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【話の肖像画プレミアム】山東昭子(73)=参院議員=田中角栄から「政治をやらないか」とたたみかけられ…

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山東昭子(73)=参院議員=田中角栄から「政治をやらないか」とたたみかけられ…

話の肖像画プレミアム更新

政治には「信頼」と「感性」必要

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 〈4月に大島理森衆院議長から自民党「番町政策研究所」(現山東派)の会長職を譲り受け、党史上初の女性の派閥領袖(りょうしゅう)となった〉

 派閥領袖の大切な仕事は、所属議員を当選させること。最近は個性の少ない「サラリーマン議員」が目立ちます。私を政界に導いた田中角栄元首相の時代は、たくましく、骨がある政治家が多かったですね。当落ばかりを考える政治家は、国家のために行動できないと思います。

 〈芸能界から政界に入り「タレント議員のはしり」といわれるが、政治家としては骨太な人生を歩んだ。平成23年には尖閣諸島(沖縄県石垣市)を購入しようとした石原慎太郎東京都知事(当時)と地権者との仲介にも関わった〉

 知り合いだった地権者と慎太郎さんを私の自宅に呼び、密談しました。慎太郎さんは「都で買っちゃうからいい。都幹部は、50億円までなら大丈夫と言ったから」と。地権者も「中国人や日本の政治家を含め購入話を持ちかけられたが、慎太郎さんが好きだ」と話したので紹介しました。購入話は合意直前まで運び、「男と男の約束」なんて、2人は握手もしたんですよ。

 私は今でも、国で購入した野田佳彦首相(当時)は判断を間違えたと思います。日本国民が「領土は自分たちで守る」とあれだけ寄付をして盛り上がったでしょ。対中国を考えても、政府以外の自治体などにいったんやらせた方が戦略的に正しかった。中国は都が買っても文句を言うでしょうが「国」では度合いが違います。

 もっと言えば、野田さんはなぜ胡錦濤国家主席(当時)と購入直前に会談しながら、事前通告しなかったのでしょうか。主義主張が違ったとしても、政治家同士では「根回し」が非常に大事。最低限の配慮があれば、日中関係はここまで冷え込むことにならなかったと思います。

 政治には「信頼」と「感性」が大切。私は芸能界で多くの人に出会い、「相手がどう思うか」と考える感性を磨く幸運に恵まれました。野田政権の購入話は「信頼」と「感性」双方が足りなかったのでは。若手議員を教えるときも教訓としたいですね。

「感性」磨いた芸能界時代

 〈11歳で芸能界入り。昭和32年には、ラジオドラマ「赤胴鈴之助」でナレーターを務め、大ヒットした。10代半ばから俳優として、映画、テレビと活動の幅を広げていった〉

 兄がコロムビアの童謡歌手だったこともあり、私も歌ったりしゃべったりするのが好きでした。母と知り合いだった作曲家の團伊玖磨さんに頼み、ラジオ東京(現在のTBSラジオ)の子供番組で司会をしたのがデビューです。

 「赤胴鈴之助」は、主役の声優を一般募集し、ナレーションは15歳の私という構成が話題を集めました。まだ子供は学校が終わるとみんなラジオにかじりついていた時代です。当時声優に応募したのが小学生だった吉永小百合さん。東宝のスターとして宝田明さんも出演しました。

 当時はラジオ収録が夜中2時すぎまでかかり、翌朝そのまま登校したこともありました。労働基準局の係官が放送局まで私を調べに来たんですよ。ただ、ラジオの公開録音などで全国を回ったこともあり、16歳くらいまでには全国の名所旧跡をほとんど制覇したのが自慢です。

 16歳で東映から映画デビューし、高倉健さんとコンビで「太郎シリーズ」を作りました。私は浅草のせんべい屋の娘で、そこに高倉さんが下宿に来る筋書きでした。東映はスター中心に娯楽映画を量産する社風。現場はとても活気がありました。俳優として演じる経験を通じ、「感性」を磨けたのは、政治家になった後も役立ちました。今も官僚出身の政治家などは、優秀でも「感性に欠ける」と感じることが多いですよ。

 〈19歳でフリーになり、テレビに進出。ドラマだけでなく、司会業にも力を入れた〉

 テレビに初めて出たのは、NHKで「シンデレラ」役。意地悪お姉さん役は、黒柳徹子さんでした。当時のドラマは生放送。時代劇のセットで神社の前の木が倒れそうになると、出演者で支えたりしましたね。

 司会業では、NETテレビ(現テレビ朝日)の「プロ野球ネット裏作戦」が面白くかつ貴重な経験でした。生放送前からゲストが決まっているのですが、それが当日ノックアウトされた投手だったりするんですよ。仏頂面のゲストにどう話してもらうか。引き出しをたくさん作ろうと知恵を絞ったことは勉強になりました。

 思い出深いのは「クイズタイムショック」で初の5週連続チャンピオンになったことですかね。当時の私は28歳。放送日などから出題を想定し、雑学ですが予習を重ねて挑みました。

 早く芸能界に出て、普通の人の何十倍のスピードでいろいろな世代のいろいろな人たちに出会い、新しい話を聞いたのは素晴らしい経験でした。母に「何でも経験」としつけられ、探求心や好奇心旺盛に育ったことが、政治家になった後も血や肉となっています。

田中元首相「女性政治家が必要」

 〈昭和49年の参院選で芸能界から参院議員に転身。当時32歳だった。田中角栄首相(当時)に口説かれたのがきっかけだった〉

 知り合いだった渡部恒三さん(後の衆院副議長)に頼まれ、砂防会館(東京・平河町)の田中首相の事務所に連れて行かれました。田中首相は開口一番、「君は昭和17年生まれか。俺の死んだ息子と同じ年だな」としみじみ言われました。

