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【本紙前ソウル支局長公判】「セウォル号当日のことは覚えているが、他は分からないと?」、朴大統領“元側近”の知人証言に裁判長も… 第4回公判詳報(3)完

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「セウォル号当日のことは覚えているが、他は分からないと?」、朴大統領“元側近”の知人証言に裁判長も… 第4回公判詳報(3)完

本紙前ソウル支局長公判更新

 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を毀損(きそん)したとして在宅起訴された産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対する第4回公判が3月9日、ソウル中央地裁で行われた。朴大統領の元側近、鄭(チョン)ユンフェ氏の知人で社団法人理事長、李(イ)サンモク氏と男性職員のウォン・サンス氏が出廷した。鄭氏と李氏の証言に食い違いも見られ、証言の信憑性が問われる。

 問「それでは 証人と料理長は先ほど名前が出た食堂のおばさんの夫ということですか?」

 証人「はい」

 弁護人「そして、皆が目撃したという陳述の趣旨は、昼食をとるところを見たということですか?ですから、料理長、男性、ウォン・サンスの3人が目撃したのは昼食をとった場面ということですね?」

 証人「はい」

 弁護人「証人は検察で、証人が鄭ユンフェと話をしていた時に、『法人本部長が船が海に沈没したが人々が助かってよかった』と言い、また鄭室長も『本当によかった』と言ったと陳述しました。合ってますね?」

 証人「はい」

 弁護人「ここの法人本部長は、ウォン・サンスのことですか? 鄭室長は、鄭ユンフェのことですか?」

 証人「はい」

 弁護人「それでは証人が鄭室長と呼んでいたということは、身近な間柄なのですか?」

 証人「彼は秘書室長だったので、いつも鄭室長と呼んでいました」

 弁護人「鄭ユンフェがそのように呼んでくれと言ったので、鄭室長と呼んでいるのですか?」

 証人「いいえ。私が彼を名前で呼ぶわけにもいきませんし、鄭ユンフェ氏と呼ぶのもあれですし、『室長』をつけて呼ぶのが礼儀だと思い、そう呼んでいます」

 弁護人「そしてこれも 証人の陳述したものです。『12時過ぎに多くの人が海に落ちた』という話をして、『大変だ』というような会話をしたと言いましたが、そのような会話をしたのはいつですか?」

 証人「食事をしながらです」

 弁護人「12時過ぎに、人々が海に落ちたという事実はどのようにして知りましたか?テレビを見て知りましたか?」

 証人「違います。食事をするため、2階に下りて来た時に、ウォン・サンス氏が『さっきはそんなひどくないと言っていたのに、今多くの人が海に落ちて大変そうだ』という話を食卓でしていました。時間は12時か12時半か、正確ではありません」

 弁護人「食堂にテレビがありますね?」

 証人「はい」

 弁護人「当時、テレビでセウォル号のニュースが流れていませんでしたか?」

 証人「来客があるときにはテレビは消したままにしています。私たちが下りてくる前に、ウォン・サンス氏が食事の前にテレビを見て、私たちにその話をしてくれたのだと思います。私たちが食事をしたときにはテレビはつけていませんでした」

 弁護人「ウォン・サンス氏は、食事をしながらテレビを見て、セウォル号のニュースを見ながらそれについて会話をしたと言っていましたが?」

 証人「食事中はニュースを流していませんでした。私は普段食事の時にはうるさいのでニュースなどは見ません」

 弁護人「それでは 証人は食堂での食事の最中にテレビを見ていないということですか?」

 証人「テレビは見ません。お客さまがいるときにはつけません。それがマナーだと思います」

 弁護人「それでは、食事を済ませた後、再び2階に上がる時までテレビはついていなかったということですか?」

 証人「はい」

 弁護人「証人は検察での取り調べを受けた際、鄭ユンフェは午後に約束があると言って、午後2時頃に自宅を出たと言いましたが、鄭ユンフェは 証人らと一緒に食事をした後すぐに出て行きましたか?」

 証人「いいえ。少し話をしてから出て行きました」

 弁護人「それは2階で話したのですか?」

 証人「はい」

 弁護人「証人は、検察での取り調べを受けた際、『自宅で、約束があると言い、電話を一通りしてからすぐに自宅を出て行きました』と陳述しましたが、鄭ユンフェは証人の家で電話をして出て行ったのではないのですか?」

