PR

【外交文書】中曽根康弘首相、胡耀邦総書記に日朝貿易の用意伝達 国交樹立を視野、失脚で実現せず 外交文書公開で明らかに

PR

 外務省は20日、外交文書25冊を一般公開した。昭和61年に中国を訪問した当時の中曽根康弘首相と胡耀邦共産党総書記とのやり取りや冷戦期の対米関係、1986年のソ連のチェルノブイリ原発事故に関する日本側の対応なども含まれている。

 昭和61年に中曽根氏が中国で胡氏と会談した際、日本と北朝鮮の双方に貿易事務所を設置し、貿易を行う意向があると伝えていたことが明らかになった。当時国交がなかった中国と韓国の間で貿易事務所を設置することを条件としていたが、北朝鮮との国交樹立を視野に胡氏との会談に臨んだことがうかがえる。

 日中首脳会談は61年11月8日、北京の人民大会堂で行われた。中曽根氏は胡氏に、中韓間で相互に貿易事務所を設置することを提案し「もしこれができれば、日朝間にも同様のことを行う用意がある」と述べ、中国の仲介を依頼した。

 中曽根氏は訪中前に韓国の全斗煥大統領が中国のソウル五輪(1988年)参加と中韓貿易の実現を望んでいることを確認。胡氏との会談で全氏の意向を伝えた。胡、全両氏それぞれとの個人的な信頼関係をてこに橋渡し役を務め、冷戦下の東アジア情勢の安定化を図る意図があった。

 胡氏は提案に「今の話を北に伝え、反応を探ることはやってもよい」と応じ、中曽根氏は「北の考えがわかったら教えてくれ」と念を押した。しかし、胡氏は会談から2カ月後の87年1月に失脚し、構想は水泡に帰した。

 中曽根氏は自著「中曽根康弘が語る戦後日本外交」で「新しく国家間の関係を築くには貿易事務所を開設するのはよくある発想だ」と説明。「結局両国の信頼関係が続かなくて、話が消えたのだろう」と振り返っている。

 また、胡氏は中曽根氏との会談で、朝鮮半島の安定化のため南北が「緩やかな連邦制に移ることが良い」との考えも示した。胡氏は、この考えを北朝鮮に伝えたところ「(北が)怒って大変だった」とのエピソードを明かした。「北は独立自主の気持ちが極めて強い」と北朝鮮対応に苦慮している様子もうかがえる。

 胡氏は最高指導部人事などを決める87年の第13回中国共産党大会に関し「年寄りを引退させる」と若返りにも意欲を示した。改革志向の胡氏は長老格との対立が深刻化していた時期で、結局失脚につながった。

 中曽根氏は今回の外交文書公開を受け「日中韓の関係改善はアジアの新たな安全保障の枠組みの端緒を開く可能性があった。胡氏の失脚で中国の自由・民主化が一時後退したことは否めない」とのコメントを発表した。(大橋拓史)

この記事を共有する

おすすめ情報