 田中首相は、私がNHKの政治討論会に出演した際、自民党を支持する主張をした場面をごらんになったそうです。「討論会はなかなか良かった。今は女性の政治家が少なすぎる。これからの日本には正論を主張できる女性政治家が必要だ。政治をやらないか」と誘われました。

 曽祖父(山東直砥=なおと)が元神奈川県参事を務めるなど政治家の血筋でもありましたが、最初は「大学で政治学を学んだわけでなく、とてもまだ勉強不足」と断りました。でも田中さんは「俺も最初は何も分からなかった。大切なのはいろいろな人たちに出会い、いろいろなことを吸収する能力があるかないか。特に政治家は、さまざまな分野で功成り名を遂げてから出るのでは遅い」と言われました。

 当時私は31歳。「すぐ決断は…」と渋っても「選挙はタイミングを外しちゃダメだ」とたたみかけられました。父が早稲田大学出身という関係もあり、竹下登さんを通じて小渕恵三さん(いずれも後の首相)を紹介され、渡部さんと小渕さんが私の初陣の選対責任者になりました。

 最初は違和感もありましたね。芸能界では企業の広告ポスターでにっこり笑うだけで多額の収入をいただくのに、政界ではポスター作りにお金を払わなければならないんですから。ただ今もそうですが、「好奇心」が私を突き動かしたのだと思います。芸能界時代も、強い好奇心ゆえに自分のお金で世界中を個人旅行していましたね。芸能界では仕事以外で旅行をすれば、そのスケジュール分の収入がなくなるので、みんな行きたがらないんですが、さまざまな経験をしたことが今となっては財産です。

 〈永田町は異次元の世界。参院議員として最初に取り組んだのは、知的障害児の教育環境の改善だった〉

 参院議員は知事経験者なども多く、最初は「派手なところから来たが、一体どんなやつか」と冷ややかに見られました。参院では文教委員会に所属し、知的障害児に関する小委員長になり、施設にもずいぶん視察に行きました。私が訪問してよかったと感じたのは「こんなことに困っている」と向こうから話しかけてくださったことです。役人や年配の国会議員と違い芸能界にいた利点でした。昭和55年の2度目の選挙では、成人した多くの知的障害者が苦労して私に投票してくれたと聞きました。本当にうれしかったですね。

これからは女と女の戦い

 〈48歳で科学技術庁長官として初入閣、65歳で女性初の参院副議長になるなど、順調に政治家としてのキャリアを積み重ねた。永田町における女性の地位は、初当選した昭和49年当時とは様変わりしたという〉

 初当選の頃、女性議員は衆参合わせ15人しかいませんでしたね。現在は83人ですから隔世の感があります。私を政界に導いた田中角栄元首相は「労働組合を抱える社会党などと違い、自民党は女性議員が誕生しにくい」と話していました。当時の自民党の地方組織には女性を公認候補として推薦する“風土”がなく、女性議員といえば有力政治家の未亡人などが多かったのです。でも田中さんは「正論を主張する女性の政治家がいないとダメだ」といつも唱えていました。今でも非常に先見の明がある方だと思いますね。

 当時の自民党は男社会。政策やポストも、宴席で「君、次はあれやれよ」なんて話し合って決まる風潮がありました。私といえば、旧大蔵省の主計官を深夜2時に病院へ引っ張り出し、看護師がてんてこ舞いしている実態をみせて人員を増やさせたりしていましたね。予算を取るにしても、個人の努力が重要でした。

 現在は女性議員の人数が増えましたが、外国に比べるとまだ少ないです。でも、女性であれば誰でもいいのではなく、しっかり志を持った方でなければいけません。

 英国のサッチャーさんが首相として日本を訪問されたとき、私は「女性の会があなたを待っているから、ゲストとして参加してもらえないか」と頼んだら、「『女性だから』は大嫌いです」と言われました。女性というだけでなく政治家として実績や判断力、決断力が大事ですね。ただ、依然女性の政界進出には金銭面などハンディがあるので、ハードルを下げる努力は大切。女性の人材育成のための財団も必要かもしれません。

 優秀な女性政治家はたくさんいると思うのですが、「1+1=2しかない」と思い込みすぎている人も多い。「1+1=3のときもある」という感覚を持たないと政治家としては難しい。特にトップに立つには必要ですね。

 昔の日本の男性は、弱い女性には手を差しのべるけど、いざ女性が強くなると「女子供には負けたくない」という意識が強くありました。最近は能力のある女性が正当に評価されるようになりましたが、まだ「日本ではダメだから、外国で働く」という女性も多いです。彼女らが海外で結婚して日本に帰ってこないとなれば…。能力のある女性にはたくさん給与を払い、日本で頑張ってもらわなければなりません。

 就労環境の整備が進む今、「男と女の戦い」は終わりつつあります。これからは実力を武器にした「男と男・女と女の戦い」の時代ですよ。(聞き手 水内茂幸)

          ◇

 〈さんとう・あきこ〉昭和17年、東京都世田谷区生まれ。11歳でラジオ東京(現TBSラジオ)の子供番組の司会として芸能界デビューし、15歳でラジオドラマ「赤胴鈴之助」のナレーターに抜擢(ばってき)され大ヒットした。俳優として東映映画で活躍後、フリーのタレントとしてテレビでも活躍。49年、32歳で参院選全国区から自民党候補として出馬し初当選。平成2年、第2次海部俊樹改造内閣で科学技術庁長官として初入閣し、19年には参院副議長に就任した。現在、自民党派閥「番町政策研究所」(山東派)会長。参院当選7回。

        =11月掲載記事を再掲載