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【ニュースの深層】成田空港反対闘争、煽って逃げた社会党 テロ集団を育てたといっても過言ではない 小川国彦氏の死去に思う

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成田空港反対闘争、煽って逃げた社会党 テロ集団を育てたといっても過言ではない 小川国彦氏の死去に思う

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 伊藤氏は空港視察に先立って殉職警察官の顕彰碑に献花した。反対派農民の一人は「社会党が反対運動に火を付けたから警察官が死ぬ事件が起きた。どういう気持ちで献花したのだろうか」と不信感をあらわにした。

 小川氏に取材を申し込むと…

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 多くの社会党関係者は開港当初、「成田空港は使わない」と話し、大阪空港などから海外に出掛けた人もいたが、なし崩し的に成田を使うようになった。

 国会議員の一坪共有地も解消していったが、小川氏は昭和62年まで持ち分を持ち続けた。うち1カ所は過激派、革労協の拠点「木の根団結砦」の敷地だ。同派の別の拠点「大清水団結小屋」はもともと社会党の現地闘争本部だった。

 数々のテロや内ゲバ事件を繰り返してきた革労協は社会党の青年組織、日本社会主義青年同盟(社青同)の分派「解放派」を名乗ってきた。社会党が育てたテロ集団と言っても過言ではない。管制塔占拠事件を起こした第四インター(現・JRCL)もかつて社青同にいた。

 社会党と総評が組織した反戦青年委員会にも革労協や中核派などの過激派が浸透した。今でも旧総評系労組に過激派活動家がいることは周知の事実だ。

 社会党は成田闘争を指導した責任をどう考えているのか-。筆者は平成5年、小川氏に取材を申し込んだが、秘書を通じて「昔のことを蒸し返して社会党の責任を追及するのは当を得ていない」と拒んだ。

 小川氏は7年に離党して成田市長に当選し、空港との共生を掲げて2期8年務めた。13年から千葉県知事を2期8年務め、やはり空港完成を促進した堂本暁子氏も元社会党参院議員だ。

 成田空港開港20周年の平成10年、成田市を通じて小川氏に再び取材を申し込んだ。小川氏は「成田空港の20周年を祝うとともに、平行滑走路の建設に向け、市としてもできる限りの協力をさせていただく」などと文書で答えたが、過去の反対闘争について聞くと「回答はお断りします」とのコメントが返ってきた。

写真ギャラリー

  • 成田空港(後藤徹二撮影)
  • 記者会見する社民党の土井たか子党首(左)と伊藤茂幹事長=平成9年6月1日、国会(大山実撮影)
  • 死去した小川国彦氏
  • 成田空港平行滑走路供用開始記念式典で千葉県の堂本暁子知事(左)と話す成田市の小川国彦市長。2人とも元社会党国会議員だ=平成14年4月17日、成田空港(栗橋隆悦撮影)
  • 昭和46年に強制収用された社会党国会議員の成田空港一坪共有地の登記簿。成田知巳、勝間田清一の両元委員長の名前も見える
  • 機動隊員から警棒や盾を奪って襲いかかる過激派の活動家=昭和46年9月15日、千葉県成田市
  • 成田闘争で過激派が使ったヘルメットや鉄パイプ、火炎瓶=千葉県芝山町の空と大地の歴史館(川畑仁志撮影)