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【一聞百見】アカンかった人のバームクーヘン立志物語 クラブハリエ社長兼グランシェフ 山本隆夫さん(47)

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「楽をしたくて洋菓子部門に…アカン人でした」と話す「クラブハリエ」山本隆夫社 =滋賀県近江八幡市のラコリーナ近江八幡(永田直也撮影)
「楽をしたくて洋菓子部門に…アカン人でした」と話す「クラブハリエ」山本隆夫社 =滋賀県近江八幡市のラコリーナ近江八幡(永田直也撮影)
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 やわらかく、しっとりとして味わい深いバームクーヘンで人気を集める洋菓子メーカー、クラブハリエ。現在、デパ地下を中心に全国で22店舗を展開し、その勢いは止まらない。平成27(2015)年には本社がある滋賀県近江八幡市にお菓子のテーマパークともいうべき「ラ コリーナ近江八幡」を開業。昨年は約311万人が訪れ、県内一の集客力を誇る施設に。驚くべき成長ぶりだが、同社をここまで育て上げた山本隆夫社長兼グランシェフの半生はさらなる驚きに満ちていた…。   (聞き手 編集委員・岡田敏一)

■老舗の次男坊。ラクするため、逃げて逃げて…

 デパ地下の洋菓子売り場をよく訪れる人なら、誰もが一度は目にしたことがあるはずだ。まるで巨大な丸太のようなバームクーヘンの周りに人だかりができている。一層一層、職人が丹念に焼き上げた丸太をつるし、顧客の目の前でカット販売するという斬新なスタイルが熱狂的に支持され、大人気となった。そんな画期的なビジネスで一躍、時の人になった山本社長だが、意外にも、過去の人生のほぼ半分は「つらいことから逃げ続けてきたアカン日々」だったという…。

 江戸時代に材木商からスタートした老舗の和菓子舗「たねや」の次男。「物心ついた頃から、お菓子の中で生活する環境で育ちました。和菓子部門を継ぐのは兄貴(昌仁(まさひと))氏、現・たねやグループ最高経営責任者)だと分かっていたので、何しようかな~と考えた末、デザイナーになろうかと…」。とはいえ、デザインの道で一旗揚げるつもりは、さらさらなかった。「楽(らく)したかったからです。勉強が嫌で、高校(県立信楽高校)もデザイン科。字より絵が多いから」

 そんなわけで高校時代は「そこそこヤンキーでしたよ」。父親は美大への進学を勧めたが「勉強は絶対嫌やったから、東京のデザイン専門学校に行きました」。ところが卒業を控えた1990年代初頭、バブル経済が崩壊し、就職に失敗する。仕方なく実家に戻り、和菓子の仕事を手伝ったが「栗まんじゅうの焼き加減を見たり、ちまきの葉っぱをタオルで拭いたり…。何でこんなことせなあかんねんと、3日で辞めました」。

やわらかさが自慢、クラブハリエのバームクーヘン
やわらかさが自慢、クラブハリエのバームクーヘン
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 結局「楽できるから、洋菓子部門で働くことにしたんです」。昭和26(1951)年にできた洋菓子部門はまだ小さく、仕事は楽だった。社長の息子でもあり、つらく当たられることもなかった。「夏は昼で仕事を終え、甲子園に野球を見に行ったり、冬はスノーボードに熱中したり」という怠惰な日々が7、8年続いた。「楽するために、逃げて、逃げて、逃げ続けてました。自信持って言えます。アカン人でした」。ところがその後、そんなアカン人生を一変させる出来事が起きる…。

お菓子に囲まれて育った中学時代の山本隆夫さん(本人提供)
お菓子に囲まれて育った中学時代の山本隆夫さん(本人提供)
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■悔しさバネに「絶対、売ったる」

 さしたる目標も将来設計もなく日々を過ごしていたが、ひょんなことからケーキづくりの技術を競う西日本のコンテストに出場することになった。自信はあったが、結果はまさかの11位。「当たり前ですよね。研鑽(けんさん)を積んだ職人の技に勝てるわけがない」。優勝者に「どうやったら、こんなん作れんの?」と尋ねたら、全く無視された。「その時、生まれて初めて悔しいと思ったんです。絶対この男に勝って、見返してやろうと誓いました」

 その日から、技術を磨く日々が始まった。23歳から1年間、鎌倉の有名な洋菓子店「レザンジュ」でも修業した。ところがある日、総務部長がこう言った。「洋菓子部門は赤字やのに、夜に光熱費使って、材料費無駄にして、練習するのはやめてほしい。何もせんと、じっとしててくれた方が助かりますねん」と。今度はヤンキー魂に火が付いた。「そこまで言うか。そしたら洋菓子部門、絶対、黒字にしたる!」

