仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝しプロデビュー。95年レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール優勝。TV番組「題名のない音楽会」司会で知られ、2011年にはベルリン・フィルを指揮。15年からオーストリア・トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督。著書に「棒を振る人生~指揮者は時間を彫刻する~」(PHP)など。

この記事を共有する

関連トピックス

おすすめ情報