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【本紙前ソウル支局長公判】「4月16日に鄭ユンフェと会った、それ以外は言いたくない」 朴大統領“元側近”の知人、あやふやな証言追及され… 第4回公判詳報(2)

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「4月16日に鄭ユンフェと会った、それ以外は言いたくない」 朴大統領“元側近”の知人、あやふやな証言追及され… 第4回公判詳報(2)

本紙前ソウル支局長公判更新

 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を毀損(きそん)したとして在宅起訴された産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対する第4回公判が3月9日、ソウル中央地裁で行われた。朴大統領の元側近、鄭(チョン)ユンフェ氏の知人で社団法人理事長、李(イ)サンモク氏と男性職員のウォン・サンス氏が出廷。前回の公判に出廷した鄭氏の証言と食い違う場面もあった。

 弁護人「それではイル生命文化融合センターの事務室には全く出勤しなかったということですか?」

 証人「はい」

 弁護人「先ほどおっしゃった加陽洞の事務室で勤務するイル生命文化融合センターの職員はだれでしたか?」

 証人「ウォン・サンス氏です」

 弁護人「しかしウォン・サンス氏は平倉洞のほうに寝泊まりして生活していたと言っていませんでしたか?」

 証人「ですから先ほど言いましたが、9時に事務室に出勤するために出ていって、そして遅くなってから帰ってきたということです。4月16日には一緒にいたので、共に鄭ユンフェ氏と昼食をとりました」

 弁護人「それではウォン・サンス氏の他に職員はおらず、ウォン・サンス氏が平倉洞の事務室で生活し、その日は加陽洞の事務室に行ったり来たりしたということですね?」

 証人「はい。9時に事務室に出勤しました。事務室の仕事をしたり、別の用事があったりして出掛けて、夜遅くなって帰ってくることもあり、または昼間に家にいることもありました」

 弁護人「平倉洞の住宅の所有者は誰ですか?事故発生当日の住宅の所有者は誰ですか?」

 証人「カン・ミンギョンという人です」

 弁護人「今は代わったということですか?誰に代わったのですか?」

 証人「名前は言えません」

 弁護人「平倉洞の住宅は1994年から現在までパク・キョンエという人物が所有者であり、登記簿上ではパク・キョンエは以前アメリカに住んでいて、2002年2月3日に平倉洞の住宅に転入申請後は、現在まで住み続けていると確認されました。しかしパク・キョンエは1939年生まれで1957年生まれである証人とはかなりの年の差があるため、夫婦関係にあるとは思われませんが、パク・キョンエは証人とどのような関係にある人ですか?」

 証人「住宅の持ち主です。所有者の夫婦は外国で暮らしていて、私は賃貸して暮らしています」

 弁護人「証人は住宅の所有者がカン・ミンギョンであり、その後所有者が変わったと証言しました。カン・ミンギョンとパク・キョンエはどういった関係ですか?」

 証人「パク・キョンエ氏は住宅の所有者で、カン・ミンギョン氏は賃貸している人です。パク・キョンエ氏とは会ったことも、顔を見たこともありません」

 弁護人「先ほどの質問をしっかり聞いて証言すべきだったのではないですか?先ほど確かに、平倉洞の住宅の所有者は誰ですか?と質問しました。すべて録音されていますよ。住宅の所有者はカン・ミンギョンだった。そして今は変わったが、その人の名前は言えない、そう証言しましたよね」

 証人「私は4月16日の鄭ユンフェと会ったこと以外について話す必要はないと思います。私がここに来ている理由は4月16日に鄭ユンフェ氏と会ったことを証言するためだけなのに、どうして他の関係のないことについてまで聞かれなければならないのですか」

 弁護人「パク・キョンエも現在平倉洞の住宅に住んでいますか?」

 証人「いいえ。さっきも言いましたが所有者の夫婦はアメリカで住んでいます。私はパク・キョンエ氏の夫であるソン氏と契約をしました。契約する時、カン・ミンギョン氏の名前で賃貸契約を結んで、書類上でパク・キョンエ氏の名前を見ただけです」

