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【いまも飛ぶ大戦機】「零戦」と「隼」、どちらが優秀な戦闘機だったか? 実際に戦わせてみた

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「零戦」と「隼」、どちらが優秀な戦闘機だったか? 実際に戦わせてみた

いまも飛ぶ大戦機エイ出版社 更新

 さほど飛行機に興味のない方でも、「ゼロ戦」「ハヤブサ」という機体名はご存じだろう。「ゼロ戦」は帝国海軍「三菱零式艦上戦闘機」、そして「ハヤブサ」は帝国陸軍「中島一式戦闘機 隼」の略称である。

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帝国陸海軍を代表する二大戦闘機、零戦と隼の編隊空撮は、わずかな米軍記録フィルムが残されているのみで、民間では世界初の試みである(Photo:Atsushi

帝国陸海軍を代表する二大戦闘機、零戦(奥)と隼(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 零戦と隼は、太平洋戦争前のほぼ同時期に開発が始まった。両機は列国戦闘機を凌駕する運動性能と長大な航続距離が要求され、同型式のエンジンを採用したため、似通った性能とスタイルになった。それは設計上の必然であった。交戦した米軍は、しばしば両機を混同していたほどである。

 したがって「もし零戦と隼が戦ったら、どちらが強いだろう?」という疑問がわくのも当然である。そこで強烈なライバル意識が介在する帝国海軍と帝国陸軍は、面子は賭けるが記録には残さない、非公式な“手合わせ”(模擬空戦)を実施した。その結果、全般的に零戦の方がやや優勢だったと伝えられている。

 アメリカに現存する零戦22型と隼Ⅲ型甲を世界で初めて編隊空撮した際に、零戦の米国人パイロットは、「零戦は空気抵抗が小さいせいか、スピードが乗って減速しにくいので、隼を追い越しそうになり、編隊を組むのが難しかった」と証言している。同時代に開発され、同型式のエンジンを搭載していても、徹底して空力的洗練を追求した零戦の方が、性能的にやや勝っている証拠の一端といえるだろう。

 その反面、空力を追求するあまり、構造・工作が複雑になってしまった零戦は、生産性の悪が、資源・人材の乏しい当時の日本には足かせとなったことも事実である。生産性の悪さに関して、現在も零戦の新造作業を行っている米レジェンド・フライヤー社は、「欧米戦闘機と比較して、製造に四倍も手間がかかる」と語っていたほどだ。

帝国陸海軍を代表する二大戦闘機、零戦と隼の編隊空撮は、わずかな米軍記録フィルムが残されているのみで、民間では世界初の試みである(Photo:Atsushi

世界で唯一、飛行可能な隼Ⅲ型甲(手前)は、千島列島占守(シュムシュ)島で回収した残骸。零戦22型はニューギニア・バボ飛行場跡で回収した残骸を基に、それぞれ新造された(Photo:Atsushi "Fred" Fujimori)

 かたや隼は、割り切った設計を導入することで、戦時下の必須条件である生産性を高めていた。あくまで性能を追求して、理想を達成するか? あるいは妥協しても、現実的な生産性を優先するのか? 零戦と隼は、スタイルこそ似通っていても、設計思想は対極に位置する戦闘機であった。(文・藤森篤)

 【プロフィル】藤森篤(ふじもり・あつし) 日本大学理工学部航空宇宙工学専修コースで、零戦設計主務者・堀越二郎博士らに学ぶ。30余年間、飛行可能な第二次大戦機の取材・撮影をライフワークとする。著書は『零戦五二型・レストアの真実と全記録』『現存レシプロ戦闘機10傑』(エイ出版社)など。

写真ギャラリー

  • 帝国陸海軍を代表する二大戦闘機、零戦と隼の編隊空撮は、わずかな米軍記録フィルムが残されているのみで、民間では世界初の試みである(Photo:Atsushi
  • 世界で唯一、飛行可能な隼Ⅲ型甲(手前)は、千島列島占守(シュムシュ)島で回収した残骸。零戦22型はニューギニア・バボ飛行場跡で回収した残骸を基に、それぞれ新造された(Photo:Atsushi
  • 零戦と隼の原型機が搭載したのは、ともに中島飛行機製の空冷星型複列14気筒エンジン。海軍は「栄」、陸軍は「ハ25/115」と、名称は異なるが、実質的に同一エンジン(Photo:Atsushi
  • 隼Ⅲ型甲は最終量産型、零戦22型は中期に登場した型式。改良を重ねた隼は最終型にいたって、零戦とほぼ同等まで性能を向上させた(Photo:Atsushi
  • 零戦を生んだ三菱重工は、南洋諸島で回収した残骸から零戦52甲型を復元・展示している。原則的に社内資料だが、申し込めば一般人でも見学可能だ(Photo:Atsushi
  • 隼がスバル・インプレッサと“編隊”を組む!? 中島飛行機の後身は富士重工、そしてスバルなのだが、残念ながら同社は隼の復元・展示は行っていない(Photo:Atsushi