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【石野伸子の読み直し浪花女】黒岩重吾どん底からの凝視(4)天武天皇、推古女帝…「啓示」が古代史へ駆り立てた

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古代史小説の第一人者として数多くの作品を残した黒岩重吾=平成9(1997)年、西宮市の自宅
古代史小説の第一人者として数多くの作品を残した黒岩重吾=平成9(1997)年、西宮市の自宅

 黒岩重吾は50代に入って精力的に古代史小説を書き始める。いまや、そのジャンルの作家として評価が高いかもしれない。

 初めて手掛けたのは「天の川の太陽」。昭和51(1976)年に雑誌「歴史と人物」で連載を始め、足かけ4年に及んだ長編で、この作品は吉川英治文学賞を受賞するなど高い評価を得た。

 大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇)を主人公に、古代史最大の内戦といわれる壬申の乱に至るまでの10年余りを、当時の半島情勢などもからめながら大胆に描いている。

 物語は南紀の温泉場からスタートする。大海人皇子は母斉明天皇、兄の皇太子中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)ら一族で静養に来ていた。兄は一昨年まで大海人の恋人だった額田王(ぬかたのおおきみ)を連れてきており、深夜の岩風呂につかりながら2人の閨(ねや)に思いをはせ、心を乱す。

 「ふと未練にも似た思いが胸を掠めたが、大海人はそんな自分の女々しさに腹を立てた」

 兄は額田王と引き換えに、まだ13歳の自分の娘(後の持統天皇)を差し出す非情酷薄な人物。さらに、その背後には策士・鎌足がひかえている。いまはじっと待つしかない。もう一度熱い湯につかろうと思った矢先、有間皇子の謀反を告げる早馬が駆けつける…。

 生々しい書き出しから、一気に王位継承をめぐる7世紀の黒岩ロマンの世界に引きずり込まれる。

 以後、「紅蓮(ぐれん)の女王 小説推古女帝」「落日の王子 蘇我入鹿」「天翔(あまかける)る白日 小説大津皇子」「聖徳太子 日の影の王子」など話題作を矢継ぎ早に発表していく。

 昭和35年に書いた「背徳のメス」で一躍、社会派ミステリーの第一人者となった黒岩重吾は、なぜ古代史に手を染めたのか。

 「古代史への旅」などの語り下ろし作品でまとめ役をつとめ、文庫解説も多く手掛けている文芸評論家の清原康正さんは、黒岩重吾と古代史を結ぶ回路は3つあるとみる。

 第1は戦前、青少年時代の体験。堺市に住んだので百舌鳥(もず)古墳群周辺は遊び場だった。さらに奈良県立宇陀中学(現宇陀高校)に進学し、毎朝校長の神武東征説話を聞かされ、神武をまつる橿原神宮拡張工事の際は勤労奉仕に駆り出された。

 そして第2の回路は30年後、昭和42年に突然やってきた。執筆で疲れた神経を休めようとドライブにでかけ橿原神宮に立ち寄ったときのこと。啓示とでもいいたい体験をした。エッセーにこう書いている。

 「橿原神宮に着いたのは夕暮時で、二上山の稜線が夕陽に映え、畝傍山が紫赤色に染っていた。私は橿原神宮の樹林を眺めているうち、異様な衝動に襲われた。脳裡に長い間眠っていた神武が突然目覚めたのである。何故架空の天皇のために、私達は汗水流して働いたのか、その真実を追究せねばならない、と私は身体が慄えるほどの情熱を覚えた」(『私と日本書紀』)

 これは単に勤労奉仕のことだけを言っているのではない。その後の軍隊生活、強いられた歴史教育。それらが一気に脳裡に押し寄せ、自分でもう一度古代史を捉え直したいという強い思いになったのだと清原さんは考える。

 「日本書紀」や「古事記」を買い込み独学を始めた。当初は老後の楽しみ程度に思っていたが、昭和47年の高松塚古墳の壁画発見が第3の回路となる。明日香村はかつて古墳を豪にみたて軍事演習をした場所だ。あの豪の下に古代日本の真相が眠っていたとは。

 こうして3つの回路が一本につながり、古代史小説へと傾斜していった。

 「もともと、現代社会のひずみの中でうごめく人間の欲望と愛憎を凝視してきた作家。その冷徹な目で歴史資料の奥を読み取り、物語に紡いだ。正史からは決して伝わってこない古代人の息吹を感じさせてくれる。そこが黒岩古代ロマン最大の魅力」(清原さん)

 権力者を描いても英雄譚でなく、悲哀、逃れがたい業を好む。最初に大海人皇子を書いたのも、皇太弟でありながら兄に疎まれ、剃髪して冬の吉野に落ちて行く姿に、かつて落魄の身を釜ケ崎に寄せた自分自身を重ね合わせたからだと書いている。

 黒岩重吾は若いころに患った全身マヒの影響で、足が不自由だった。研究熱心な黒岩はその足で各地の古墳をたずねる。勾配のある場所は立って歩けない。そんなときは四つん這いになって前進したという。清原さんはその話を聞かされたとき、身体全体で古代をつかみ取ろうとする作家の執念を痛感した。

 まさに「どん底からの凝視」がここにある。   =この項おわり

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【プロフィル】石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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【石野伸子の読み直し浪花女】「浪花女的読書案内」と題した冊子に

 産経新聞の夕刊(関西圏)でも好評連載中の「読み直し浪花女」が冊子になり、「浪花女的読書案内」として発売されている。連載は大阪ゆかりの作家の作品の中に浪花女像を再発見しようとスタート(夕刊では平成24=2012=年11月から)。山崎豊子、織田作之助、河野多惠子ら28人の作家を取り上げ、冊子では、この中から26人分を再編成している。

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 92ページ、1500円(税込み、送料別)。冊子の申し込みは、名前、住所、郵便番号、電話番号、希望の冊数を明記し、はがき(〒556-8666(住所不要))▽FAX06・6633・2709▽電子メール( naniwa@esankei.com )―のいずれかで「冊子 浪花女的読書案内」係へ。産経新聞販売店でも申し込み可。問い合わせは、産経新聞開発(06・6633・6062、平日午前10時~午後5時)。

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