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【歴史の転換点から】信長をめぐる女たち(4)脳科学者・中野信子さんに聞く(下)サイコパス戦国考

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織田信長の言動やサイコパスについて解説する脳科学者、中野信子さん=東京都港区(三尾郁恵撮影)
織田信長の言動やサイコパスについて解説する脳科学者、中野信子さん=東京都港区(三尾郁恵撮影)
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「おね」への手紙-人間味あふれる信長?

 〈「今度そなたが当地に初めて参ったこと、喜びにたえない。持参してくれたさまざまな土産類の立派さ、またその数の多さ、筆の及ぶところではない。祝儀代わりにこちらも何か、とも考えたが、とても匹敵するような見事な品物はないため今回は断念し、次回ということにしよう。

 それにしてもそなたの容姿、美貌ともに、いつぞや参ったときの倍もすばらしくなっていた。藤吉郎(羽柴=豊臣秀吉)があれこれと不足を言っているそうだが言語道断の心得違いである。あのはげネズミについては、全国のどこを探してもそなたほどの妻を二度と迎えることはできないと心得て、これからは身持ちをよくする一方、そなたも正室らしくどっしりと構え、嫉妬などしてはならぬ。ただし、妻としてのつとめや立場もあろうから、そのときは以心伝心を旨にとりさばくように心がけなさい。なおこの書状は羽柴(秀吉)にも読ませるように」

 長々とした拙訳をひらにお許しいただきたい。天正4(1576)年春、織田信長が秀吉の妻「おね」に送った書簡である。安土城を着工したばかりの信長のもとに「おね」がお祝いに参上したのだろう。そのさい、秀吉の浮気癖について「おね」が信長に愚痴をこぼしたことがうかがえる。

 ある信長研究の第一人者はこの書状の原文について「信長の言葉の裏に脈々と流れている豊かで深い味わいを確かに感じることができる」と評した。筆者も信長の隠れた人間味があふれた名文だと思う。が、ベストセラー『サイコパス』(文春新書)の著者で、『戦国武将の精神分析』(宝島社新書)という共著もある脳科学者、中野信子さんの見方は少しちがう〉

信長書簡にみる人心操作術

 「この手紙を読んだとき、『信長は人の心を操るのが本当にうまいなあ』と感じました。『おね』の献上品への謝辞にはじまり、容姿のほめそやし方や浮気をした秀吉を『はげネズミ』とこきおろし、彼女については『全国に2人といない』とした表現など実に女心をわきまえています。それでいて焼きもちが表面に出たりしてその賢妻ぶりに傷が付かぬようくぎをさす。一方、この手紙を『おね』から差し出された秀吉は、神妙な表情で読んだことでしょうが、決して悪い気持ちはせず、むしろその内容に感心し、信長に改めて心服したと思います。

 こうした『人心操作』は信長の得意な分野だったのでしょうが、実はサイコパシー傾向の高い人もそうなのです。ですので、『こんな手紙を書くことができる信長はサイコパスではないのか』という問いは一考に値すると思います」

 〈「サイコパシーとは、欺瞞(ぎまん)性、浅薄な感情、共感性の欠如、衝動性、社会的規範に背く傾向などを含むパーソナリティ特性や行動によって規定される臨床的構成概念である。個人内におけるこうした特徴はサイコパシー特性と呼ばれ、臨床診断を受けた高サイコパシー特性者はサイコパスと呼ばれる。また、サイコパシー特性には、サイコパス群と健常者群との間で連続性があることが複数の研究によって確認されており、一般社会内でも見られるパーソナリティ特性と考えられている」

サイコパスとは

 日本心理学会の機関誌『心理学研究』に2年前に掲載された論文(一部編集)にはそう記述されている。また、中野さんは著書『サイコパス』で、サイコパスは元来、連続殺人犯などの反社会的な人格を説明するために開発された診断上の概念だったが、「シロかクロかというようなものではなく、人類の中にグレーゾーンのような広がりをもって分布し」ており、「大企業のCEOや弁護士、外科医といった、大胆な決断をしなければならない職種の人々にサイコパスが多いという研究報告もあ」ると指摘している〉

 「現実に人心の操作に長けた人を目の前にすると、個人的に『この人はサイコパスじゃないかな』と感じることもあります。けれども、断じることついては常に慎重でなくてはならないと考えています。

