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【ニュースの深層】成田空港反対闘争、煽って逃げた社会党 テロ集団を育てたといっても過言ではない 小川国彦氏の死去に思う

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成田空港反対闘争、煽って逃げた社会党 テロ集団を育てたといっても過言ではない 小川国彦氏の死去に思う

ニュースの深層更新
開港4日前の成田空港管制塔を占拠し、破壊した過激派。管制官は屋上に逃げた。この事件で開港は2カ月延期された=昭和53年3月26日(本社ヘリから) 1/9枚

 社会党の千葉県議や衆院議員として成田空港反対闘争の先頭に立ち、その後は賛成に転じて同県成田市長を務めた小川国彦氏が5月20日に死去した。84歳だった。昨年死去した元社民党幹事長の伊藤茂氏もかつて成田闘争を指揮しながら、細川内閣で運輸相に就任すると一転して「立派な空港を造る」と宣言した。多くの犠牲者を出した成田闘争を煽り、いつの間にかいなくなった社会党、そして後身の社民党は、その変遷の歴史にけじめを付けないままだ。(地方部編集委員 渡辺浩=元千葉総局成田通信部)

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 国会議員が一坪共有地で抵抗

 社会党は昭和38年に新空港の候補地に千葉県富里村(現・富里市)が浮上した当初から内陸部への空港建設に反対した。41年に成田市三里塚への建設が閣議決定されると、佐々木更三委員長が現地入りし、「社会党は空港建設阻止のために闘い抜く」と演説。党大会でも反対決議を行った。

 現地闘争本部を設け、集会に国会議員や総評傘下の労組員を大量動員したほか、用地買収を複雑にするため一坪共有運動を呼びかけ、国会議員や地方議員も一坪地主となった。

 46年の第2次代執行では国会議員55人が登記した一坪共有地が強制収用された。登記簿には当時の成田知巳(ともみ)委員長のほか、勝間田清一(かつまた・せいいち)元委員長、後の村山内閣で入閣した大出俊元郵政相、山口鶴男元総務庁長官や阿部昭吾元社民連書記長、女性初の国会議員、加藤シヅエ氏らの名前が並ぶ。

 社会党系の活動家たちは糞尿弾などで代執行を妨害した。国会議員が公共事業に抵抗して、用地を強制収用されるのは異例の事態だ。国民運動局長として現地で闘争を指揮したのが伊藤氏だ。

 このとき、現場近くで応援の神奈川県警機動隊員3人が若手農民や過激派のグループに襲われ死亡する東峰十字路事件が起きた。

 闘争指揮の伊藤茂氏が運輸相に

 A滑走路(主滑走路)、B滑走路(平行滑走路)、C滑走路(横風用滑走路)の3本で計画された成田空港は過激派による管制塔占拠事件による開港延期の後、53年にA滑走路だけで開港。完成を阻んできたのは、用地内農家を支援する過激派と社会党が始めた一坪共有地だった。

 代執行の攻防から22年後の平成5年、細川内閣で運輸相に就任した伊藤氏は成田空港を視察した後の記者会見で「B、C滑走路を完成して立派な国際空港になるよう願っている」と空港建設推進を表明。それは社会党の政策かとの問いに「そうだ」と答えた。

 かつて指揮した成田闘争については「亡くなられた皆さんのご冥福をお祈り申し上げるとともに、遺族の皆さんのご心労に思いを深くしている」「反対だけではない、次の政治を担える社会党にならなければ駄目だ」と語ったが、明確な反省はなかった。

写真ギャラリー

  • 成田空港(後藤徹二撮影)
  • 記者会見する社民党の土井たか子党首(左)と伊藤茂幹事長=平成9年6月1日、国会(大山実撮影)
  • 死去した小川国彦氏
  • 成田空港平行滑走路供用開始記念式典で千葉県の堂本暁子知事(左)と話す成田市の小川国彦市長。2人とも元社会党国会議員だ=平成14年4月17日、成田空港(栗橋隆悦撮影)
  • 昭和46年に強制収用された社会党国会議員の成田空港一坪共有地の登記簿。成田知巳、勝間田清一の両元委員長の名前も見える
  • 機動隊員から警棒や盾を奪って襲いかかる過激派の活動家=昭和46年9月15日、千葉県成田市
  • 成田闘争で過激派が使ったヘルメットや鉄パイプ、火炎瓶=千葉県芝山町の空と大地の歴史館(川畑仁志撮影)