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【石野伸子の読み直し浪花女】美しき人 橋本多佳子(上)美貌の俳人 男の道を歩く

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帝塚山の奥様時代の橋本多佳子38歳。まもなく夫を亡くし俳句に打ち込む
帝塚山の奥様時代の橋本多佳子38歳。まもなく夫を亡くし俳句に打ち込む

 橋本多佳子(はしもと・たかこ)は戦後俳壇を代表する女性俳人だ。現在でも俳句雑誌に頻繁に取り上げられ、昨年、角川ソフィア文庫から文庫初の全句集が出た。橋本多佳子を語るとき、その美しさが常に取り沙汰される。美貌はときに女性の人生に複雑な陰影を与えるものだが、かつて大阪の帝塚山に住んだ美貌の奥さまは、世間の視線を恬淡(てんたん)とやり過ごし、見事俳句に自分を昇華させていった。その強さが改めて私たちを魅了する。どのように生きたのか。

 多佳子と俳句との出会い。これまた、美しい逸話に包まれている。

 多佳子は明治32(1899)年東京に生まれ、18歳のとき大阪の建築業橋本組の創業者の次男、橋本豊次郎と結婚した。2人は夫の赴任先の北九州・小倉で新婚生活を始めるが、11歳年上の夫は米国で建築を学んだ開明的な人物。響灘を一望する丘の上にしゃれた洋館「櫓山荘(ろざんそう)」を建て、多くの文化人と交流した。若き妻にはピアノや茶道の素養を身につけさせ、9年に及ぶ滞在で夫婦は小倉の文化サロンの中核的存在になった。

 当時、小倉に住んでいた10代の松本清張は、「そのころの小倉の町における多佳子さんは、少し大げさにいうと女王的な存在だった」と述懐し、後に直接会ったとき多佳子はすでに50代だったが「まるで三十代の若さと美しさ。魅力的な眼と唇、面長な顔だが、頬はほどよく豊かで下ぶくれ、色は透き徹るように白い」(『多佳子月光』)とあがめたてている。

 その小倉に高浜虚子が立ち寄り、櫓山荘で歓迎句会が開かれたのは大正11(1922)年3月25日のことだった。多佳子23歳。寒い日で暖炉に火が入り、暖まった室内で生けてあった椿がぽとりと床に落ちた。若き女主人がつと立ち上がり、椿を暖炉に投げ入れる。それを見た虚子が即吟した。

 「落椿投げて暖炉の火の上に

 暖炉の赤と椿の赤。一瞬燃え上がる炎。

 「いま聞いても美しい句だと思います。とっさの自分の動作がこんな句になることに感動したのでしょう。すぐに俳句を習いたいと夫に話したそうです。幸運な出会いですね」

 そう語るのは多佳子の四女で、長く母親の後を継いで結社「七曜」を主宰した橋本美代子さん(93)。美人四姉妹として知られる美代子さんもほっそりとたおやか、美しい。

 「みなさんよく母のことを美しいと言ってくださいますが、そんなことはまったくないと本人も思っていました。あるとしたら雰囲気でしょうか」

 さて、多佳子はその場にもいた地元の俳人、杉田久女の手ほどきを受けることになる。ここにもドラマがある。

 久女は今は高く評価される俳人だが、生前は俳句へのあふれる情熱が周囲と齟齬(そご)をきたし、師の虚子にも疎まれて悲運の人生を終えた人だ。久女は多佳子の才能を認め、時間を忘れて指導しようとするが、多佳子にとっては習い事の範囲、夫が帰宅しても居座る久女に困惑する。

 田辺聖子は久女の評伝小説「花衣ぬぐやまつわる…」でこの2人を注意深く対比させている。2人とも美貌の女人だった。自意識が高く不器用な久女は、男との付き合いもすぐに噂話にされた。一方の多佳子は「生来の順応力と洞察力で生活自衛的に周囲(とくに夫)の顔色を読み、敵を作らなかった」と。

 多佳子は久女に俳句の恐るべきこと、格調の高さを教え込まれたと述べている。

 昭和4(1929)年、多佳子は新しい出会いを得る。一家は夫の父の死に伴い大阪に帰り帝塚山に住んだが、折しもホトトギスの400号記念大会が大阪で開かれ、そこで久女に山口誓子を紹介されるのだ。

 誓子は多佳子より2つ年下、新興俳句の旗手として注目の俳人だった。かねて誓子の作風にひかれていた多佳子はその後、誓子の指導を受けることになり、生涯の師とし、本格的に俳句にのめり込んでいく。

 昭和16年、初めての句集「海燕(うみつばめ)」が刊行された。

 「若布(め)は長けて海女ゆく底ひ冥(くら)かりき

 「月光にいのち死にゆくひとと寝る

 後の句は38歳で夫を看取ったときのもの。硬質でクリスタルのような輝き。

 「女流作家には二つの道がある。女の道と男の道。橋本多佳子さんは、男の道を歩く稀な女流作家の一人である」

 誓子は句集の序文にそう書いた。今も昔もちょっと刺激的な言葉ではある。

 42歳で出したこの第一句集はしかし、「女誓子」と酷評され評判が悪かった。時代は戦争へとつき進む。多佳子はここから大きく飛躍していくのだ。   =続く

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【石野伸子の読み直し浪花女】「浪花女的読書案内」と題した冊子に

 産経新聞の夕刊(関西圏)でも好評連載中の「読み直し浪花女」が冊子になり、「浪花女的読書案内」として発売されている。連載は大阪ゆかりの作家の作品の中に浪花女像を再発見しようとスタート(夕刊では平成24=2012=年11月から)。山崎豊子、織田作之助、河野多惠子ら28人の作家を取り上げ、冊子では、この中から26人分を再編成している。

 ノーベル賞作家の川端康成は故郷・大阪をどう作品に埋め込んだか。野坂昭如はなぜ大阪時代を語らなかったか、林芙美子の絶筆はなぜ大阪だったのか。石野伸子産経新聞特別記者・編集委員が思いがけない視点から名作を解読する。

 92ページ、1500円(税込み、送料別)。冊子の申し込みは、名前、住所、郵便番号、電話番号、希望の冊数を明記し、はがき(〒556-8666(住所不要))▽FAX06・6633・2709▽電子メール( naniwa@esankei.com )―のいずれかで「冊子 浪花女的読書案内」係へ。産経新聞販売店でも申し込み可。問い合わせは、産経新聞開発(06・6633・6062、平日午前10時~午後5時)。

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【プロフィル】石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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