 弁護人「それではカン・ミンギョンの名前で契約をしたと言うことですか?」

 証人「カン・ミンギョンの名前で賃貸契約を結びました」

 弁護人「それでは証人とカン・ミンギョン氏はどういった関係ですか?」

 証人「私から勉強を教わっている人です」

 弁護人「カン・ミンギョン氏が証人のために賃貸契約を結んだということですね?」

 証人「はい」

 弁護士「過去にパク・キョンエは13億ウォン、10億ウォンという債権最高額で平倉洞の住宅に根抵当権を設定したという点を考えると、平倉洞の住宅の伝貰補償金(*毎月家賃を払う代わりに、契約時に住宅価格に近い相当額を貸し手に払い、退居時に借り手に全額返還される)や月々の家賃が相当な額であると思われますが、カン・ミンギョン氏がどういう条件で賃貸借契約を結んだのか知っていますよね?」

 証人「これも本件とは関係ないのではないでしょうか」

 弁護人「証人は、どういう条件で契約したのか知っているが、関係のないことだから 証言できないという意味ですか?」

 証人「さっきも述べたように、これは下の者たちがやったことで、物質的なことについて私は関心を持っていません。下の者たちで協力し部屋を借りたと言っていて、誰の名前で借りましたということのみを伝えられただけで、私はそれをいくらで契約したのかなどには興味がないし、質問するのは失礼に当たると思ったのでしませんでした」

 弁護人「それでは証人はカン・ミンギョン氏の許可のもと、無償でそこを使用しているということですか?」

 証人「私から勉強を教わっている人たちは何千人もいます。その人たちが自ら色々と勉強をしたり国際的イベントなどを開いたりするために自分たちで少しずつお金を集めるのでイル生命文化融合センターを設立してはどうだろうかと提案されたので、いいと思うと話しました。しかし物質的な部分には全く関心がありません」

 弁護人「証人は先ほど、平倉洞の住宅であるイル生命の庭園は略してイル融合センターと書いてありましたが、このセンターとは関係がないと言っていましたよね?でも会員たちがお金を集めて賃貸したということは、関係があるのではないですか?」

 証人「いいえ。融合センターは昨年許可がおり、今年から少しずつ行事を開こうと思っている状態です。特にお金を出さなければならないというわけではなく、私から勉強を教わっている人たちが数万ウォンから数十万ウォンくらいずつ集め賃貸契約を結んでくれたりしたということです。その中でもカン・ミンギョン氏はいつも仕事をよく手伝ってくれている人なので、名前が出たのだと思います」

 弁護人「それではイル生命文化融合センターの会員たちは勉強を教っている人たちと同じということですよね?」

 証人「会員も色々ですが、自宅に来て勉強する人や私が自ら管理してあげている人もいます。イル生命文化融合センターは昨年設立されたばかりでこれからイベントなどを開催しようとしているところです」

 弁護人「証人が以前暮らし、今も住んでいるという付岩洞のオフィステルの面積は31.27平方メートルで、証人ではなくイ・ユンゴンが所有しているものです。これは証人が自ら賃貸借したものですか?」

 証人「いいえ」

 弁護人「イ・ユンゴンの所有であり、証人はイ・ユンゴンに借りたわけでもないのに、なぜ証人はそこに住んでいるのですか?」

 証人「イ・ユンゴン氏から賃貸してここで暮らせと言われたので昨年まで住んでいました。以前は加陽洞に住んでいましたが、住所を加陽洞に移し、昨年にすべて平倉洞に移しました」

