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【石野伸子の読み直し浪花女】小松左京・不滅のSF魂(5)産経新聞の縁 果しなき流れの果に…大阪万博

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小松左京はSF作家としてデビューした頃、ラジオ大阪でニュース漫才の台本を毎日書いていた
小松左京はSF作家としてデビューした頃、ラジオ大阪でニュース漫才の台本を毎日書いていた

 小松左京(こまつ・さきょう)が初めて書いたSF作品「地には平和を」は、SFマガジンの「第1回空想科学小説コンテスト」に応募するために書かれた。小松は作品を3日で書き上げ、「小松左京」のペンネームもここで初めて使用した。

 このときの小松作品は選外努力賞。入選作はなく、選外佳作が3作続き、その後に続く作品だった。ちなみに選外佳作には眉村卓(まゆむら・たく)と豊田有恒(とよた・ありつね)が入っている。

 選外努力賞ではあったが、SFマガジンの編集長の目にとまり、小松は原稿依頼を受ける。編集部に送った作品は次々採用され、昭和37(1962)年10月号、12月号と相次ぎ掲載された。

 面白いのは、小松はこのコンテストに翌年も応募し、ここでは「お茶漬けの味」が入選第3席になり、SFマガジンの昭和38年1月号に掲載となった。本来、この掲載が新人作家のデビュー作となるはずだが、すでにその前に、雑誌デビューを果たしている。珍しい作家出発となった。

 その後、毎月のように作品を発表し、小松はたちまちSFマガジンの看板作家になる。これらの短編を集めて、昭和38年3月には早速、単行本「地には平和を」(早川書房)が出版されている。この中に収録された「地には平和を」「お茶漬けの味」の2作で38年下半期の直木賞候補にもなっており、小松はその後のSF界をリードする存在となった。

 ブルドーザーの大手メーカーコマツにひっかけて「SF界のブルドーザー」と呼ばれたのはこの頃だ。小説だけでなく、新聞、雑誌にエッセーやショートショートを書きまくり、豊富な知識から「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれたのだ。

 小松の執筆活動はめざましいものがあった。それまで蓄積してきたアイデアを一気に吐き出す勢いだった。SFに出会ったのは大学時代の同人雑誌仲間、三浦浩が産経新聞記者で、彼の依頼で新聞の翻訳ミステリ雑誌の時評を担当したことがきっかけで、これは自分に向いていると直感した。

 「あの戦争を書くためにSF作家になった」と後に語った小松左京だが、当初は思いつく豊富なアイデアを、どんどんSF作品に盛り込んだ。

 SFマガジンに短編を書くと同時に長編も書き始めている。「日本アパッチ族」は小松が書いたSF長編第一作。破天荒なストーリーの傑作だ。大阪城の一角にあった砲兵工廠が空襲を受けたまま廃虚と化し、鉄クズを集めては売りさばく人々(アパッチ族)に題材を求めているが、同じテーマで書かれた開高健(かいこう・たけし、けん)の「日本三文オペラ」などと違い、大いなるサイアンス・フィクションになっている。なんとアパッチ族は鉄を食べる新人類に進化し、世界に革命を起こそうとするのだ。

 同時期に「復活の日」も書いている。世界の対立の中で細菌兵器が盗み出され、これがパンデミックを引き起こし、人類滅亡の危機的状況につながっていく。感染症への関心がまだ低い中で、いち早くアイデアを取り入れ、人類滅亡へのシミュレーションを書いた。後の日本沈没につながるものもある。

 超能力者たちの闘いを描くスパイ小説「エスパイ」、人類の進化の果てを描く「神への長い道」、そして小松SFの最高傑作といわれる「果しなき流れの果に」などの長短編が次々書かれた。いずれもデビューから数年のうちに手掛けられたものだ。

 中でも「果しなき流れの果に」は、SFのファン投票では常にトップ争いに加わる人気作品だ。葛城山中の古墳から砂が落ち続ける不思議な砂時計がみつかる。関係した人々に次々異変が起こり、謎の解明に動く物理学者の野々村も突然姿を消す。背後には宇宙の進化を管理する存在と抵抗勢力との闘いがあり、野々村は10億年の時空を超えた果てしない旅人となるのだ。

 宇宙。時間。知性。小松の関心が壮大なスケールの物語として広がっている。昭和40年、SFマガジンに連載されたものだ。

 このころから、小松の関心は小説だけでなく、評論、学問、社会へと大きく広がり、独自の動きをし始める。中でももっともユニークなのが大阪万博への関与だろう。   =(6)に続く

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【プロフィル】石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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