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【人間爆弾「桜花」最後の証言】(2)初の訓練で着地失敗 「これに乗って死ぬのか。ずいぶんと狭苦しい棺おけやな」

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海軍神之池航空基地での佐伯正明上飛曹
海軍神之池航空基地での佐伯正明上飛曹

 昭和19(1944)年11月、鹿嶋の海軍神之池航空基地にある神雷部隊に配属された元上飛曹の佐伯(旧姓・味口)正明(91)=愛媛県西条市=が初めて、敵艦を一撃で仕留める新兵器を目の当たりにしたのは入隊翌日だった。

 まだ「桜花」という正式名称はなく、考案者の大田正一少尉から「○大(マルダイ)」、もしくは「K1(ケーワン)」という暗号名で呼ばれていた。

 銃剣を持つ番兵が警戒する格納庫に熊本・天草基地から一緒に配属された同僚と向かう。全長約20メートル、全幅約25メートルの一式陸上攻撃機の周囲に、数機のピンク色の桜花練習機が置かれていた。魚雷よりも一回り小さい。風防ガラスを開け、操縦席に座る。

 「これに乗って死ぬのか。ずいぶんと狭苦しい棺おけやな」

 佐伯は同僚に話しかけた。

 雑誌で見た軍艦の後甲板から飛び出していく水上偵察機に憧れ、海軍飛行予科練習生(特別乙種1期)に入隊、操縦技量を買われ、教官となった。日本のため、天皇陛下のために厳しい訓練を重ねた熟練の腕を発揮することもなく戦死するむなしさに佐伯は落胆する。

 配属された200人の搭乗員は通常の戦闘機や水上機の操縦はできるが、エンジンもなくただ落ちるだけの航空機の経験はない。

 昭和20年の年が明け、着任した順に投下訓練が始まる。爆弾の代わりに先端に1200キロの砂や水を詰め込んだ桜花に乗り込み、降下しながら機体下部に付けられたそりで飛行場に滑空着陸するという難しい技術を要する。このため訓練中の着陸失敗事故が頻発していた。

 1月17日、佐伯の出番が来た。機体下部に桜花を搭載した一式陸攻に乗り込み、犬吠埼上空まで飛行、利根川の河口が黒く見えるなと思っていると、肩をたたかれる。「乗り込め」の合図だ。「棺おけのふた」と呼ばれた床の四角いふたを開け、ぶら下がるが、なかなか足が座席に届かない。低速とはいえ、かなりの速度は出ている。足を踏み外せば、そのまま下界に落下する。手が持つかと不安になった頃、なんとか足を伸ばし、操縦席に座ることができた。

 腰ベルトを締め、「落とすなら落とせ」の心境で下をのぞき、飛行場の位置を確認しようと、風防に顔を寄せた瞬間、「バン」と竹が弾けるような音がした。

「あっ、落とされた」。尻に悪寒がする航空機では考えられない速度で急降下、このまま失速すれば墜落する。懸命に操縦桿(かん)を押し、体勢を立て直す。数分後、ようやく下界の地形を確認することができた頃には地面が急速に接近していた。飛行場外に着陸すれば、一般人に被害をもたらし、極秘兵器「桜花」を公開することになる。

 強引に高度を下げ、急角度だが、腹をこすれば胴体着陸できると判断、飛行場端の格納庫付近に目標を定める。速度を保ったまま桜花は地面にたたきつけられる。数十メートルも大きくバウンド、砂利の山に突っ込んだ。佐伯の記憶はそこで途切れる。初の投下訓練で着陸に失敗した。(将口泰浩=作家、敬称略)

     

エンジンなく速力460キロで滑空降下

 一式陸上攻撃機につり下げられた桜花は1200キロ爆弾を先端に搭載し、高度3000メートルから投下されると一気に500メートル降下、その後、速力460キロで滑空降下。エンジンがないため上昇修正ができず、敵艦が退避した場合、そのまま海に落下する。帰還する必要もないため、車輪もない。

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