 証人「その日、約束があるから電話をしなければならないと言っていましたが、私の前では電話はしませんでした」

 弁護人「先ほどお見せした『電話を一通りしてから出て行った』というのは、事実ではないということですか?」

 証人「そうですね。午後に友達と約束があるので電話をしなければならないというような話はしました。しかし、鄭ユンフェは私の前ではあまり電話をしません」

 弁護人「鄭ユンフェは家を出る際、どこに行くと言っていましたか?」

 証人「それは言いませんでした。私も聞きませんでした」

 弁護人「証人はセウォル号事故が発生した日以降も鄭ユンフェと会ったり、電話をしましたよね?」

 証人「はい」

 弁護人「いつ、どのように会ったり、電話をしたのか、覚えているとおりに話してください」

 証人「覚えていません」

 弁護人「証人は、毎日のように電話をしたと陳述しました。そして、鄭ユンフェも、証人が毎日のように電話をしてきたと陳述しました。セウォル号事故が発生した日以降にも毎日のように頻繁に鄭ユンフェと電話をしましたか?」

 証人「はい」

 弁護人「それでは同じく月に1、2回会って、昼食も共にしましたか?」

 証人「はい。しかし、メディアにこの事件が取り上げられるようになった後からは、このように頻繁に会ったり電話したりすることはありませんでした」

 弁護人「証人! 正確に陳述してください。事故発生以降にも以前のように電話などをしていたと言っていたのに、たった今、メディアで報道されてからは会うことはおろか、連絡を取り合わなかったと陳述しました。それでは、いつから電話などをしなくなったのですか?」

 証人「10月30日か31日くらいに、メディアで取り上げられ、私の自宅の前にも記者などがたくさん押し寄せていたので、私は地方に行っていました。ですので、それ以降には連絡は取りませんでした」

 弁護人「10月末頃を境に、その前には頻繁に連絡を取り合ったということですね?10月末以前にも会ったことはありますよね?」

 証人「はい」

 弁護人「証人、10月末頃、というのはいわゆる文献流出事件のことを指しているのですか?」

 証人「検察の取り調べで、鄭ユンフェと会っている学者がいるということで、平倉洞の自宅に東亜日報の記者が尋ねて来ました。それ以降は悪いと思って、お互い会っていません」

 弁護人「この事件を指しているということですね?」

 証人「はい」

 弁護人「証人はこの事件、産経新聞の記者が問題視され、被告人が捜査されるということが公になった後も、10月末までは鄭ユンフェと会ったり、電話をしたりしたということですね?」

 証人「はい」

 弁護人「鄭ユンフェに関する噂は、7月頃に朝鮮日報でも記事が書かれるほど話題となった噂であるため、証人が鄭ユンフェと会った際、一度はその話にふれたと思われるのですが、証人と鄭ユンフェが会った際に、セウォル号事故発生当日に関しての鄭ユンフェの噂については一度も話をしなかったのですか?」

 証人「噂ですか? 何の噂ですか?」

 弁護人「その日、誰とどこにいた、などの噂です」

 証人「そういう噂は知りませんでしたし、それについて話したこともありません」

 弁護人「10月末までは連絡をしましたよね? 鄭ユンフェとセウォル号事故当日にパク大統領と会っていたという噂、その噂については一度も触れなかったのですか?」

 証人「はい」

 弁護人「崔普植(チェ・ボシク)が書いた朝鮮日報のコラムを読んだことはありますか?」

 証人「ありません」

 弁護人「10月末以降には鄭ユンフェとは一切電話も、会うこともなかったと言いましたが、10月末事件が報道された後、何をきっかけに連絡が途絶えたのですか?」

 証人「先ほども述べたとおり、その時に東亜日報の記者が自宅に何度か尋ねて来て、下の者たちが、自宅にはいないと言いました。そしてその後に一度電話をして食事をしに来てくださいと言いましたが、記者から鄭ユンフェと知り合いか?と聞かれた時に、知っていると証言したのですが、それをメディアで報道されました。悪いことをしたと思いました。言葉を慎むべきだったのに、余計なことを言ったなと思いました。恐らく鄭ユンフェも私に悪いと思っていたのだと思います。それで、お互い連絡を控えるようになりました」

