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さまよえる私、問い続けて 「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020」展

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「ポートレイト(女優)/駒場のマリリン」1995?2008 (C)Yasumasa Morimura
「ポートレイト(女優)/駒場のマリリン」1995?2008 (C)Yasumasa Morimura

 名画の中の人物や歴史上の人物に自ら扮するセルフポートレートで知られる森村泰昌(68)。個展「エゴオブスクラ東京2020-さまよえるニッポンの私」が東京・北品川の原美術館で開催中だ。メークや衣装で姿を変幻自在に変えながらも、一貫して「私」とは何かを問い続けてきた美術家は今回、日本の近現代史や文化史と重ね合わせて「自分語り」をする。さまよえるニッポンの私、とは-。(黒沢綾子)

 同展の核となるのは、自作自演の映像作品「エゴオブスクラ」だ。映像に登場する新旧の写真作品とともに、撮影に使った衣装や小道具、セットなども展示している。昭和天皇と連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの会見、作家の三島由紀夫に、米国の女優マリリン・モンロー…。戦後史の印象深いシーンに没入したり、象徴的人物に成り代わったりしながら、森村は自分史を語る。

 戦前の教えが否定され、日本人に広がった「空虚」を埋めたのは、米国をはじめとする西洋の価値観だった。昭和26年、大阪生まれの森村は、戦後教育を受けた個人的経験から「真理や価値や思想というものは(略)いくらでも自由に着替えることができるのだ」という考えに至る。

 美術家は、自信たっぷりの米国を父(男)に見立て、母(女)である日本に複雑な感情を抱いてきたと告白する。一方、自らの奥深くに広がるのは空虚。「エゴオブスクラ」には「闇に包まれた曖昧な自我」の意を込めたという。

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 「私」とは何かを探すべく、森村は30年以上にわたり時代や国境、人種も性別も超えた“着せ替え”に身を投じてきた。例えば平成6年、かつて三島が左翼系学生と討論会を行った東大駒場キャンパスの一室で、何も知らされていない学生を前に、三島とは似ても似つかないモンローに扮し、パフォーマンスを繰り広げた。

 「三島とマリリンは対極に位置する」と森村。読み解きは省くが、青白い文学青年からマッチョな肉体へと自己改造した三島は、戦後日本に逆行する“衣装”に身を包んだ。そして昭和45年、自衛隊駐屯地で日本再建の檄(げき)を飛ばし自決する。

 あの日の三島と同様に、いかめしい制服姿でバルコニーに立ち、森村はこう絶叫する。「俺と一緒に立ち上がる奴はいないのか」

 ただし演説は自衛隊の決起ではなく、芸術家の決起を促す内容にすり替わっている。権力にすり寄り、経済の論理やポピュリズムに魂を売り渡す、空っぽの精神を糾弾するのだ。

 森村は平成18年発表の旧バージョンで「芸術の永遠万歳!」と叫び演説を締めくくっていたが、今回の映像作品では文言を変えている。芸術や文化への憂慮はより深くなり、やけっぱちの気分さえ漂う。

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 「僕はいつも自分にとってのリアリティーから出発する。でもそのリアリティーは単なる個人的問題にとどまらず、もう少し普遍的なものともつながっていると思う」。こう語る森村は、日本が一斉に東京五輪へと向かいつつある今、個展を開くことに強くこだわったという。

 「熱狂の渦中にいるとわからないことがある。芸術で大切な批評精神は一歩引くことから始まり、一歩離れて冷静に眺める“冷えた熱狂”があってもいい」

 さまよえるニッポンの私と文化の様相を、美術家は冷めた目で捉え続ける。

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 4月12日まで、月曜休(祝日は開館し翌日休)。一般1100円。映像作品(約50分)の鑑賞は入れ替え制。問い合わせは03・3445・0651。

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