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【清原容疑者逮捕】「野球をやっていなかったら、極道…」 プロ2年目に漏らした「本音」…転落の芽はなぜ摘み取れなかったのか

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「野球をやっていなかったら、極道…」 プロ2年目に漏らした「本音」…転落の芽はなぜ摘み取れなかったのか

清原容疑者逮捕更新

 「野球をやっていなかったら、極道にでもなっていたかもしれない」。球界の元スター選手、清原和博容疑者が入団2年目に雑誌のインタビューに答えていた。二十歳そこそこの若者の口から「極道」などという言葉が軽々に出てしまう辺りに、タガの緩みと精神的な未熟さが垣間見える。清原容疑者の逮捕から1カ月、西武時代にすでに「転落」の芽はあったと言わざるを得ない。なぜ、摘み取ることができなかったのか?

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「桑田」とのライバル関係

 甲子園で春夏13本塁打を放った清原はプロ2年目に、聖地への思いを専門誌「Number」に熱く語っている。聞き手はスポーツライターの永谷脩氏(故人)。「清原君にとって、PL学園の高校時代とは何だったのか?」。インタビューの冒頭、永谷氏が切り出すと、清原はこう答えた。

 「野球だけでした。でも、それは間違っていたとは思っていません。僕から野球をとったら何も残らない。野球をやっていなかったら、極道にでもなっていたかもしれないな」

 『清原和博の真実』などの著書があり、球界の舞台裏を長年、綴ってきた永谷は鬼籍に入り、発言の真意について確かめようがない。とはいえ、取材目的の相手に誤解を生むようなことを悪びれずに言ってのける若手選手はいない(両者の年齢差は約20歳。いかに気心知れた相手でも、人生の先輩に対する口のきき方ではない)

 清原はこのインタビューで、昭和60(1985)年夏の甲子園制覇について饒舌に語っている。4-3の接戦を制した決勝の宇部商(山口)戦。4番・清原は狙いすましたかのように本塁打を放ち、優勝の瞬間、泣きながら「俺の優勝だ」と叫んだという。「今まで桑田のPLだったけど、あの試合に限っては清原のPLだった」と得意げに語り、「僕はチョンボしてすぐスタメンをはずされたけど、桑田はスタートが悪くても、はずされることがなかった。優等生なんだな、アイツは」などと“因縁のライバル”に対する長年の恨み節をバカ正直にぶちまけている。

 インタビューの最後に「僕はPLで学んだことを誇りにしています。野球だけやけど、他では絶対に学べんものを自分は学んだと思ってます」と“優等生発言”で締めくくっている。最も輝いていたあの頃、テレビの実況に「甲子園は清原のためにあるのか」と言わしめたヒーローにとって、母校の野球部が「休部」に追い込まれるとは想像だにしなかったであろう。

「鉄は熱いうち」の教えは…

 西武時代に慢心と堕落があったとすれば、なぜ生意気盛りの“若造”に灸を据えることができなかったのか-。清原のプロ入団時の監督は勝負師・森祗晶氏である。指揮をとった9年のうち8シーズンでリーグ優勝(うち日本一6度)。西武を「常勝軍団」に導いた名将として知られるが、これまでのところ清原事件に関する公のコメントはない。