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国難に「クラブ活動」 こんな議員いらない 鹿間孝一

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 東日本大震災からまもなく10年になる。福島第1原発の事故をめぐって、当時の菅(かん)直人首相が東京電力本社に怒鳴り込むなど、ヒステリックな対応が事態を悪化させた。戦後最大の自然災害が民主党政権下で起きたのは、不幸な巡り合わせというしかない。否、民主党政権そのものが災禍だった。

 政権交代は、有権者の圧倒的な支持で実現した。しかし、すぐにメッキが剥げた。「政治主導」と力んでみせたが、ブームで大量当選した若い議員は政治家として未熟で、官僚からそっぽを向かれた。

 マニフェスト(政権公約)に並べた「子ども手当」などのバラマキ政策は、財源が「霞が関の埋蔵金」というのでは絵に描いた餅である。予算の無駄をなくすという事業仕分けも「2位じゃだめですか?」のパフォーマンスに終わった。

 鳩山由紀夫首相は辺野古移設が決まっていた米軍普天間飛行場を「最低でも県外」とちゃぶ台返しで混乱に陥れ、わずか9カ月足らずで退陣した。後任の菅首相は、尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長を処分保留で釈放し、「検察の判断」としらを切った。国益や安全保障を考えない政権トップにあきれるが、国民にとってこんな不幸はない。

 唯一、マニフェストに掲げた「衆議院の比例代表定数80削減」は評価できる。

 政権末期、野田佳彦首相(この人は鳩山、菅両氏に比べるとましだ)は、自民党の安倍晋三総裁との党首討論で「どちらが政権を取っても、定数削減をやると約束できるか」と迫った。安倍氏が「やりましょう」と応じて、衆院の解散が決まった。大向こうをうならす場面として記憶に残る。

 しかし、一票の格差を是正する小幅の調整にとどまり、下野した野田氏が国会質問で「国民にうそをついた」と追及したが、安倍首相に「言うのは簡単だが、実行するのは簡単ではない」とかわされた。

 コロナ禍という国難で、国民に不要不急の外出自粛を求めているのに高級クラブに出入りする。汚職や悪質な選挙違反もあった。こんな国会議員はいらないという事例をいやというほど見せられて、今さらながら議員の数を減らしておけばよかったと思う。

 政界も玉石混交で、寸暇を惜しんで勉強し、働く議員もいる。任期満了となる秋までに必ず衆院選挙がある。定数削減はできなくても、しっかりふるいにかけよう。

 しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって大阪本社発行夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースは「浪速風」で掲載)を執筆した。

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