 弁護人「それでは証人のために賃貸借契約をした人の名前は言えますか?」

 証人「それもカン・ミンギョンになっていると思います」

 弁護人「証人は2014年10月24日に住所を付岩洞から平倉洞の住宅に変更しましたね?」

 証人「はい」

 弁護人「なぜ付岩洞から平倉洞に変更したのですか?今も付岩洞に住んでいると言っていましたよね?」

 証人「いいえ。当時は付岩洞に住んでいて、今は平倉洞に住んでいます」

 問「証人は2014年4月16日平倉洞に変更した理由は、この事件を受けて陳述する際、鄭ユンフェと口裏合わせをしなくてはならないため、急いで変更したのではありませんか?」

 証人「いいえ」

 弁護人「証人は鄭ユンフェと知り合いだと言いましたが、どのように知り合ったのかを説明してください」

 証人「2014年4月16日に鄭ユンフェと会ったのか会っていないのか、それに関することのみ証言したいと思います。それ以前の関係については言う必要もないし、言いたくもありません」

 弁護人「しかし検察での調書にもありますし、証人が先ほど陳述したのと相違点がありますので、再度お尋ねします。証人は質問に対し証言する必要があると思われます。先ほどもお見せした部分なのですが、証人の検察庁での陳述調書をもう一度ご覧ください。読んでくださいますか?証人が自ら陳述した内容を」

 証人「読みたくありません」

 弁護人「では代わりに読み上げます。『10年前くらい知り合いの大学教授から紹介され、知り合いになり、月に1、2回一緒に食事をし別れる程度の関係』だと陳述しました。鄭ユンフェ氏とこのような関係だということです。検察の取り調べで証人はそう陳述されましたよ。しかし、先ほどの検察側の質問に対し、証人は『昔に一度会い、2013年12月に再度会った』と言いました。陳述を覆すのですか?」

 証人「そうではなくて、4月16日に鄭ユンフェ氏に会ったかどうかについてのみ証言したいと思います。それ以前のことはよく覚えていません。ご了承願います」

 質問「先ほどお見せした証人の検察庁での陳述調書の内容通りに陳述したのは事実ですよね? 当時、検察で」

 証人「はい」

 弁護人「証人が平倉洞の住宅で鄭ユンフェと食事をするようになったのはいつからですか?」

 証人「2014年からです」

 弁護人「2014年初頭ということですか?」

 証人「2014年4月16日以前ですので、初めですね」

 弁護人「それ以前にはどこで会っていましたか?」

 証人「証言できません」

 弁護人「再度質問します。それ以前には鄭ユンフェと会っていなかったということですか?それ以前とは、2013年末までとします」

 証人「4月16日に関してだけ、会っていたかどうかということ以外の質問はやめてほしいと言いました」

 弁護人「証人は鄭ユンフェと会うときはいつも二人きりで会っていましたか?」

 証人「はい」

 弁護人「それでは証人は鄭ユンフェと会った時には、主にどのような話をしましたか?」

 証人「私は飲食文化の発展のための事業などについて話しました。この方は食べ物にうるさい人ですが、生命の食べ物、ここの料理はいつもおいしいと言っていたので、しばしば食事を一緒にとったりしていました」

 弁護人「証人は鄭ユンフェと、朴槿恵大統領に関する話をしたことはありませんか?」

 証人「話したことはありません」

 弁護人「たったの一度も話したことはない、そういうことですか?」

 証人「朴槿恵大統領について話をする理由がありません。食文化などについて話をする際に大統領の話をするわけがありません。」

 弁護人「証人! この前の証人の証言によると、鄭ユンフェが朴志晩(朴槿恵大統領の実弟)などと関連してメディアに多く取り上げられ、彼を励まそうと毎日のように連絡を取ったり会ったりしていたというふうに陳述しました。しかし、証人は鄭ユンフェと朴槿恵大統領の話をまったくしなかったのですか?」

 証人「私は『自分を愛せ。両親に孝行せよ。国に感謝しろ。人に礼儀を守り、配慮する心を持て』という内容を話し、これを常に考えろと言いました。揉め事などで傷ついたり、悔しい思いをしたときに、それについてずっと悩んでいても結局は自分の中の細胞に悪いだけなので、ずっと考えるのはやめた方がいいという話をしただけで、朴志晩などと関連して、何があったのかなどには私が介入する理由が全くありません」