 弁護人「証人は2014年8月15日の光復節(*日本では終戦記念日)の前にも、鄭ユンフェと電話したり、会ったりしましたか?」

 証人「よく覚えていません」

 弁護人「しかし、その時にも頻繁に連絡を取っていたんですよね?」

 証人「はい」

 弁護人「証人は2014年8月14日から2014年8月29日頃に、鄭ユンフェから、セウォル号事故発生当日に鄭ユンフェが平倉洞の自宅を訪問したかどうかを尋ねる電話をもらいましたね?」

 証人「セウォル号事故当日?電話をしたと?何の電話ですか?」

 弁護人「8月29日頃に鄭ユンフェが電話をしたかどうかについての質問です。セウォル号事故当日、鄭ユンフェが平倉洞の自宅を訪れたかどうかを尋ねる電話です。鄭ユンフェが 証人に電話したのかどうかを聞いているのです」

 証人「その日がいつだったか電話をもらいました。その日、自宅で鄭ユンフェと会いましたかと聞かれたので、一緒に食事をしましたと証言しました」

 弁護人「8月15日光復節の前後にもこのような電話をもらいませんでしたか?」

 証人「それは覚えていません」

 弁護人「8月15日の夕方の電話は覚えているが、8月15日の電話はよく覚えていないのですか?」

 証人「それは検察に証人として訪れた日だと思います。検察で、鄭ユンフェが自宅に来たかと質問されましたが、その前にも鄭ユンフェに関して聞かれたかどうかは記憶があやふやだということです」

 弁護人「証人が検察に行ったのは2014年9月1日ですよ」

 証人「それ以前に電話をしたと、一度したと思います。自宅で会ったかどうかについて聞かれて、うちに来て食事したじゃないですか、というふうに供述しました」

 弁護人「それでは、鄭ユンフェが電話をしてきた日が、8月15日のか、29日なのか正確に覚えていないということですか?」

 証人「4月16日に総裁の自宅で食事をしたかどうかをよく覚えていないと言われ、食事しました、と供述しました」

 弁護人「9月1日に検察に出席したのは覚えていますか? 鄭ユンフェから電話が来たのかどうかを質問したのです」

 証人「検察から一度連絡をもらいました。4月16日に食事をしたと言いました」

 弁護人「その電話がいつもの普段どおりの電話だと思いましたか? そのような電話を一回以上したということですか?」

 証人「日時は正確に覚えていませんが、いつかそのような電話を一度したと思います」

 弁護人「証人が平倉洞の自宅ではなく付岩洞で鄭ユンフェに電話をかけたことはありますか?」

 証人「ありません」

 弁護人「先ほど、パク・キョンエ氏のことはよく知らないとおっしゃいましたが、彼女が国内に住んでいるのか、海外に住んでいるのかは知っていますか?」

 証人「家はパク・キョンエ氏の名義になっています。その夫であるソン氏と契約を結び、修理について話したりしました」

 弁護人「具体的にはわからなくても、大体どの辺りですか? ソウルですか? 京畿道ですか?」

 証人「パク・キョンエはアメリカにいます」

 弁護人「それでは証人が、そのソン氏とパク・キョンエに会ったのは最近ですか?」

 証人「家を契約するときです」

 弁護人「証人が、鄭ユンフェという人を初めて知ったのはいつですか?」

 証人「かなり前のことなので、覚えていません」

 弁護人「実際に挨拶を交わしたり、会話をしたのはいつですか?」

 証人「2013年度に知人から、『私の知り合いが総裁に会いたい、家に行ってみたいと言っている』と言われ、私は『来てもいいですよ』と話して、それ以降、会うようになりました」

