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【外交安保取材】平成の国賓最多は韓国大統領 前半に集中

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 5月下旬のトランプ米大統領の来日は令和初の国賓として注目を集めたが、日米同盟のパートナーである米大統領の国賓待遇が、他国と比べ突出して多いわけではない。平成の31年間を振り返ると、国賓として招いた米大統領は3人。首脳級で最多となったのは、なんと韓国大統領の4回だ。ただ、日韓関係の歴史を象徴するように、この4回は平成の前半期間に集中し、後半は一度もない。

平成最初の国賓「韓国から」の声も

 いわゆる徴用工問題をめぐっては、韓国最高裁が昭和40(1965)年の日韓請求権協定を無視するかのように日本企業に損害賠償を命じている。慰安婦問題では、平成27(2015)年の日韓合意に基づき設立された「和解・癒やし財団」の解散を韓国政府が一方的に決めた。

 韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制レーダーを照射した問題では、謝罪することもなく、自分たちの行動を正当化している。

 昨年後半から起きた出来事を振り返っただけでも、韓国側が作り出した問題によって日韓関係が悪化の一途をたどっていることがわかる。にもかかわらず、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「日本が歴史問題を国内政治に利用している」と述べるなど、関係改善に乗り出す気配はない。

 もはや日韓関係はぎくしゃくしているのが当たり前という感すらあるが、平成が幕を開けた頃は、今では信じられないくらいの友好ムードがあった。平成最初の国賓は韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領にすべきだとの声が上がったほどだ。

 結局、リクルート事件による竹下登首相の辞任に韓国国内の混乱も重なり、盧氏の来日が予定よりずれ込んだことで平成初とはならなかったが、2年5月に国賓として日本を訪れている。

 昭和から平成に時代が変わった日本に、韓国で初めて民主的な手続きを経て誕生した大統領が訪れるとあって、当時は「日韓新時代」ともてはやされた。不幸な過去を清算すれば、両国が新たな一歩を踏み出せると考えられたようだ。

 盧氏と会見した当時の天皇陛下はこうお言葉を述べられた。

 「長く豊かな交流の歴史を振り返るとき、昭和天皇が『不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない』と述べられたことを思い起こします。わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味あわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」

 これに対し、盧氏は答辞でこう述べた。

 「歴史の真実は消されたり忘れられたりすることはありませんが、韓国国民はいつまでも過去に束縛されていることはできません。両国は真正な歴史認識に基づいて過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません」

 一度過去を清算すれば二度と振り返ることなく、新しい未来に向けて邁進(まいしん)する。そんな気負いすら感じさせるが、当時は韓国側にも、前向きな日韓関係を構築しようという意欲があったことをうかがわせる。

李明博政権から一変

 ただ、こうした韓国側の思いが、長期的な日韓関係の改善に結びつくとは限らない。5年8月に河野洋平官房長官が発表した談話がいい例だ。

 今では「河野談話」は、日本政府が公式に慰安婦の強制連行を認めたという誤解を世界に拡散させた元凶と認識されているが、当時はこの談話で「日韓関係は一歩前進した」と考えられていた。翌年、国賓として金泳三(キム・ヨンサム)大統領が来日したのが、その証しといえる。

 国賓は天皇の賓客として歓迎行事や宮中晩餐(ばんさん)会に出席するが、政治的権能を持たない天皇がその人選について、意見を述べることはない。内閣の責任で数年をかけて検討し、閣議で決定するのが通例だ。時の政権の思惑が入り込むのも、当然といえば当然といえる。

 韓国の3人目の国賓は10年の金大中(キム・デジュン)大統領、4人目は15年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領だ。この間、サッカー・ワールドカップ(W杯)の日韓共催もあり、両国関係はおおむね良好だった。

 盧泰愚氏から盧武鉉氏までの大統領はみな日韓関係をそれなりに安定させてきたが、盧武鉉氏を継いだ李明博(イ・ミョンバク)大統領は日本への挑発を繰り返した。李氏は24年8月、歴代大統領で初めて竹島(島根県隠岐の島町)への上陸を強行した。

 直後には当時の天皇陛下の訪韓に関し「韓国を訪問したいのなら、独立運動で亡くなった方々に対し心からの謝罪をする必要がある」と述べた。さらに2年の盧泰愚大統領来日時のお言葉を取り上げ「『痛惜の念』などという単語ひとつを言いに来るのなら訪韓の必要はない」とも語っている。

 その後の朴槿恵(パク・クネ)大統領も反日感情をあおり、日韓関係の改善には後ろ向きだった。現在の文氏は言うまでもない。このような日韓関係が続くかぎり、韓国大統領を国賓で招く機運は高まりそうにない。

=肩書はすべて当時(政治部 力武崇樹)

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