 弁護人「記憶を呼び起こすために、鄭ユンフェの陳述調書を提示します。『初めて会ったのが12月の初めでしたが、私の記事が取り上げられるようになった頃、李サンモク氏が私に電話をかけてくれました。つらいだろうに、(家に)来て昼食をとりながら話でもしましょう。このように言われて、簡単に1、2回ほど一緒に食事して話したりして、会っていました』と前回の法廷で陳述しました。それでは、この当時の記事ということは、次のページを見ていただくと、朴志晩尾行事件などについての記事などが多く取り上げられたときですが、証人がこれを見て、つらいだろうに家に来て昼食でも食べながら話をしようと言い、会って食事をしたのに、朴槿恵大統領の話を全くしなかったというのはありえますか?」

 証人「先ほども申し上げたとおり、私が話したのは、自分にそのようなエネルギーがあるからこのような事になるのだ、気持ちをしっかり持って、相手を憎んではならないということです。つらいと言っていたので、それならばここへ来て休んだり、一緒に話をしようと言ったのです。朴槿恵大統領の話とは関係ありません」

 弁護人「鄭ユンフェが 証人について陳述したこと、つまり、つらいだろうから家に来て食事しながら話でもしましょうと提案したのは事実ですか?」

 証人「はい」

 弁護人「証人は鄭ユンフェと会う約束の日時を決める際、いつもその何日前に約束の日時を決めますか?」

 証人「何日前というより、会って別れる際に『今度はいつ会いましょうか』というふうに決めたり、または電話で『今週時間空いてますか』と聞かれ、『私の方はいつも時間が空いてますので会いましょう』というような形で決めます」

 弁護人「それでは、一般的には約束の前日や当日には、いつ行くのか、いつ来るのかというような確認の電話をすると思われますが、証人や鄭ユンフェはそのような連絡は取らなかったのですか?」

 証人「約束の日にちが決まっていれば、特に連絡は取り合いませんでした。鄭ユンフェも常に昼頃に来て、夕方に来ることはありませんでしたので」

 弁護人「証人は4月16日の前日である4月15日11時半頃、鄭ユンフェと電話をしたと言いましたよね?そして4月17日、つまり、セウォル号事故発生の前日と翌日にそれぞれ。正確な時刻は覚えていなくても、セウォル号事故の前日に電話をし、翌日の午前中と夕方に二度電話をされました。どういう話をしたのですか?」

 証人「この頃つらくて、胸が痛むという話をし、つらかったらまた遊びに来てくださいというようなやりとりをしました」

 弁護人「4月17日に二度電話をしたのは、セウォル号事故の翌日ですので、当然、セウォル号の話をしましたね?」

 証人「もちろんです。船が心配だ、などの話をしました」

 弁護人「追加された部分です。セウォル号事故発生当日の証人のアリバイについて質問します。セウォル号事故が発生した当日の午前に鄭ユンフェが平倉洞の自宅を訪問した際、鄭ユンフェを迎え入れた人は誰ですか?」

