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日教組と闘った元教員 死去の宮川典子氏、志半ば

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体調不良をおして参院選候補の事務所開きに駆け付けた宮川典子衆院議員=5月12日、甲府市上石田(渡辺浩撮影)
体調不良をおして参院選候補の事務所開きに駆け付けた宮川典子衆院議員=5月12日、甲府市上石田(渡辺浩撮影)

 12日に乳がんのため40歳で死去した自民党衆院議員の宮川典子氏は、教育再生に取り組み、日教組と闘ってきた。

 慶応大卒業後、母校である山梨学院大付属中・高の教員を5年間務めた宮川氏は、平成22年の参院選山梨選挙区で元山梨県教組(山教組)委員長で「日教組のドン」と呼ばれた輿石東氏に3700票余りの差まで迫って敗れた。

 山教組が教員の立場を利用して選挙運動を行っていたことを、子供のころから肌身で感じていたという宮川氏は、日教組打倒へ再起を期し、24年の衆院選山梨1区で初当選。26年に比例南関東ブロックで復活当選。29年は比例南関東ブロックに単独立候補して3選した。

 文部科学政務官なども歴任。歴史教育の正常化や学力向上、教員の待遇改善、いじめ撲滅などを、持ち前のパワーと明るさで訴え続けてきた。

 教員時代に教え子が2人自殺し、いずれも「日本は努力をしても報われない社会だ」という趣旨の遺書を残していたことを、国会質疑で何度も紹介した。

 「その15歳の訴えの答えを見つけるために、自分はこうして政治活動をしている」と話していた宮川氏だったが、志半ばで生涯を終えた。(渡辺浩)

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