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【石野伸子の読み直し浪花女】複眼のコスモポリタン陳舜臣(5)中国の苦悩…虚実とりまぜ壮大な歴史「阿片戦争」

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昭和47(1972)年に初めて中国を訪れた陳舜臣は、翌年シルクロードを旅した。土産の民族楽器を抱えて
昭和47(1972)年に初めて中国を訪れた陳舜臣は、翌年シルクロードを旅した。土産の民族楽器を抱えて

 「阿片(アヘン)戦争」は陳舜臣43歳の作品だ。「枯草の根」でデビューして6年。新進作家として推理小説を書きまくる中で、3年間を費やして書き継いだ3千枚の大作。単行本にして3巻になる。

 超多忙な執筆活動の合間を縫っての書き下ろし。並々ならぬ思いで取り組んだのだろう。「阿片戦争」はその後のめりこんでいく中国歴史小説の第一作。本人も「私の原点」と語り、ファンの間でも評価が高い人気作だ。

 1840年から2年間にわたって行われた清国とイギリスとの戦争が、なぜ、どのように起こったのか。道光帝から市井の人物まで虚実とりまぜた人物を配して描いている。

 物語は戦争の10年前からスタートする。国禁をおかしてアモイ港に入る英国船。中国の門戸開放を願う英国の貿易商たちの意向を受けて清国を偵察するためだったが、その騒ぎを冷静に見守る男がいた。裸一貫から店を興し、いまは豪商となっていた連維材。彼は時代の流れを鋭く見抜き、国の未来のためにも門戸を開くべきと考えており、私財を投じてさまざまな策略をめぐらしていた。

 一方で、英国を迎え撃つのは実在の高級官僚・林則徐。清廉かつ有能な役人で、国民を阿片漬けにし、国の財政難を憂えた皇帝・道光帝の抜擢(ばってき)で阿片対策に乗り出すが、既得権にむらがる人々の奸計の罠(わな)にはまっていく。

 取り巻きに翻弄される皇帝。英国の謀略、眠れる大国に生きる人々の心情。巻末に付けられた主要登場人物だけでも65人。虚実とりまぜたそれらの人物が、アヘン戦争という歴史を形づくる。穆彰阿(むちゃんあ)、●(=龍の下に共)(きょう)自珍といった見慣れぬ漢字名のオンパレードなのに、それらをまったく気にさせない見事な筆さばきで、読者を悠々と中国の夜明けへと誘い込む。

 執筆の動機について、陳舜臣は繰り返し「中国の近代史はアヘン戦争に始まる。そこを書きたかった」と語っている。

 むろんこの始まりは悲劇的だった。初版本のあとがきで「執筆中、阿片戦争につづく百二十年の東アジアの苦悩の歴史が、たえず私の胸に去来した」とも述べている。

 しかし、読後感は不思議に暗くない。物語は、激烈なアヘン撲滅作戦を敢行して戦争の端緒を切った林則徐が、責任を問われ左遷された辺境の地で、支援者の活動家・王挙志、商人・連維材らと酒をくみかわすところで終わる。

 「時代がかわります」

 と、王挙志が言った。

 「かわる。それだけではない。あなた方は、かえようとなさる」

 将来の話になると、ことばがすくなくなった。三人ともわかっていた。この三人がそれぞれちがった道にはいって、新しい時代を迎える。いや、新しい時代をつくろうとするだろうことを。(略)

 「酔いましたな」

 林則徐はそう言って、西安を出発するときに作った詩を、低い声で吟じはじめた。

  門を出て一笑し

  心哀しむ莫(なか)

  浩蕩(こうとう)として

  胸襟到る処に開く

 

 敗残の将の、苦くも晴れ晴れとした心根を記して余韻がある。

 むろんこれは史実ではない。林則徐は実在の人物だが、「山中の民」のリーダー王挙志も、国のため私財を投入する新興貿易商・連維材も、作家の創造した人物なのだから。

 国家衰微の悲哀のみをうたうのではない、という作者の思いが色濃くにじむシーンだ。

 「阿片戦争」を書くにあたって、陳舜臣は膨大な資料にあたっている。中国側のものもイギリス側のものも原典まで渉猟した。

 こんなエピソードがある。「阿片戦争」が出た翌年、陳舜臣は「青玉獅子香炉」で直木賞を受賞するのだが、その受賞パーティーで選考委員の大佛次郎に声をかけられる。大佛次郎もアヘン戦争を書きかけたが中断してしまったという。理由は中国語ができないから。上諭とか奏文とか基本的な史料はほとんどが中国語。「君が書いてくれてよかった」と言われたという。

 しかし、語学力だけが問題ではないだろう。歴史小説は実録ではないのだから。実はここにこそ陳舜臣の複眼が光っている。   =(6)に続く

     ◇

【プロフィル】石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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