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【ミュージアム】山梨・笛吹 県立博物館 甲州屋の「冒険」に学ぶ

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甲州屋が出店した横浜の街並みの絵図を見る来館者=山梨県笛吹市御坂町成田の県立博物館(渡辺浩撮影)
甲州屋が出店した横浜の街並みの絵図を見る来館者=山梨県笛吹市御坂町成田の県立博物館(渡辺浩撮影)

 幕末にいち早く横浜に進出して外国人に山梨の産物を売り込んだ篠原忠右衛門(1809~91年)に焦点を当てた企画展「甲州屋忠右衛門の冒険-ミナト・横浜を目指した商人たち」が山梨県立博物館(笛吹市御坂町成田)で来月24日まで開かれている。

 なぜ「冒険」なのか-。小畑茂雄学芸員は、展示されている幕臣、福地源一郎の回想記を指さした。福地は当時、外交を担当しており、「幕府の圧力で仕方なく出店した三井などの豪商と違って、忠右衛門らは山師的な冒険投機商だ」という意味の記述がある。

 忠右衛門は東油川村(今の笛吹市石和町東油川)生まれ。50歳だった安政6(1859)年に横浜が開港すると、三井の向かいに「甲州屋」を開き、絹や木綿、枯露柿(ころがき)、ブドウなどを販売。次第に生糸の取り扱いが中心になっていった。

 展示されている忠右衛門の手紙からは、したたかな商法がうかがえる。甲州産の生糸が外国人に不評だった時期には、地元に「甲州産と表示するな」と産地隠しを要請。

 薩摩藩士が英国人3人を殺傷した生麦事件が起きると、「対外関係が不安だから、生糸は全て売ったほうがいい」と呼びかけた。ところが仲のいい3人には「あれは価格を下げるための方便」と教え、今でいう風説の流布を行っていた。

 好調だった商売は、普仏戦争でフランスが負けたことで生糸相場が急落。開店から15年で忠右衛門は山梨に帰った。

 展示では、忠右衛門が切り開いたビジネススタイルを受け継いで「甲州財閥」と呼ばれた若尾逸平や雨宮敬次郎らの資料も紹介している。

 小畑学芸員は「忠右衛門の冒険は必ずしも成功しなかったが、外国を相手に活躍する人が多い今、学ぶことは多いと思います」と話している。

 ■山梨県立博物館 笛吹市御坂町成田1501の1。電話055・261・2631。開館は午前9時から午後5時。火曜休館。観覧料は一般520円、大学生220円、高校生以下無料。

(渡辺浩)

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