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「『アベ政治を許さない!』と叫ぶことを求められた。熟議も提案もない」と痛烈批判
長島昭久氏、民進離党会見詳報(1)更新「党内ガバナンス」という魔法の言葉によって、一致結束して「アベ政治を許さない!」と叫ぶことを求められ、過去に自分たちが推進し、容認してきた消費税も、TPPも、ACSA(物品役務相互提供協定)も、秘密保護法制も、安保法制も、憲法改正論議も、共謀罪も、すべて反対、徹底抗戦、廃案路線で突き進む。行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ。そこには熟議も、建設的な提案もない。与野党の妥協も政策調整の余地もない。
国民世論の統合を期待されている国会において、かえって国民の中にある分断の萌芽をさらに拡大しているようにしか見えませんでした。
もちろん、これは野党だけの責任ではありません。政権の側にしばしば見られる独善こそ厳に慎むべきものだと申し上げておきたい。
そこで、「真の保守」とは何か。それは、わが国の歴史と伝統を貫く「寛容の精神」だと思います。ですから、「真の保守」は多様な意見を包摂することができるのです。実はこの間気付いたのですが、リベラルといわれている皆さんの方がけっこう過激でありまして、権力に対するルサンチマンのようなものがあって、寛容さに欠ける言動がしばしば見られます。
政府や保守的な主張に対する攻撃は時に激烈であります。「市民連合」なる組織を率いるある政治学者が、一国の総理に向かって「お前は人間じゃない。叩き斬ってやる」などと叫んだりしていました。
一方、保守の側も昨今劣化が激しく、籠池(泰典)さんのように、教育勅語を信奉していれば保守だといわんばかりの粗雑なキャラクターが際立っています。 私は、「真の保守」というのは、国際社会でも通用するような歴史観と人権感覚を持ち得なければならないと考えております。不寛容なリベラルも、粗雑な保守も、1度立ち止まって国内外の現実を直視し、それぞれの議論を整理し直すべきではないかと考えております。
「真の保守」は、左右の主張を包摂しつつ、対立点について粘り強く説得に努め、この国に「秩序ある進歩」、これは私の尊敬する小泉信三先生の言葉だが、この国に秩序ある進歩をもたらすことに力を注ぐべきではないかと考えます。