PR

【一聞百見】歌舞伎俳優・中村鴈治郎さん(60) 大阪の顔、上方歌舞伎に笑いと涙を

PR

 大阪の人たちは、「鴈治郎」という名前に特別な愛着がある。道頓堀で活躍した戦前の名優、初代中村鴈治郎以来、代々の鴈治郎を「がんじろはん」と親しみを込めて呼んできた。そこには大正から昭和初期にかけて大阪が繁栄した「大大阪(だいおおさか)時代」へのノスタルジーもあるのではないだろうか。当代の鴈治郎さんは平成27年に四代目を襲名、精力的に上方歌舞伎の隆盛に力を尽くしている。「大阪の人は僕が歩いていると声をかけてくれる。それがうれしいなあ」。温かな笑顔は、まさに大阪の顔。   (聞き手 編集委員・亀岡典子)

     ◇

 大阪・道頓堀の松竹座「七月大歌舞伎」で27日まで上演中の「色気噺お伊勢帰り」。ちょっととぼけた左官の喜六(鴈治郎)と二枚目の大工、清八(中村芝翫(しかん))コンビが巻き起こす騒動に場内は笑いの渦となった。松竹新喜劇のレパートリーを歌舞伎に移し替えた新作歌舞伎。鴈治郎さんが自ら企画、取り組んだ作品だ。「昔から、なんで関西には歌舞伎の人情喜劇がないんやろうと不思議に思っていたんですよ。東京には江戸落語をもとにした『人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)』などがあるのに、笑いの本場の関西にはない。ないんやったら作ったらええやんって思ったんです」

「上方のお芝居は人間くさい。そこが深くておもしろい。これからも追求していきたい」と話す中村鴈治郎さん=大阪市中央区の大阪松竹座(前川純一郎撮影)
「上方のお芝居は人間くさい。そこが深くておもしろい。これからも追求していきたい」と話す中村鴈治郎さん=大阪市中央区の大阪松竹座(前川純一郎撮影)
その他の写真を見る(1/5枚)

 幸い上方には松竹新喜劇という宝の山がある。歌舞伎化したい作品はたくさんあった。その第1弾が平成17年に初演された「幸助餅(こうすけもち)」。今回が第2弾だ。松竹新喜劇を歌舞伎にするにあたり、新喜劇の黄金時代を築いた藤山寛美さんの娘で女優の藤山直美さんの楽屋を訪ねた。「新喜劇の作品を歌舞伎化させてもらいます」と話したところ、「やって、やって。いくらでもやって」と言われた、と破顔一笑。「上方歌舞伎のレパートリーを増やしていきたい。笑いがあって涙があって、歌舞伎が初めてでも楽しめる作品。それが関西の歌舞伎ファンを増やすことにつながるならうれしい」

 27年に「鴈治郎」の名跡を四代目として襲名して以来、関西への愛着は増すばかり。新しい上方の人情喜劇を創作することもその一つだが、屋号も、東京の「成駒(なりこま)屋」と区別する意味で「成駒家」に改めた。大阪のイベントへの参加依頼や大阪についてのコメントを求められることも多くなった。「それが、鴈治郎という名跡を襲名したということかなあ」としみじみ。

七月大歌舞伎で上演中の「色気噺お伊勢帰り」の一場面。女にもてない喜六(中村鴈治郎(左))と二枚目の清八(中村芝翫)コンビが巻き起こす騒動が笑いのなかに描かれる =大阪市中央区の大阪松竹座(松竹株式会社提供)
七月大歌舞伎で上演中の「色気噺お伊勢帰り」の一場面。女にもてない喜六(中村鴈治郎(左))と二枚目の清八(中村芝翫)コンビが巻き起こす騒動が笑いのなかに描かれる =大阪市中央区の大阪松竹座(松竹株式会社提供)
その他の写真を見る(2/5枚)

