学テ上位常連県の風習 正月は道真公の掛け軸を飾る

ずらりと並んだ菅原道真公の掛け軸=令和2年12月1日、福井市の人形店「人形のかぶと」
ずらりと並んだ菅原道真公の掛け軸=令和2年12月1日、福井市の人形店「人形のかぶと」
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 全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で毎年、上位に名を連ねる教育県・福井。要因はさまざま語られているが、もしかすると「学問の神様」の存在が関係しているのかも-。こう夢想したくなる風習が福井県の一部には残されていた。

床の間に天神様

 12月初め、福井市の人形店「人形のかぶと」では、「学問の神様」「天神様」と呼ばれる菅原道真公の掛け軸がずらりと並んでいた。同店専務の谷口晶子さん(68)は「孫を抱えて何度も来店するお客さんもいる。描かれた天神様の顔つきで選ばれることが多い」と話す。

 同県内の北部では、子供の健やかな成長を願う正月飾りとして、床の間に菅原道真公の掛け軸を飾る風習がある。年末から年始にかけて飾り始め、道真公の月命日の1月25日の「天神講」まで、お神酒と焼きガレイも供える。

 シーズンを控えた10月から12月中旬、同店では4階建ての店舗の1、2階部分が掛け軸で埋まるという。

 台座に座った道真公とともに松竹梅などがあしらわれるデザインが多いが、衣装の模様や色づかい、背景は多様で、立ち姿で描かれることもある。売れ筋は15万~30万円。大きさは長さ約2メートル、幅約0・7メートルの「尺八寸」が一般的だが、マンションなどに対応した小さめのものも売れるようになってきている。

起源「分からない」

 掛け軸を飾る時期は同じ県内でも地域差があり、鯖江市周辺では5月の端午の節句だ。一方、富山県内でも同様に正月飾りにすることが知られている。

 福井県の伝統文化に詳しい同県立若狭歴史博物館の学芸員、川波久志さんに起源を尋ねたが、川波さんでも「ぜんぜん分からない」。これは、この風習が民間信仰のように広まり、作法などを記した文献資料が皆無であるためだ。幕末の福井藩主、松平春嶽が奨励したとも伝わるが、それを裏付ける史料は存在しないという。

 「周辺部に古い風習が残るような文化伝播(でんぱ)をしたと思われる」と川波さん。ポイントは福井と富山の少し離れた地域で同様の風習がある点だ。実は、天神様の掛け軸は新潟や長野の一部地域でも確認されている。国内のどこかに、風習の始まりを発信した中心地があると想定されるわけだ。

 そして候補は石川県南部の加賀地域とみる。

 江戸時代に加賀藩を治めた前田家は、3代藩主、利常のころから菅原道真の子孫を称していた。その影響か、加賀では大きな商家などで天神様の木像と、本殿、灯籠、鳥居など一式がそろう神社の模型「天神堂」という飾りを正月に出す風習があった。

 この中心地では新たな文化に更新されたが、周辺部では古い文化が残った-と考えられるが、その証拠はないという。

絵画も流行

 ただ、福井で天神様を敬う風習のようなものは根付いていたようだ。

 江戸後期の文化12(1815)年、福井藩士が記した地誌「越前国名蹟考」で、ある地域の1月25日の行事に「天神講」とあり、「手習師匠の家々にて弟子を集め、天神に供へたる鏡を開き、神酒を祝ふ」と短い一文がある。

 江戸中期から明治・大正期と数代にわたり継がれた夢楽洞万司(むらくどう・まんし)という雅号の絵師が天神様を浮世絵風に描いた「まんし天神」が、流行したこともある。

 このほか県内では、掛け軸ではなく天神様の木像を、節句などの折に飾っていた地域もあるそうだ。

 川波さんは「子供が健やかに育ち、勉強ができるようになってほしいという思いが学問の神様に託して現れ、掛け軸は残り続けたのでは」と推測している。

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