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【本郷和人の日本史ナナメ読み】日本史学と実証主義(下) 「考える」歴史学が生んだ皇国史観

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物理学者の田中館愛橘 (国立国会図書館蔵)
物理学者の田中館愛橘 (国立国会図書館蔵)

 前回でお話ししたとおり、日本の修史事業は「科学的に、実証を重んじて」という立場で進められることになりました。『平家物語』や『太平記』など、後世にまとめられた「歴史物語」は、参考にはするけれど、無批判にそのまま史実として使うことはしない、ということです。そうではなくて、同時代の古文書や古記録(日記)を重視して、歴史を語るべし、という方針が定まったのです。

 とはいえ、歴史を叙述することはきわめて難しい。一つの史実をめぐって、いろいろな観点から、いろいろな解釈がなし得るからです。そこで史料編纂(へんさん)所は歴史叙述をするための良質な材料たる古文書が、日本国内のどこにどれくらい残っているかを徹底的に調査することにしました。この点では、重野安繹(やすつぐ)に敗れて修史事業から退いた川田剛の意見が後に取り入れられたということになります。

 修史事業に従事していた編纂官は、チームを作って各地に出張(史料採訪という)します。編纂官が赴くことが予定されていた地域では、県知事などの指令により、県庁などの定められた場所に古文書が集められていました。編纂官はそれを一つ一つ検分し、まごう方なき本物と断じれば、東京に一旦送り、精巧なコピーを作成してから返却しました。この精巧なコピーとは、当時はコピー機がありませんので、「写字生」と呼ばれる人たちが古文書の書体まで似せて書き写したもの。これが「影写本」で、現在の史料編纂所の一番の宝物となっています。

 お宝を発掘する、というような番組がよく見られるようになってから、歴史資料にもお宝があるんじゃありませんか? どこかの蔵から戦国時代くらいの古文書が発見されて、歴史が書き換えられるなんてことがあったらロマンですよねー、などとたずねられることがあります。

 たいへん申し訳ありませんが、そうした事態は望み薄です、と答えざるを得ません(ただし、江戸時代以降はその限りにあらず)。織豊(しょくほう)政権くらいまでの古文書は、明治以来の調査で、ほとんど探し尽くされています。最近、この古文書が見つかった、とニュースになっているものも、この古文書の「原本(実物)」が見つかった、というだけのこと。古文書の影写本はすでに史料編纂所に架蔵されている。内容は研究者にすでに知られている、というものばかりなのです。

 史料編纂所はやがて、これらの良質な史料を活用して、一大史料集である『大日本史料』の刊行を開始します。一見すると、くずし字を活字に置き換えるだけの単純な作業をくり返しているように見えますが、史料の内容を調査し、解釈し、他の史料との連続性を明らかにするのは容易ではありません。かかる熟練の作業は、先輩から後輩に伝えられ、今にいたっているのです。

 ただし、そうした歴史への向き合い方に疑問を投げかけた研究者がいました。それこそは平泉澄(きよし)だったのです。平泉は言います。史料編纂所のやっていることは「調べる」ことにすぎない。彼らはまったく「考えて」いない。それでは職人ではあっても、研究者とはいえない!

 ちょうど同じ頃、大正年間に、あのアインシュタイン博士が来日し、「相対性理論」を講義しました。東京帝大で博士を出迎えたのが、田中館愛橘(たなかだて・あいきつ)博士。帝大で物理を教え、多くの俊英を育てた方です。彼の門下生の一人が、夏目漱石の高弟としても知られる寺田寅彦(『吾輩は猫である』の水島寒月のモデルと称される)です。この愛橘先生、「相対性理論」の講義を聴いてどんな感想をもったか。彼はノートに書き記しました。「考えてない。調べただけ」。おお!

 調べるだけじゃダメなんだ。考えに考えて、はじめて学問だ。そうした風潮がこの時期には色濃くあったのでしょう。だから、「徹底的に調べろ!」という史料編纂所と「考えに考えぬけ!」という文学部国史研究室(いまは日本史研究室)との対立が生まれた。本当は、「調べる」という行為を深く推し進めれば、その過程でたくさんの「考える」が必要になるのですが、あえてそこを見ずに、私こそは「考える研究者、真の学者なのだ」と主張して史料編纂所を屈服させ、文系学問のスターになったのが、平泉だったのです。平泉の「皇国史観」のもとでは『古事記』や『日本書紀』が重視されるとともに、『平家物語』や『太平記』などの『歴史物語』も息を吹き返しました。この意味でも、川田の路線は復活を遂げたのです。

 次回は3月5日に掲載します。

■日本物理学の祖、田中館愛橘

 1856~1952年。現在の岩手県二戸市に生まれる。田中館家は盛岡藩の兵法指南の家柄。藩校で学んだときの同期に原敬、後輩に新渡戸稲造がいた。東京大学に入学し(師は山川健次郎)、のち同大学の教授となる。地球物理学や航空学など幅広い分野に業績を残し、日本の物理学の草分けとなる。またメートル法やローマ字の普及に努めたことでも知られる。

【プロフィル】本郷和人

ほんごう・かずと 東大史料編纂所教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒。博士(文学)。専門は日本中世史。

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