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広がる共感 京都「何必館」館長語る「樹木希林」の素顔

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平成20年の祇園祭の宵山の日に梶川芳友館長(左)の自宅を訪れた樹木希林さん
平成20年の祇園祭の宵山の日に梶川芳友館長(左)の自宅を訪れた樹木希林さん
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 一昨年、75歳で亡くなった女優の樹木希林さんの言葉を集めた本が、昨年の年間ベストセラーの1位(『一切なりゆき~樹木希林のことば~』)と3位(『樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ』)に入るなど、いまなお多くの人たちの共感を呼んでいる。その樹木さんと親交があった京都市東山区の何必館・京都現代美術館館長の梶川芳友さん(78)は、彼女に大きな影響を与えた人物だ。「師」であり「友」であった梶川さんに、いまだから語れる樹木さんの素顔を聞いた。(正木利和)

希鏡啓心

 樹木さんの命日は一昨年9月15日。希鏡啓心大姉という戒名は、本名の内田啓子から1字とっている。病院から自宅にもどって12時間後に息をひきとったという。知らせを聞いて急行した梶川さんは、なんとか納棺に間に合った。

 樹木さんが亡くなったとき、枕元にかかっていたのは何必館が所蔵する日本画家、村上華岳の『太子樹下禅那』の精密な複製だったという。「それを見たとき、鳥肌がたちました。3年ほど前に樹木さんから『小さいのできないかしらねえ』といわれてわたしが贈ったものです。そのころから、亡くなるときは家で、と思っていたのでしょう」

 『太子樹下禅那』は、梶川さんを美術の世界へ誘った一枚だ。昭和38年に京都の近代美術館で初めて出会ったこの絵を18年後に手に入れ、そして「この一枚の絵の最上の場を作りたい」と、祇園に美術館までつくらせてしまう力を持っている。

 「樹木さんは、一枚の絵の持つ、人間をそこまで変えてしまう力を知りたいと思ったのでしょう」

樹木希林さんの拾った菩提樹の葉に梶川芳友館長が戒名をしるした色紙
樹木希林さんの拾った菩提樹の葉に梶川芳友館長が戒名をしるした色紙
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なにもわからない

 樹木さんとの初めての出会いは、何必館が建った昭和56年。樹木さんがメディア関係の仕事でやってきたことを覚えている。

 「最初、美術には興味がなかったようでした。『わたしは何もわからない』と言ってましたから。実はそれが最高の資質なのです。人間は必死で得たものは捨てない。『梶川さんがいうのだからそうでしょう』と言っていました。5年ほどして『あのとき言っていたこと、そうなんですね』と思い出したように…」

 それ以来、自主企画で150件を超える展覧会を開催してきたが、彼女はほとんどすべて見てくれたのだという。「37年、通い続けてくれました。『梶川さんから、タネをもらいにくるの』といいながら」

 「対話のなかで吸収した言葉を取り入れ、自分の言葉にする力と、直感力をもった当意即妙の人だった」と梶川さんはいう。

師であり友

 「この間、ややちゃん(娘の也哉子さん)と雑誌で対談したとき、彼女は(梶川さんのことを)『母にとっては師であり数少ない友だった』といってましたね」

 樹木さんは激しく、厳しい人だったという。

 「まあ、(ロッカーの)内田裕也を選んだ人だから、ただものではない。ややちゃんも『こわい人』と言ってたけど『一回しか言わないからね』というとほんとうにそうだったといいます。わたしもよく、『梶川さん、ひとつだけ教えて』『ひとことで教えて』と聞かれました。たとえば『死ぬってどういうこと?』とか」

 核心を求めた人だったのである。「それを突きつけられる快感がありました。試されているという感じ」

村上華岳「太子樹下禅那図」1938年 何必館・京都現代美術館蔵
村上華岳「太子樹下禅那図」1938年 何必館・京都現代美術館蔵
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 平成20年の祇園祭の宵山には、「きょう泊めて」といってふらりとやってきた。ときには、朝まで受話器を握って語り合ったこともある。

 亡くなる45日前にもたずねてきて、じっと『太子樹下禅那』を見ていた。そのあと、ふたりで腕を組み食事に向かっているとき、梶川さんは家族に「一枚撮って」と写真を求めた。

 「最後だと思ってるでしょ」

 樹木さんの言葉に、「そうですよ」と答えたら「待ってるからね」とお返しされた。「僕はまだやることがあるから、『あまり早く迎えにこないで』って言ったんです」

仕事の名人

 平成11年、樹木さんはインド・ブッダガヤを訪れた。『太子樹下禅那』に描かれた菩提樹下のシャカのことが、そこに行けばわかるかもしれない、と。「NHKにドキュメント番組を組ませたんです。そのとき菩提樹の葉を10枚、みやげに拾ってきてくれました。樹木さんは興味のあることを仕事にする名人だったんじゃないでしょうか」

 20年前にもらったその葉に、梶川さんは樹木さんの戒名を金文字で書き付けて額装。26日まで横浜のそごう美術館で開かれている「樹木希林 遊びをせんとや生まれけむ展 特別編」で展示している。

 それにしても、いま、なぜ樹木さんの言葉なのか。「『創造の創は絆創膏の創でキズ。だから、どうつくるかはどうこわすかってことがふくまれているのよ』というふうに、より多くの人に身体感覚で理解させる名人だったということなのでしょうか…」

 タネを与えた梶川さんは、いまも自分に問い続けている。

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