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【法廷から】サンマ焼く母の首を絞め放火 捨てられ、40年引きこもったという男の「我慢の連続」

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サンマ焼く母の首を絞め放火 捨てられ、40年引きこもったという男の「我慢の連続」

法廷から更新
湯本被告が母親を絞殺、火を放った自宅。内部はほぼ全焼した=平成28年11月21日、群馬県高崎市棟高町 1/2枚

 「1人でいられる『隅っこ』がほしい」。同居する母親の首に背後からヒモをかけ絞め殺した男は、こう書き残して群馬県高崎市棟高町の自宅に火を放った。11月22日、前橋地裁の鈴木秀行裁判長は、殺人と非現住建造物等放火の罪に問われた無職、湯本直木被告(41)に懲役11年を言い渡した(求刑20年)。犯行は「冷酷で悪質」と指弾されたが、裁判長は「我慢の連続で辛かっただろう」とも口にした。公判で明らかになったのは、育児放棄して出奔し、約20年後に舞い戻った身勝手な母親と息子との、やり切れない葛藤の記録だった。

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 母出奔「お前は、この家の子ではない」

 「記憶にない人」。湯本被告は母親のことを、そう語った。

 生まれて、ほどなく母親は被告と3歳上の兄、そして夫の3人を残し、出奔(しゅっぽん)した。その後、離婚が成立、父親は5歳になった湯本被告を、祖父母らが暮らす母親の実家(高崎市)に押しつけるようにして置いて、去った。「警察を呼べ」。祖父が叫ぶほど、有無を言わせぬ対応だったという。

 「お前は、この家の子ではない」。幼い頃、祖母にそう言われたこともある。20歳で家出した母親が勝手に夫と結婚し、被告らを産んでいたせいもあるだろう。小学生になって、祖父母と名字が異なることをからかわれ、引け目も感じた。

 「なぜ育ててくれないのか」。父も母もいない境遇に、物心ついた頃、浮かんだ言葉を湯本被告は、法廷でも吐きだしている。

 こんな幼少期を経て内気な少年になった被告に、祖母も「高校くらいは行け」と地元の農業高校進学を進めた。だが、なじめず半年で退学。在学中に経験したアルバイトも「人と接することができない」と1日でやめている。社会に順応できず以後、犯行までの25年間、働かず、外出は買い物程度で家に引きこもる生活が続いた。

 母、帰る「絶望感を感じた」

 平成11年、出奔した母親が突然、実家に戻った。22歳になっていた湯本被告には衝撃だった。すでに祖父は亡くなり、祖母と2人暮らし。母を名乗る中年女性は、ただの「記憶にない人」で、「突然、現れ、ショックで絶望感のようなものを感じた」。

 しかも「身勝手で、自分のことしかやらない」(湯本被告)母親は、アルバイトのチラシを配らず家に持ち込み散乱させるなど「好き放題に汚した」(同)。きれい好きな被告は反発したが、母親と衝突したのは祖母だった。もともと「反抗的で社会性がない」(親族)母親は、実家に戻ってからも祖母と、しばしばぶつかり、15年には、祖母をいたぶる母親の顔を被告が殴打し続け、傷害容疑で逮捕されている(執行猶予付き判決)。「(直木は)私をかばったんだ」。後に祖母は親族に語り、被告を擁護したが、事件後、被告は母親と一切、口をきかなくなった。

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