「人たらしの天才」としての信長を分析すると-

 他人の心理を理解し、その心をつかむのは至難の業です。普通の人は他人の表情を読み間違うことがあります。困惑している人の顔を怒っていると認識したり、本当は悲しんでいるのにそれに気付くことができなかったり…。でもなぜかサイコパシーの高い人たちはそれを正確に見分けます。生来共感性が低いにもかかわらず、表情を読むのが非常にうまい。でもこれはむしろ共感しないからこそ、なのでしょう。同じ気持ちになってしまうと、それに影響されて表情を正確に読むことができなくなります。そんな能力が低いことが、表情の正確な読み解きの能力を押し上げているのではないでしょうか。

 信長が『おね』にあてた手紙に関しては人の心のつかみ方が本当に上手です。人の心を少しゆさぶって逆に関心を引き出す-といったように、テクニックとして学べるところがたくさんあります。信長がそのための修練に励んでいたという話は聞きませんので、この文章は生まれつきの能力によって書かれたのでしょう。ですので、信長は、先天性が強いとされるサイコパスの素質が強く出たパーソナリティーだったと推測するに足る史料だと考えています。実際彼は、手を替え品を替えして多くの部下たちの心をつかんでいたようですし…」

 --裏切ったとはいえ、信長が岩村城の「女城主」だった叔母を磔(はりつけ)にしたことは人倫上、当時の人々に衝撃を与えたようです。このことも「信長はサイコパシーが高かった」という仮説で説明できるのでしょうか

「女城主」伝承と信長

 「それはどうでしょうか。磔にかけられたさい、彼女が信長への恨み言を並べたてたことから推測すると、もともとこの『叔母-おい』の関係はよくなかった可能性もあります。昨今、自伝類が数多く刊行されていますが、そこに自分に都合のいい親族しか登場させず、特定の親族を『抹消』してしまうケースは珍しくありません。それに比較すると信長は極端ではありますが、それだけで『サイコパシーが高い』とは断言できかねます。

 一方、彼女には磔台で本能寺の変の予言めいたことを口にしたとか、刀で切られても死ななかったとかという話が残っているそうですね。信長は後世からすると非常な憧れではありますが、当時の領民のなかには、『いつもいくさに駆り立てる苛烈な君主』『それまでの領主一族をなで斬りにした残酷な征服者』と感じていた人もいたことでしょう。その人たちの不満や鬱屈が彼女にまつわる伝承として昇華されていった。そんな気がします」

(編集委員 関厚夫)

=この項おわり

なかの・のぶこ 1975年生まれ。東大工学部卒業後、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)勤務を経て帰国。現在は東日本国際大学教授を務めるかたわら、旺盛な執筆活動を展開するとともにコメンテーターとしても活躍。近著に『悪の脳科学』(集英社新書)。

 本連載の主な引用・参考文献は次の通り(著者・編者の敬称略)。

 信長公記(太田牛一著、奥野高広・岩沢愿彦校注、角川文庫)▽新訂信長公記(同著、桑田忠親校注、新人物往来社)▽増訂織田信長文書の研究(全3巻、奥野高広著、吉川弘文館)▽美濃国諸旧記(国史叢書所収、国史研究会編)▽当代記(史籍雑簒第2巻所収、国書刊行会)▽甲陽軍鑑(中)(下)(戦国史料叢書所収、人物往来社)▽岩村町史(岩村町史刊行委員会編)▽言継卿記第4(山科言継著、国書刊行会)▽巖邑府誌(安岐郷誌提供)▽多聞院日記第3巻(辻善之助編、三教書院)▽愛知県史資料編11織豊1(勝俣鎮夫著『織田信長とその妻妾』掲載「愛知県史のしおり」所収)▽ここまでわかった! 明智光秀の謎(『惟任退治記』原文・現代語訳所収、新人物文庫)▽斎藤道三と義龍・龍興(横山住雄著、戎光祥出版)▽国盗り物語(全4巻、司馬遼太郎著、新潮文庫)▽織田信長総合事典(岡田正人編著、雄山閣出版)▽織田信長(池上裕子著、吉川弘文館・新人物叢書)▽桑田忠親著作集第7巻「戦国の女性」(秋田書店)▽織田信長家臣人名辞典第2版(谷口克広著、吉川弘文館)▽信長公記を読む(堀新編、吉川弘文館)▽戦国の女たちを歩く(田端泰子著、山と渓谷社)▽サイコパス(中野信子著、文春新書)▽戦国武将の精神分析(中野信子、本郷和人著、宝島社新書)▽心理学研究2018年第89巻第1号(「サイコパシー特性と非道徳的行動の関係に対するサポートの調整効果」所収)▽日本史のツボ(本郷和人著、文春新書)

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