PR

【話の肖像画】女流囲碁棋士・謝依旻(30)(6)女流二冠、黄金期の始まり

PR

加藤啓子女流名人(左)との対局となった「第20期女流名人戦三番勝負」=平成20年2月
加藤啓子女流名人(左)との対局となった「第20期女流名人戦三番勝負」=平成20年2月

前のニュース

 《プロ4年目になった平成19年、女流本因坊戦五番勝負への挑戦権を獲得した。前年覇者と短期間で続けて対局する初の挑戦手合は、3連覇を狙う矢代久美子女流本因坊(当時)が相手。3連勝とストレート勝ちし、17歳11カ月の歴代最年少で女流本因坊を奪取した》

 どうやって勝ったんだろう、と。3局のうち2局が(最も差の小さい)半目勝ち。第2局も相手がずっと優勢で、最後も普通に手を入れていれば勝っていたから…。今でも不思議に思いますね。

 碁を習うか、もしかしたらまだ習っていなかったかもしれない子供のとき、台湾で日本棋院が発行する雑誌「棋道」を見ていました。文章は読めないけど、いくつか漢字は読めた。日本のタイトル戦の情報が多く載っていて、見出しになっていた「女流本因坊」とか「女流名人」の文字がカッコよく、「私はこれになる」と言っていたようです。「棋道」には(女流本因坊は)吉田美香八段や(女流名人の)小山栄美(てるみ)六段が載っていた記憶があります。そのタイトルに自分が就くのは、不思議な感じでしたね。

 《半年後(20年)には女流名人戦三番勝負にも出場する。加藤啓子女流名人を破り、女流二冠に》

 こちらは2局とも半目勝ちでした。前年の女流本因坊戦と合わせれば、5局のうち4局が半目勝ち。実力以外に、勢いというか、苦しいときを粘っていたら流れが向いてきたような感じでした。

 女流名人戦に出場する前、記録係をしたことがあるんです。1度だけ三浦海岸(神奈川県三浦市)で行われた(18年の小山栄美女流名人-青木喜久代八段戦)ときです。その前、10歳のときに四都市対抗少年少女団体戦で日本に来たことがあり、そのときの会場が三浦海岸の同じホテルでした。だから印象に残っているんです。その会場は、今でも日本代表チームの合宿で年に何回か使わせてもらっています。

 女流本因坊戦でも記録係として沖縄に行ったことがあります(17年の知念かおり女流本因坊-矢代久美子五段=当時)。沖縄出身の知念先生の人気がすごかったです。初めての沖縄だったこともあり楽しかったし、勉強になりました。

 女流本因坊戦、女流名人戦も記録係を務めた数年後に挑戦者になることができた。記録係の位置から対局者の位置になって、ここまでこれたなあと、感慨深いものがありました。

 《女流本因坊は6連覇、女流名人は9連覇まで、タイトル保持が伸びることになる》

 碁が強くなっているかどうかは分かりませんが、タイトル戦の大舞台は1回1回、自分を成長させてくれる場。たとえば女流名人戦なら1月に挑戦者が決まるので、3月上旬に始まる三番勝負(防衛戦)に向けて、気持ちを準備していく。でも、それ以外にも対局はあるので、タイトル戦の相手の碁(棋風)だけを研究しているわけではないが、気にすることは多くなる。考えても仕方ないけど、考えてしまうんです。休みでもふと思い出すから、気持ちが休まらない。何回も逃げ出したいと思いました。苦しいときを踏ん張れたのだから、成長したのかなと思います。(聞き手 伊藤洋一)

次のニュース

この記事を共有する

おすすめ情報