PR

【石野伸子の読み直し浪花女】小松左京・不滅のSF魂(4)鬼畜米英、一億玉砕…SF界のブルドーザーの原点

PR

デビュー漫画「怪人スケレトン博士」。人工地震装置で日本沈没を図る
デビュー漫画「怪人スケレトン博士」。人工地震装置で日本沈没を図る

 4年前、アメリカで発見された漫画「怪人スケレトン博士」。小松左京(こまつ・さきょう)がまだ旧制三高(現京都大)時代、本名の小松実(みのる)の名前で発表した作品だ。昭和23(1948)年にさかえ出版から出されているが、小松の生前に復刻出版された「モリ・ミノル漫画全集」(小学館)にも収録されていなかった新発見の作品だ。

 “狂気の天才博士”スケレトンが人工地震装置を使って日本列島を海に沈めようとする。それを事前に知った正義の博士や探偵が悪事を阻止しようと活躍する。

 「ところがこの作品には大きな欠点があります」というのは小松左京の次男の小松実盛さん(54)。「なぜ博士が日本を沈めようとするのか理由が出てこないのです」

 著作権管理をする「小松ライブラリ」(神戸市)の運営をしている実盛さんは、小松左京が描いた他の漫画作品を照査するうち、その答えのヒントを得た。それは昭和26年、京大時代に発表した「大地底海」。内容は「怪人スケレトン博士」に酷似していて姉妹版ともいうべき内容だ。

 この作中、小松左京は悪の博士の企ての原因を書き込んでいる。漫画はB29の空襲で逃げ惑う兄弟のシーンで始まり、その兄弟が戦後になっても苦労するという話を加え、狂気の博士が「戦争とそれが終わっても続くみじめな体験」に怒りを爆発させ、悪の道に走ったと説明している。

 戦争と日本沈没。これは後のSF大作「日本沈没」(昭和48年)にもつながる重要なモチーフだ。小松は「日本沈没」を書いた理由をこんな風に書いている。

 「書きはじめた動機は戦争だった。日本人は高度経済成長に酔い、浮かれていると思った。あの戦争で国土を失い、みんな死ぬ覚悟をしたはずなのに、その悲壮な気持ちを忘れて、何が世界に肩を並べる日本か、という気持ちが私の中に渦巻いていた。のんきに浮かれる日本人を、虚構の中とはいえ国を失う危機に直面させてみようと思って書きはじめたのだった」(『小松左京自伝』)

 いや、「日本沈没」だけではない。そもそもSF作家になったのは戦争があったからだと小松は述べている。

 小松が初めて書いたSF作品は昭和35年、SFマガジンのコンテストに応募するために書いた短編「地には平和を」。小松の戦争体験が色濃くにじむ作品だ。

 主人公は15歳の少年兵。彼は戦争が8月15日には終わらず、そのまま本土決戦に突入したという「もうひとつの世界」に生きている。追い詰められて自害しようとしたところを、奇妙な青年に助けられる。

 彼は未来からやってきた時間管理の捜査員。日本が無条件降伏した正しい歴史に従い、間違ったこの世界はあと数時間で消滅すると少年に伝える。

 「この歴史のどこがまちがっているんだ? 鬼畜米英と闘って、一億玉砕する。日本帝国の臣民は、すべて悠久の大義に生きるんだ、どこがまちがっている?」

 「そういう意味でまちがっているんじゃないんだ」「これはそうあってはならない世界なんだ」

 あってはならない世界を生み出したのは歴史研究所の若き逸材、アドルフ・フォン・キタ博士というあたりが少々漫画チックだが、日独ハーフのキタ博士は犯行動機をこうぶち上げる。

 「日本はもっと大きな犠牲を払っても、歴史の固い底から、もっと確実なものをつかみあげるべきだった。日本という国は、完全にほろんでしまってもよかった。国家がほろびたら、その向うから、全地上的連帯性をになうべき、新しい“人間”がうまれて来ただろう」

 「地には平和を」について小松左京は次のような言葉を残している。

 「僕にとって、この作品は書かなければならないものだった。僕はずっとあの戦争を書きたいと思っていた。けれどもどう書けばいいのか糸口が見つからずにいた。そんな時に出合ったのがSFだった。SFの手法を使えば、現実にあった歴史を相対化することができる。僕にとって戦中戦後の経験はそれだけ大きかったということ。あの戦争がなかったら、おそらく僕はSF作家にはなっていない」(『SF魂』)

 29歳で出合ったSFは小松の才能を全開にし、後に「SF界のブルドーザー」とあだ名される猛烈な活躍を始める。   =(5)に続く

     ◇

【プロフィル】石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

o_ishino.jpg

この記事を共有する

関連ニュース

おすすめ情報