 弁護人「自宅に行き来していたということですね?」

 証人「はい」

 弁護人「先ほど弁護側が調書を見せながら、鄭ユンフェは約束があると言い、電話を一度した後すぐに自宅を出て行ったという内容が記載されていることを確認しましたよね?」

 証人「『友達と江南で会う約束をしているから電話をしなければならない』と言っていたのです。私が電話をしている姿を見たわけではありません」

 弁護人「それでは、検察の取り調べの際に陳述した趣旨が、今日陳述した通り、電話をしなければならない、と言われたということですか?」

 証人「はい。あの時に私が言い間違えたのだと思います」

 弁護人「確認します。2014年10月末頃から、鄭ユンフェ氏と連絡も会うこともしなかったと言いました。その当時、鄭ユンフェ氏に関する記事がメディアで取り上げられていましたよね」

 証人「はい」

 弁護人「そして、事件に関して参考人として取り調べを受けたという記事がたくさん出ていましたよね?」

 証人「はい」

 弁護人「それで、それ以降からは鄭ユンフェと連絡を取れなくなったという趣旨ですか?」

 証人「はい」

 弁護人「証人は、参考人として検察の取り調べを受けたことがありますね?」

 証人「はい」

 弁護人「鄭ユンフェから電話をもらい、鄭ユンフェが 証人に『私が4月16日、家に行ったか』と聞いたことがあると言いましたね?」

 証人「はい」

 弁護人「そのような電話をもらった後、検察から電話が来るまでの期間はどれくらいですか?」

 証人「よく覚えていませんが、たぶん数日だっと思います」

 弁護人「鄭ユンフェ氏から、『私は今日検察へ行き、取り調べを受ける』ということを聞かされましたか?」

 証人「聞かされていません」

 弁護人「鄭ユンフェから、4月16日に私が証人の家に言ったことにしてくれ、と頼まれたことはありますか?」

 証人「ありません」

 弁護人「これを見てもらうと、証人の個人情報に携帯電話の番号が記載されています。ここに記載されている電話番号は誰の名義で、誰が使っている番号ですか?」

 証人「私の名前で加入してあります」

 弁護人「もう一点、質問します。鄭ユンフェが確認の電話をしましたね。4月16日に私が行ったかどうかと、あの日、確認の電話をもらいましたよね?鄭ユンフェから証人に、4月16日に自身が家に行ったのかを確かめる電話をもらった時に、鄭ユンフェが言った言葉からすると…」

 証人「私に電話をして確認したというより、私と普段のように電話をするときに一緒に話をしながら、4月16日の昼に食事をしたかどうかよく思い出せない、と言っていたので、4月16日に食事したとそう言ったんです」

 弁護人「それは、会って話したのですか、それとも電話で?」

 証人「電話です」

 弁護人「電話した時、鄭ユンフェから、検察からの取り調べを受けに行くなどの検察に関連した話について聞いたことがありますか?」

 証人「いいえ」

 弁護人「全くなかったのですか?」

 証人「はい」

 弁護人「それでは証人は、その言葉を聞いた時、鄭ユンフェが言った言葉を聞いた時に、なんとなく、鄭ユンフェが何かの取り調べを控えているというふうに感じたことはありますか?」

 証人「ありません」

 弁護人「感じたことはないと?」

 証人「はい」

 弁護人「鄭ユンフェが証人に電話をしたと言いましたが、正確な時刻は覚えていらっしゃらないと思いますが、午前や午後や夕方などの時間帯は覚えていませんか?」

 証人「覚えていません。そして、鄭ユンフェが電話をしたのではなく、私が電話をかけて、その電話の話の途中で、4月16日に総裁の家で食事をしたかどうかよく思い出せない、と言うので、食べました、と話しました」

 弁護人「整理すると、普段のように証人が電話をかけ、その途中で鄭ユンフェ氏が、4月16日に証人の自宅で食事をしたかどうか質問したということですね、そして、そうだと話したということですね?鄭ユンフェ氏が自ら電話をかけたわけではなく」

 証人「はい」

 弁護人「鄭ユンフェ氏が4月16日に食事をしたかどうか質問した時に、その場ですぐに返事をしましたか?」

 証人「はい」

 弁護人「それでは4月16日であったということはなぜわかったのですか?」

 証人「4月16日は国家的にとても大きい事件が起きた日なので覚えています」

 裁判長「検察での尋問当時、鄭ユンフェの携帯電話の発信基地局を確認したところ、2014年4月16日14時20分に平倉洞グロリアタウンビル406号基地局から発信されたと確認されました。その時刻に証人は誰かと一緒にいましたか? と検事が聞いたところ、初めは、その時出て行ったと陳述し、自宅から14時30分に出て行ったが私と一緒にいた時には電話はしなかったと言いましたね。では、時間だけをもって考えてみると、証人の自宅にいる時に電話をしたことになりますが、私の前では電話をしなかったから電話を庭でしたのか、トイレでしたのかはわからないとも陳述しましたし、あるいは出る時にしたのかはわからないが、いずれにせよ自分の前では電話はしなかったということですので、もっと正確には証人が14時何分に出たのかはわからないと陳述するのが普通ですよね?」