 証人「迎え入れた人はいません」

 弁護人「家の前で、来たという知らせを、インターホンを押しますよね?押したときに、それに応えた人は誰ですか?」

 証人「台所で働いている人か、下の者たちの中の誰かだと思います」

 弁護人「それでは鄭ユンフェが平倉洞の自宅を訪 問したとき、証人はどこで何をしていたのですか?」

 証人「私は2階で勉強していました。私は部屋や事務室で勉強しています」

 弁護人「証人が鄭ユンフェに会った直後、鄭ユンフェが平倉洞の自宅を出て行くまで 証人は鄭ユンフェとずっと一緒にいましたか?」

 証人「はい。もちろんです」

 弁護人「証人は鄭ユンフェと一階で昼食を共にし、その前に2階で談笑したと言いましたね」

 証人「はい」

 弁護人「証人が昼食をとった時刻はいつですか?」

 証人「常に12時、12時半頃です」

 弁護人「いつもではなく、その日は何時でしたか?」

 証人「その日も12時半くらいでした」

 弁護人「昼食の前に鄭ユンフェと談笑した時間は大体どれくらいでしたか?」

 証人「12時半にお昼を食べたので、2時間ぐらいだと思います」

 弁護人「11時頃から12時半くらいまでということですか?」

 証人「はい」

 弁護人「鄭ユンフェと何を話したか覚えていますか?」

 証人「鄭ユンフェと会うときにはいつも人の言葉には毒があるので、出来るだけそれを飲み込み、消化しなくてはいけないというような話をしました。そして、いつも私が話をする側で、鄭ユンフェは聞く側でしたので、あまり自分の話はしません」

 問「当時、昼食を共にした人は誰でしたか?」

 証人「先ほど言ったとおり、ウォン・サンス氏と私と鄭ユンフェ氏です」

 弁護人「昼食の前に談笑した人は、それでは、証人と鄭ユンフェの二人ですか?」

 証人「はい」

 弁護人「それでは昼食の前に証人と鄭ユンフェが談笑するところを見届けた第三の人物はいなかったということですか?」

 証人「はい。いませんでした」

 弁護人「平倉洞の自宅に行ってみたところ、すべての窓に鉄格子がはめられ、また警備施設もとてもよく備えてありました。このように警備を徹底している理由はなんですか?」

 証人「それは住宅の所有者がしておいたものです」

 弁護人「パク・キョンエ氏のことですか?」

 証人「はい」

 弁護人「平倉洞の自宅は、正門の他に別の出入り口はありますか?」

 証人「ありません」

 弁護人「証人が鄭ユンフェと一緒にいた時に、証人は鄭ユンフェが第三の誰かと電話しているところを見ましたか?」

 証人「いいえ」

 弁護人「鄭ユンフェの通話記録を見ると、4月16日セウォル号事故当日、11時3分から11時5分まで2分40秒間、誰かと電話をしたと記録されていますが、それではこの電話は平倉洞の自宅でしたのではないということですね?」

 証人「平倉洞の自宅に入る前にしたのかどうかはわかりませんが、私の前では電話はしていませんでした」

 弁護人「それでは、鄭ユンフェが平倉洞の自宅を訪問した正確な時刻は少なくとも午前11時5分以降だということですね?証人といる間は電話をしていなかったのですから」

 証人「よくわかりません。トイレに行って電話をしたかも知れませんし、自宅に入る前にしたかもしれませんし、もしくは庭が広いので、そこでしたかもしれません。人が電話しているのを盗み聞きしたりはしませんし、私は自分の部屋にいたのでわかりません」

 弁護人「いずれにしろ証人が鄭ユンフェ氏と会ったのは、鄭ユンフェ氏が電話をした後ということですよね? 合ってますか?」

 証人「はい」

 弁護人「証人の陳述調書です。確認のため質問します。証人は検察での陳述の過程で、4月16日の10時半頃から14時頃までは鄭ユンフェとずっと一緒にいましたか?という質問に対し『はい』と証言しましたが、この時間は正確なものではありませんね?」

 証人「事務総長が言うには、11時前に来たということでしたが、鄭ユンフェ氏が自宅に来ていても庭に長い間いたり、電話をして上がってくることもあるので、正確な時刻を覚えているわけではありません」

 弁護人「先ほどの質問の直後に、当時、証人の職員ら全員が証人と鄭ユンフェが一緒にいるところを目撃したと陳述しましたね」

 証人「はい?」

 弁護人「証人の下で働く職員らが当時、証人と鄭ユンフェが一緒にいるところを目撃したと陳述しました。では、その職員とは誰ですか?」

 証人「今は構造が変わりましたが、当時は台所と食卓がつながっていましたので、台所で働く料理長とそこで一緒に働く男性、そしてウォン事務総長の3人がいました。台所から食卓に座っている私たちを見たということです」

-詳報(3)に続く