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【お城探偵】名古屋城天守群 木造復元計画の「正答」 千田喜博 

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本丸の空堀から見上げた名古屋城大天守。石垣は見た目にも傷みが多く、修復が急務となっている(筆者撮影)
本丸の空堀から見上げた名古屋城大天守。石垣は見た目にも傷みが多く、修復が急務となっている(筆者撮影)
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 名古屋市が進めている名古屋城大・小天守の木造再建は全国のお城ファンが注目する計画である。今回はその最新状況を記したい。

 国宝だった名古屋城の天守群は本丸御殿とともに1945(昭和20)年5月の空襲で焼失した。14年後の59(昭和34)年に名古屋市は市民からの寄付を得て、天守群を鉄筋コンクリート造で再建した。これが現在、名古屋城に建つ大・小天守である。

 ところが、現在の天守群は建設から60年以上を経て耐震強度に問題があると判明した。そこで名古屋市は天守群を耐震強度をもった木造で建て直す計画を立てた。それに対し、私も加わっている名古屋城の石垣部会は、城跡の考古学的調査や石垣の保全策が十分でなく、木造再建によって天守台や本丸周囲の石垣が壊れ、地下遺構を破壊する恐れがあると指摘してきた。

 名古屋城は「史跡の国宝」にあたる特別史跡に指定され、整備や復元の許可権限は文化庁がもつ。2019(令和元)年秋、文化庁は文化審議会の審議結果を明らかにした。

 骨子は、(1)石垣や地下遺構を保全するため考古学的調査をさらに行う(2)考古学的視点と工学的視点とを合わせて影響評価を行い、各分野の有識者と十分な議論を行って合意形成する(3)木造天守群に建て替える理由を検討し整理する(4)現天守群の解体から木造天守群再建までの全体の整備計画を提出する-であった。

 審議結果を受け市はすみやかに方針を修正し、文化審議会の指摘に従って石垣などの考古学的調査を行い、適切な保全策を盛り込んだ整備計画を立案していくとした。市の新しい方針によって、整備が遅れるのを惜しむ方もおられるだろう。

 しかし、耐震強度がないから天守群を木造にするという、これまでの理由はいかにも弱い。地道な学術調査と適切な保全措置を欠いた整備や復元は特別史跡では認められない。どんなにすてきに見える活用方法でも、本物の天守台石垣などを壊す活用はすべきでない。市の新方針は、名古屋城の整備と復元を推進する唯一の、そして正しい選択だと思う。

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 さらに、市は名古屋城三の丸内に「尾張名古屋歴史博物館(仮称)」を建設する構想をもつと聞く。名古屋市には尾張徳川家に伝来した超一級の文化財をもつ徳川美術館と、尾張徳川家の絵図や古文書を受け継ぐ名古屋市蓬左(ほうさ)文庫がある。市と徳川美術館、蓬左文庫の連携がかなえば、世界に誇る特別史跡の城と博物館の融合が実現する。

 本丸御殿に加えて天守群を木造で再現して失われた歴史的空間をよみがえらせ、それと一体のものとして博物館を新設する。これによって名古屋に華開いたサムライ文化を世界に発信していく構想は、特別史跡・名古屋城跡の本質的価値を活かすことである。それは天守群を木造で再建する強い理由になる。

 一連の整備が実現すれば、世界中の人たちが行ってみたい都市・名古屋へ転換する契機になる。名古屋のイメージも変えるに違いないこの夢は、いつか正夢になるだろうか。(城郭考古学者)

 【用語解説】名古屋城

 徳川御三家の一つ、尾張徳川家の居城。16世紀前半に築かれた那古野(なごや)城の跡に徳川家康が築城した。1959(昭和34)年に鉄骨鉄筋コンクリートで復元されたが、耐震強度や設備の老朽化などの問題で平成30年5月から入場中止になった。石垣は外側にふくらんでいるところがあるほか、空襲の熱で劣化した石もあり、修復が急務となっている。

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