 証人「14時半頃だったと思いますが、私の前では電話をしないので、本人が午後に友達に会うと言って…」

 裁判長「証人が、14時30分に家を出たと陳述したので、その証人の14時30分に家を出たという陳述は正確なのかという質 問です」

 証人「それは、正確ではありません」

 裁判長「ウォン・サンス氏は客が来ると、メモ用紙にメモをすると言いましたが、そのメモを確認したら、4月16日に鄭ユンフェが食事しに来たことがわかったと陳述しましたね。そのメモ用紙は、ウォン・サンス氏が持っているのでしょうね?」

 証人「それは、ウォン・サンス氏が、4月16日鄭ユンフェが来ると言って…私も4月16日のその日のことをまた考えてみたら…」

 裁判長「私の質問は、そのメモ用紙をウォン・サンス氏が作成したものなので、ウォン・サンス氏が持っているのか?です」

 証人「それは、ウォン・サンス氏が書いているものなので、私はよくわかりません」

 裁判長「検察で4月16日セウォル号事故当日、鄭ユンフェと昼食を共にしたと言うことを覚えている理由は何かと聞いた時の証言では、ウォン・サンス氏がメモを取っていたのでわかると言っていたが、少し前には、その日は国家的な災難が起きた日なのでメモがなくても覚えていると言いましたが、どちらの陳述が正しいのですか?」

 証人「それは、4月16日というのはとても重要な日でしたし、ウォン・サンスもその日何時に食事すると言っていて、それが4月16日昼でした」

 裁判長「付岩洞から平倉洞にいつ引っ越しましたか?」

 証人「引っ越したというのは、付岩洞から住所を移しておいて、行き来しながら、人と会ったり、そこで寝泊りしたりしていました」

 裁判長「弁護側の尋問の時、ウォン・サンスが言うには、証人は付岩洞に住んでいたと言っていたのに、証人は『平倉洞に引っ越しました』と言いました。2014年のいつ引っ越したのですか?」

 証人「それは去年…、よく覚えていません」

 裁判長「覚えていないのですか? セウォル号事故が発生した当日のことは正確に覚えているが、その他は思い出せないと? 2014年の初めに引っ越しましたか、末に引っ越しましたか? 住民登録の移転申請をした日ではなく、体を、自宅を、完全に平倉洞に移したのはいつですか?」

 証人「平倉洞には、2013年に…、まず住所を移し…、もう私は住まないから平倉洞に来いと言いました」

 裁判長「それでは、ウォン・サンス氏がブアム洞で住んでいたというのは事実ではないということですか?」

 証人「行き来していたということで、そこで寝泊りしていたわけではありません」

 裁判長「付岩洞からは鄭ユンフェに電話をしたことはないと言いましたよね?行き来はしたが、付岩洞の事務室にいた時は、一度も鄭ユンフェと電話したことはないのですか?」

 証人「はい」

 裁判長「セウォル号事故当日の前日、鄭ユンフェ氏と食事をした前日、鄭ユンフェ氏と11時半に電話しましたね。そういう内容の電話をしたのか覚えていませんか?」

 証人「正確には思い出せませんが、普段の電話のときのように、今日の予定は? などといった挨拶の電話をしました」

 裁判長「その翌日の2回の電話は、覚えていませんか?」

 証人「はい」

 裁判長「鄭ユンフェと最近電話をしたのはいつなのか覚えていますか?何の電話でしたか?」

 証人「鄭ユンフェ氏とは10月にメディアに報道される前に電話をしてからは、連絡を取ったことはありません」

 裁判長「それ以外はしていないと?」

 証人「はい」

 裁判長「証人、お疲れさまでした」(了)