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【阪神大震災25年】市民の防災力信じ「今なら勝てる」 神戸・長田の大規模火災…敗北痛感の田中消防士長

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阪神大震災直後の火災現場での活動を振り返る田中進消防士長
阪神大震災直後の火災現場での活動を振り返る田中進消防士長

 平成7年1月の阪神大震災の直後、神戸市長田区では大規模火災で約52ヘクタールが焼け、4700棟以上が全焼した。当時最前線で消火・救助活動に当たった神戸市消防局の田中進消防士長(57)は、水も人員も足りない「徒手空拳の闘い」を強いられ、25年を経た今も敗北感が忘れられない。だが、市民の「防災力」が格段に高まった今なら「打ち勝つことができる」と確信する。(小林宏之)

 田中さんは当時、長田消防署に勤務していた。7年1月16日午前9時半から勤務に就き、翌17日未明に隣の須磨区で発生した火災で出動。機材の片付けを終えて待機室でつかの間の仮眠を取ったところだった。

 「雑魚寝をしていた体の下側から大きなハンマーでたたかれたような衝撃」で飛び起きた。署の周囲を見渡すと2カ所で大きな火の手が上がっていた。田中さんの小隊はうち1カ所に向かい、消火活動を始めた。

 だが、ホースを持つ隊員が叫ぶ。「水が出ない」。消火栓は水道管の破損で機能を失っていた。そもそも4人の小隊だけで手に負える火災ではない。本部に応援を要請するが、無線からの応答はなかった。

 そのうち、消防隊の制服を見つけた住民らから「家の下敷きになった家族を助けて」と次々に呼び止められる。消火活動にも戻らねばならず、立ち去ろうとすると、「逃げる気か!」と罵声も浴びた。「後で来るから」「もう少し待って」と言い残しながら、何もできない現場がいくつもあった。

 やがて無線の応答があった。「長田は長田で対処せよ」。田中さんは思わず「この災害との闘いは負けだ」とつぶやいた。

 真っ暗な公園に大勢の住民が避難しているのを見て「みなさんの力を貸してほしい」と頼んだ。しばらくして1人の若い男性が「分かった」と答え、他の数人と協力して逃げ遅れた人の救助に当たってくれた。「当時としてはむちゃなお願いだったが、消防だけの力では手に負えなかった。必死だった」と振り返る。

 発生から2日後、自分の家族と連絡を取って互いに無事を確認。2週間後にようやく自宅に帰り、妻と子供たちの元気な顔に再会できた。約束していた5歳の誕生日プレゼントを買ってやれなかった長男は今、同じ神戸市消防局の一員として勤務している。

 震災から10年が過ぎた頃までは「発生当時と同じ敗北感を抱いていた」という田中さん。同時多発の火災に消防だけで太刀打ちできない状況は現在も変わらない。ただ、今は「負けない自信」が芽生えている。根拠は市民意識の変化だ。

 「25年前は消火も救助も『消防がやって当然』という感覚だった。その後、小学校区ごとに『防災福祉コミュニティ』が組織され、自主防災の意識が高まっている」

 最近、火災の通報で駆けつけても、すでに初期消火されているケースが増えたと実感する。暗闇の公園で市民に「お願い」することは、もはや常識となった。今なら1人でなく、もっと多くの人が声を上げてくれるはずだ、と信じる。

 現在、須磨消防署北須磨出張所に勤務する。阪神大震災を知らない職員に「生の声」を伝えることが、経験者としての責務だと思っている。

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