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【挿絵で振り返る『アキとカズ』】(36)「北」に8兆円の日本資産返還を求めよ

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【挿絵で振り返る『アキとカズ』】(36)「北」に8兆円の日本資産返還を求めよ

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「アキとカズ」第206回(挿絵・西口裕之) 日本統治時代の北朝鮮地域で少年時代を過ごし、昭和23(1948)年6月、16歳のときに引き揚げてきた佐藤知也さん(82)が書いた「平壌で過ごした12年の日々」(光陽出版社)という本がある。

 現在、行われている日朝協議では戦時中、当地で亡くなった日本人の遺骨返還や墓参問題もテーマになっているが、佐藤さんは遺族らで作る「龍山会」の代表だ。当時、平壌郊外の龍山墓地に埋葬された日本人2000人あまりの詳細な名簿と地図を命がけで守り、日本へ持ち帰ったのは、元鉱山技師の父、信重さん(故人)であった。

 同書には、終戦後、当地で辛酸をなめた日本人の悲惨な暮らしとともに、北朝鮮地域を占領したソ連軍政下で、強制的に残留を命じられた日本人技術者のことが詳しくつづられている。

 その日本人技術者の数は約900人、家族は約2000人。父、信重さんもそのひとりであり、後にシベリアに抑留され、やっと日本へ帰国を果たせたのは、日ソ国交回復後の、暮れも押し詰まった昭和31(1956)年12月26日のことであった。

 なぜ、日本人技術者が残留を命じられたのか? それは日本が当地に築き上げた鉱工業の莫大(ばくだい)なインフラとの関係なしには語れない。

 日本統治時代の朝鮮は「北は工業」「南は農業」と言われていた。北には、金、鉄鉱石、石炭などを産する鉱山が豊富にあり、日本資本の多くの企業がいち早く参入していた。さらには、日本窒素グループの創業者、野口遵(したがう)が主導した当時、世界最大級の水豊ダムが中朝国境に建設され、その水力発電を利用した一大化学コンビナート・興南工場があった。その資産総額は現在の貨幣価値で「約8兆円」という試算もある。

 終戦直前に突然、侵攻してきたソ連軍は、こうした工場などをいち早く接収、日本人を追放し、ソ連の手先となった朝鮮人の共産主義者らに管理させた。

 当初、彼らは「日本人など必要ない。オレたちだけでやれる」と豪語したものの、結局“日本人技術者抜き”では何ひとつできないことが分かってくる。仕方なく、日本人技術者に残留を命じ、北朝鮮工業技術総連盟「日本人部」なる組織を作らせ、鉱工業の生産に当たらせたのである。

 1日も早い帰国を望んでいた日本人技術者と家族はたまったものではない。

 北朝鮮側は日本人技術者に、金日成人民委員長(後に首相、国家主席)よりも高い給与を支払うなど、好待遇で大事にされ、引き留めに懸命だったが、そんな関係もすぐに終わってしまう。やがては「スパイ罪」などをかけられて逮捕されたり、シベリア送りになった技術者が相次いだ。

 いずれにせよ、終戦直後の日本人技術者の協力なくしては、北朝鮮鉱工業の再立ち上げはできなかったのは間違いない。1970年代まで北朝鮮が韓国よりも「経済」で上回ることができた理由も、日本が残した莫大なインフラと日本人の貢献が大なのである。

 2002年の日朝平壌宣言で双方の請求権については放棄する方針が盛り込まれた。だが、北が約束を一向に守らないならば、日本も今一度「8兆円の資産をまず返せ」と言ってみたらどうだろう。(「アキとカズ」作者、喜多由浩)

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