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【秘録金正日(60)】黄長ヨプ亡命の衝撃 デモにおびえ、摘発責任者を処刑

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黄長ヨプ亡命の衝撃 デモにおびえ、摘発責任者を処刑

秘録金正日(60)更新
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 金正日(キム・ジョンイル)が「スパイ事件」をでっち上げ、「深化組」による徹底摘発を発動したのは、金日成(イルソン)時代の旧勢力を政権中枢から追い落とすことが最大の狙いだった。

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 粛清の嵐が吹き荒れるなか、国外に脱出する幹部も現れた。1997年2月、日成を理論面で補佐し、正日の政権運営にも深く関わってきた朝鮮労働党書記の黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)が、訪日後に経由地の北京で亡命を求め、韓国大使館に駆け込んだ。

 中ソ対立のはざまで「自主、自立、自衛」を掲げ、日成の独裁を正当化する「主体思想」を体系化した黄の離反は、北朝鮮体制を根底から否定するもので、正日の威信も大きく傷つける事件だった。

 後に韓国に亡命した元党統一戦線部幹部の張哲賢(チャン・チョルヒョン)は「黄先生の越南(韓国亡命)は、原子爆弾を落とされたのと同じぐらい衝撃でした」と証言する。

「生涯で最もつらい」

 黄長ヨプは「私の前には3つの道があった」と回顧録『金正日への宣戦布告』に記す。公然と金正日に反旗を翻すことは「勇敢に見えるが、犬死に」を意味した。「仮面をかぶり機会を待つ」か「自ら命を絶つ」方法もあったが、彼は生きて戦う道を選んだ。

 韓国大使館に駆け込んだという第一報を聞き、正日は「直ちに拉致か、亡命かを確かめろ」と秘密警察の国家安全保衛部対外反探局の責任者に命じつけた。

 同部は“黄長ヨプ救出作戦”の決行を決め、朝鮮人民軍偵察局とともに数百人の特殊要員を中国に急派した。命令後、正日は、机で「拉致? 亡命?」という単語を何百回も書いていたと伝えられる。

 奪還作戦は失敗し、現地から「拉致ではなく、本人の意思による亡命だ」との報告を受けると、正日は「息子や娘、孫まで捨てたやつだ。人間と呼べるか。犬にも劣る」と怒りを爆発させ、言い放った。「騒ぐことはない。騒げば、やつの価値を高めるだけだ」

 張哲賢によると、主要党幹部を集めた場で、正日は語った。「今日、来る前、私は(金日成)首領さまの肖像画に問うた。彼が本当の黄長ヨプかと。私の生涯で今日のようにつらい気持ちになったことはない」

 続けて一同に宣告した。「ここにまだ黄長ヨプのようなやつはいるか。私を裏切って、行くなら行け!」

 対南担当党書記の金容淳(ヨンスン)が「将軍さま」とすかさず立ち上がって涙声を張り上げた。「われわれは将軍さまと運命を共にします。死ぬときは、将軍さまのひざ元で死にます」