 実は鴈治郎さんは東京育ち。父は文化勲章受章者で人間国宝の坂田藤十郎さん、母は元参議院議長の扇千景さん。京都生まれだが、幼い頃、東京に引っ越した。大学は慶応。普段の言葉も標準語だった。だが曽祖父の初代鴈治郎以来、代々上方の顔として活躍する成駒家に生まれた運命は、上方歌舞伎への思いを深くしていく。「上方歌舞伎に出てくる二枚目は色男であっても三枚目の要素があって人間くさい。お芝居もリアルで写実的。そういうお芝居に引かれますね」

 十数年前から大阪市内に家を持ち、襲名を機に住民票も大阪に移した。「松竹座には地下鉄で通っています。大阪の友人もたくさんできたし、情が厚くていい街ですよね」

 ■学業優先、稽古の仕方も知らず

 上方歌舞伎の名門に生まれながら、いわゆる歌舞伎の御曹司とは違った青春時代を送った鴈治郎さん。普通なら子役の頃から舞台に出演し、日本舞踊や三味線など歌舞伎俳優に必要な習い事をする。「ところがうちは、母(扇千景さん)が学業優先の考え方だったので、学生時代はほとんど歌舞伎の舞台に出ていません。習わせられたのは三味線ではなくピアノ。大学生になったらアルバイトもしました。相当変わっていたんじゃないかな」。アルバイトではプールの監視員やバーテンダーも。「そうそう、母の選挙の時じゃないですが、選挙カーの運転もしましたよ」

 歌舞伎俳優であっても一般の学生と同じ生活をし、歌舞伎界以外の友人も作る。扇さんは子供たちにそういう教育をしたのだ。大学生活を謳歌(おうか)していた鴈治郎さんだったが、問題はその後、起こった。「卒業後、本格的に歌舞伎の世界に入ったとき、本当に何もできなかったんです。これは大変なことになった、と思った」。そんなとき、叱りながらも丁寧に指導してくれたのが十代目坂東三津五郎さんであり、落ち込んでいる鴈治郎さんを慰めてくれたのが、十八代目中村勘三郎さんだった。「お二人がいなかったらどうなっていたか、わかりません」としみじみ。

ハワイで休日を楽しむ中村鴈治郎さん(右から2人目)一家。右から坂田藤十郎さん、鴈治郎さん、中村壱太郎さん、吾妻徳穂さん、扇千景さん(提供・中村鴈治郎)
ハワイで休日を楽しむ中村鴈治郎さん(右から2人目)一家。右から坂田藤十郎さん、鴈治郎さん、中村壱太郎さん、吾妻徳穂さん、扇千景さん(提供・中村鴈治郎)
その他の写真を見る(3/5枚)

 ところが、父の坂田藤十郎さんはあくまでも厳しかった。なかなか相手役に使ってもらえない。「封印切(ふういんきり)」でも藤十郎さんが演じる忠兵衛(ちゅうべえ)の悪友、八右衛門を演じたいと願っても一向に実現しない。「最初は父と顔が似ているから、いやなのかなあと思っていたんです。でも違った。父は、僕の芸に満足していなかったんです。親子であろうが関係ない。父はそういう人です」。ようやく八右衛門に指名されたのは平成26年、鴈治郎襲名の1年前だった。

 妻は、日本舞踊吾妻流宗家の吾妻徳穂さん。ジャンルは違えど同じ伝統芸能の世界。ときには互いの芸を批評し、アドバイスもし合う。「芸の上ではすごい人。信頼しているし批評も納得できることが多い。お互いに刺激になる」と笑顔を見せる。「長男の壱太郎(かずたろう)? ひょっとするとおふくろに似ているかな。なんでもかんでも背負い込んで後々大変なことになっているところなんか」。そんな壱太郎さんがいまや鴈治郎さんの恋人役や女房役を演じることも多い。「あまり急ぐなって言いたいですね。若いときはじっくり取り組めばいい」。苦労してきた道だからこそ、その言葉は重い。