 練習は一切やめて、商品の種類から原材料費に至るまで、全てを吟味(ぎんみ)し、見直した。平成7(1995)年、洋菓子部門としてのクラブハリエが設立された頃だった。努力のかいあって、モンブランが大ヒット。「たねやは洋菓子もええで、と評判になった」。平成9年、近鉄百貨店草津店(滋賀県草津市)に出店。平成11年、ついに関西のデパ地下を代表する阪神百貨店梅田本店(大阪市)への出店が決まったが、阪神の担当者は「おたくで一番売れているモンブランを出してほしい」と注文してきた。

 しかし山本さんはこう言った。「うちはバームクーヘンを売ります」。阪神の担当者は笑った。「そんなもん、売れるはずないでしょ」。実際、当時のバームクーヘンは引き出物として配られることが多く、数カ月持たせるため食感もパサパサで、人気がなかった。「でも、うちのバームクーヘンはしっとりやわらかだから、絶対、売れる自信があったんです」

ガラス張りの工房で人気のバームクーヘンが焼き上がる=滋賀県近江八幡市のラコリーナ近江八幡(永田直也撮影)
ガラス張りの工房で人気のバームクーヘンが焼き上がる=滋賀県近江八幡市のラコリーナ近江八幡(永田直也撮影)
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 結局、父親の口利きで、阪神側から妥協案が示された。「1週間で結果を出してください。1日の売り上げ目標は50万円です」。ヤンキー魂が燃え上がった。「見とれよ。絶対、バームクーヘン売ったる!」

「ライバルはディズニーランド」と笑う山本さん=滋賀県近江八幡市の「ラ コリーナ近江八幡」(永田直也撮影)
「ライバルはディズニーランド」と笑う山本さん=滋賀県近江八幡市の「ラ コリーナ近江八幡」(永田直也撮影)
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■ライバルはディズニーランド

 自信はあった。「お菓子に囲まれて育ち、おやつは栗まんじゅうやカステラの端っこでしたが、唯一、食べ飽きなかったのがバームクーヘン」だったからだ。「幼い頃、工場にあったでっかい丸太状のバームクーヘンにこっそりかぶりついてよく怒られました。歯形が付いててね(笑)。僕でさえそうなんやから、普通の人はあの丸太を見たら絶対、かぶりつきたくなるはずですよ」

 オープン初日、店頭に巨大な丸太状のバームクーヘンを数十本持ち込み、端からどんどんカットして、行き交う客に試食を勧めた。「とにかく配りまくりましたね。採算度外視」。読みは的中。人々は巨大な丸太に圧倒され、やわらかくしっとりした味わいに魅せられた。4分の1の大きさで500円のものがどんどん売れた。

 初日の売り上げは64万円で目標を突破。しかし阪神の担当者は「隆夫さん。初日の売り上げなんか目標超えるの当たり前ですわ」。また燃えた。「覚えとけよ~」。さらに配りまくり、ますます売れた。「初日から現在に至るまで、売り上げはずっと右肩上がりです。赤字続きのお荷物だった洋菓子部門(クラブハリエ)は阪神への出店以降、黒字転換しました」

 昨年度の年商は88億円。バームクーヘン効果で、たねやグループ全体では一昨年度、年商200億円の大台を突破した。追い風に乗り、平成27年、近江八幡市に「ラ コリーナ近江八幡」を開業。翌年、本社をここに移転させた。JR近江八幡駅から車で北に十数分。「自然に学ぶ」という、たねやの社是を具現化し、広さは東京ドームのグラウンドの約9倍にあたる約3万7千坪(約12万1500平方メートル)。屋根にまで草が茂り、宮崎アニメの世界を想起させるほっこりした雰囲気の建物の中には和・洋菓子の販売店のほか、飲食店や農場が。平日には約1700人、土・日には約3千人が詰めかける。外国人観光客も多い。

 「地域貢献の一環です。過疎化を止め、街の発展にひと役買いたいとの思いを込めた」と胸を張る。かつての「アカン人」は、講演や取材依頼が殺到する気鋭の経営者になった。「振り返れば、あのコンテストで僕を完全無視した優勝者には感謝しかありません。あの時の悔しさがなければ、今の僕はなかった」。その言葉に偽りはない。「趣味? 仕事ですね。休みがあれば全力で寝ます。ライバル? 洋菓子メーカーではなくて、ディズニーランドです」と力を込めた。

     ◇

【プロフィル】山本隆夫(やまもと・たかお) 昭和47(1972)年、滋賀県近江八幡市生まれ。150年近い歴史をもつ和菓子舗「たねや」3代目の次男。平成7(1995)年、クラブハリエの設立と同時に役員に。平成14年、常務取締役兼、同社のシェフを統括する最高責任者「グランシェフ」に。23年、社長に就任。

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