PR

【歴史の転換点から】信長をめぐる女たち(3)脳科学者・中野信子さんに聞く(上)時代を席巻する「利と血の論理」

PR

織田信長や正室の「帰蝶」について語る脳科学者、中野信子さん=東京都港区(三尾郁恵撮影)
織田信長や正室の「帰蝶」について語る脳科学者、中野信子さん=東京都港区(三尾郁恵撮影)
その他の写真を見る(1/4枚)

前のニュース

 ともすれば織田信長の言動は、その天才性ゆえに「凡人にはおよびもつかない」との説明で納得してしまうところがある。そんな信長の思考や感性を、彼の女性観や正室をはじめとする女性たちとのかかわり方を考察することによって「見える化」することは可能なのだろうか。ベストセラー『サイコパス』(文春新書)の著者としてしられ、『戦国武将の精神分析』(宝島社新書、本郷和人・東京大学史料編纂所教授との共著)といった著作もある脳科学者、中野信子さんに話を聞いた。(編集委員 関厚夫)

 --まずはその生涯について謎の多い正室の「帰蝶」(濃姫)と信長についてですが…

「帰蝶」に伸びる信長の影

 「そもそも面白いと思うのは、『帰蝶』という女性について研究者や歴史ファンたちがいまなお、熱心に議論し、その生涯を解明しようとしているということです。これは織田信長という歴史上の人物に対する人気に衰えがみえないことと表裏一体なのだと考えています。信長は驚くほどパワフルで、新しいことを次々と取り入れ、それまでとはまったく異なったパラダイムの世の中をつくりあげました。今も昔も男性が憧れる男性の一類型だと思います。別の言い方をすれば、『新しい時代をもたらしてくれるのではないか』という予感のする人を好む傾向が男性には顕著にみられるということです。

 結果、そんな信長の正室とはどのような人だったのだろう-という方向に関心が高まってゆくのでしょう。興味深い現象だと思います。さて、『帰蝶はどのような女性で、どのような一生を送ったのか』という議論は歴史家のみなさんにおまかせするとして、個人的に信長の正室像について一つ指摘できるのではないかと思うことがあります。

 信長は非常に合理的な人間だったために、因習にとらわれることなく、前代未聞のことを次々となしとげることができたのだと考えています。では、そんな信長は絶世の美女を妻にしたいと望んだのか。私には、容貌については彼の結婚の条件には、ほとんど入っていなかったと思えてならないのです」

 --え? 「美形一族」だったといわれる信長だからこそ、容貌には結構うるさかったのではないかと思っていました

信長は妻に何を求めたのか

 「信長が合理的で実利を重んじる人物だと仮定すると、容姿よりもむしろ、『用』-いかに役に立つかという側面に目がゆくと思います。容姿は実利とはほとんど関係がありません。信長の場合、重要視したのは血筋と領地、それから家柄で、なかでも血筋については正室の条件として最上位に置いた可能性が高いでしょう。容姿の美しさを求めるのであれば、もともと信長は家臣に対して、『領国一の美女を連れてこい』といえる立場です。とはいえ、女性の美醜についてはさほど関心をもたず、見た目についてうるさいことをいうタイプではなかったのではないでしょうか。

 また、正室との間には子供ができなかったようですが、だからといって離縁を考えたことはなかったと思います。信長が合理・実利主義者ならば、離縁のために多大な労力が生じるのは『無駄だ』と断じたことでしょう。実際、彼は離縁していませんし、子供については、『代わりに』というべきか、側室たちに数多く生ませています。

「篤姫」と「帰蝶」の交点

 少し脱線しますが、『天璋院篤姫』といえばNHKの大河ドラマで彼女を演じた俳優、宮崎あおいさんのきゃしゃなイメージを抱く方も多いと思います。でも現実の天璋院は、その写真や遺(のこ)された衣裳(いしょう)からもうかがえますように、どっしりと構えた貫禄のある女性だったようです。このように歴史上の人物については、その時々の評判やメディアの影響を受け、実物とは異なるイメージが独り歩きすることがままあります。

 『帰蝶』についていえば、信長という存在があまりに大きく、信長に対する憧れが強すぎるために、彼女のイメージがそちらに引きずられ、『帰蝶』という戦国時代を生きた一人の女性としての人物造形を難しくさせている面があるような気がします。そろそろ、『乱世を制した天才武将の妻』といったステレオタイプではなく、立体的な『帰蝶』像がでてきてもいいころかなとも感じています」

戦国時代の母子関係を考える

 --正・側室に続いては母親についてです。史料が少ないなかでの推測であることは大目に見ていただくとして、信長は実母より乳母に「母」をみていた気がしてならないのですが…

 「当時の母子関係が現代と同じだとは考えるべきではないでしょう。これは信長に限らず、ほかの戦国武将もそうだと思うのですけれども、主たる女性の養育者-その代表が乳母です-が生みの母と異なる場合が当時は多かったとされています。では人間は『生みの母』と『育ての母』のどちらに影響されるかというと、後天的には主たる養育者、つまり『育ての母』の影響のほうが大きいのです。もちろん遺伝子を受け継いでいるわけですから、性格的な部分で実母に似ているところはあります。しかしながら、ストレス耐性や知能の一部、コミュニケーション能力については『育ての母』の影響がかなり大きく、さらに『生みの母』と『育ての親』のどちらに愛着をもつかといえば、両者が別々の場合には『育ての母』という傾向が表れてくるようになるのです。

実母? 乳母? 信長の「母」は誰だったのか

 現代の家族形態では実の母に非常に高い価値を置きます。誤解を恐れずに言いますと、実の母を『重し』としなければならない理由は少なくとも生物学的にはありません。しかし『主たる養育者』も同様に重要な影響を子に与えるものなのです。これは血がつながっているか否かは関係がありません。信長が実母に出した書状が確認されない一方で、乳母に対して所領を安堵(あんど、主君が土地の権利移転などを保証すること)するといった文書が存在する背景には、当時の戦国武将として一般的だった養育の関係が反映されているように思います。ですので、これだけをもって信長が実母や乳母に抱いていた感情を比較したり判断したりするのは少し難しいのではないでしょうか」

 〈中野さんと本郷さんの共著『戦国武将の精神分析』は示唆に富み、知的好奇心をかきたててやまない一冊である。なかでも「織田信長-完全無欠のサイコパス」と題された一節はその白眉といえる。ただ、この刺激的な題名に目を奪われるあまり見逃してならないのは、中野さんは随所で慎重に断定を避けた表現を用いていることだ。信長ははたして「サイコパス」(※)だったのか。このテーマについては次回、彼をめぐる「女たち」とともに考えてみたい〉

 ※…人格性や行動に「人をだます」「情が薄い」「社会的規範に逆らう」「衝動的」などの傾向(サイコパシー)が高いと臨床診断された人のこと。その特徴によっていくつかの類型に分類される。心理学上の概念で、古くは「精神病質的犯罪者」などと訳されたが、近年の研究では、「グレーゾーン」のようなかたちで一般社会にもサイコパシーが比較的高い人たちがみられることが明らかになっている。

【プロフィル】中野信子(なかの・のぶこ) 1975年生まれ。東大工学部卒業後、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)勤務を経て帰国。現在は東日本国際大学教授を務めるかたわら、旺盛な執筆活動を展開するとともにコメンテーターとしても活躍。近著に『悪の脳科学』(集英社新書)。

次のニュース

この記事を共有する

おすすめ情報