「船乗り込み」の船上で、片岡仁左衛門さん(右)と談笑する中村鴈治郎さん=1日午後、大阪市中央区(安元雄太撮影)
「船乗り込み」の船上で、片岡仁左衛門さん(右)と談笑する中村鴈治郎さん=1日午後、大阪市中央区(安元雄太撮影)
その他の写真を見る(4/5枚)

■イメージ超え、なんでもやっていく

 今月、大阪松竹座「七月大歌舞伎」の「色気噺お伊勢帰り」で演じている左官の喜六役は、ある意味、衝撃的だ。どんぐりまなこに真っ赤な頬、女房に尻にしかれる、とぼけた三枚目。鴈治郎さんは貧乏で女性にもてない男の役どころをユーモラスに表現、思い切った役作りに驚かされた。というのも、「鴈治郎」は「上方の顔」の名跡であり、上方を象徴する存在。鴈治郎さんの曽祖父の初代鴈治郎は、亡くなったとき新聞の号外が出たほどの戦前の大スター。その風姿の良さから「頬かむりのなかに日本一の顔」(岸本水府)と川柳にまで詠われた。大阪人は、鴈治郎という名前に、そういうイメージを抱いてきた。

 ところが、当代の鴈治郎さんは、家の芸である「河庄(かわしょう)」の治兵衛や「封印切」の忠兵衛に代表される上方のはんなりした色男も演じれば、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」ではお家乗っ取りを企む女形の敵役、八汐(やしお)。「沼津」で演じたその日暮らしの老人足、平作のように、代々の鴈治郎が演じなかった役どころまで芸域はあまりにも幅広い。「あんなんまで、やってって思う人がいるかもしれない。鴈治郎のイメージではないと。でも僕は、なんでもやっていきたい。それが僕の道」

 それは、祖父の二代目鴈治郎に通じる精神でもある。二代目も、敵役から女形までさまざまな役を演じて、強烈な印象を残す名優であった。では、現代の歌舞伎界の最高峰の父、坂田藤十郎さんから教えられたことは何なのだろう。「父は『曽根崎心中』のお初のように千数百回演じてきたお役でも、毎回、まるで初役のように瑞々しく演じている。相手役をしながら、芝居って毎回こんなに新鮮にできるものかなと驚かされる。学ばねばならないところだと思っています」。

「色気噺お伊勢帰り」の稽古風景 =大阪市中央区の大阪松竹座(松竹株式会社提供)
「色気噺お伊勢帰り」の稽古風景 =大阪市中央区の大阪松竹座(松竹株式会社提供)
その他の写真を見る(5/5枚)

 今年、還暦を迎えたが、素顔も舞台も若々しい。つやのある肌やエネルギーにあふれた雰囲気など、とても60歳には見えない。「まだまだ弾けてやっていきたいですね」。夢は、上方系の俳優による座組で時代物の大作「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」を上方式の演出で上演すること。父、藤十郎が演じたように、忠臣蔵の男女七役早替(はやがわ)りにも挑みたい。「関西で歌舞伎がもっと多く上演されるよう、これからもいろんなことをやっていきたいですね。上方歌舞伎のおもしろさをもっと知ってもらいたい」。弾ける笑顔の先に、上方歌舞伎の明るい未来が見えた。

     ◇

【プロフィル】中村鴈治郎(なかむら・がんじろう) 昭和34年2月6日、京都市生まれ。42年、東京・歌舞伎座で中村智太郎を名乗って初舞台。平成7(1995)年、大阪・中座で五代目中村翫雀(かんじゃく)を襲名。平成27(2015)年1月、四代目中村鴈治郎を襲名した。立役(たちやく)(男役)を中心に女形まで芸域は幅広い。18年度の日本芸術院賞、令和元年、紫綬褒章を受章。屋号は成駒家。

この記事を共有する

おすすめ情報