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【親愛なるゴッホへ】(4)弟への手紙とゴッホの変化 歌手・画家 八代亜紀さん

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フィンセント・ファン・ゴッホ 《農婦の頭部》 1885年 スコットランド・ナショナル・ギャラリー(C) National Galleries of Scotland, photography by A Reeve 
フィンセント・ファン・ゴッホ 《農婦の頭部》 1885年 スコットランド・ナショナル・ギャラリー(C) National Galleries of Scotland, photography by A Reeve 

 今回の展覧会では、その作品はもちろん、彼のまだ知らない部分や弟のテオへの手紙などを音声ガイドで聞きながら見られたのもよかった。

 初期の「農婦の頭部」が印象に残りました。デッサンがうまい。土台がよくないと、ああは描けない。肉の質感とか、レンブラントに通じるような光と影を生かして描かれている。

 たくさんの仲間がお互い励まし合い、「その絵じゃだめだよ」なんて言い合う交流から、絵も変わっていったのでしょう。

 仲間との触れ合いから、彼の心が吹っ切れたんじゃないかと思います。絵にも変化がありました。ひとつひとつの葉っぱなど、命が絵に宿った。彼の絵が「炎のように燃え立つ」と言われる意味も分かります。

 描かなければ、と追い込まれもしたのでしょう。辛い人生だったのではないかと思っていましたが、実際に作品を見ると、決して不幸じゃなかったと感じました。仲間もいて、弟が支えてくれて、好きな絵が描けて…。幸せだったと思うんです。なかなかそういう人生は送れません。

 私は、歌では誰かの気持ちを歌います。代弁しているのですが、絵には自分の内面が出ます。子供の頃の思い出などがどんどん浮かぶ。好きだから描き続ける私に比べれば、ゴッホの場合は生活、人生がかかっていた-。弟のテオがずっと支えたわけですが、そこに人間愛を感じます。

 私もフランスの歴史ある美術展「ル・サロン」で入選し、永久会員になっています。ルノワールやセザンヌも所属していました。

 絵は何百年も残ります。来世紀の人にも絵は会えるんだ、と思うとうれしくなります。絵には「命」、それがあります。

やしろ・あき 昭和46年歌手デビュー。「愛の終着駅」「舟唄」などヒット曲多数。55年「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞・大賞受賞。ジャズの分野でも活躍。月に1週間ほどはアトリエにこもり、年間50~60枚の絵を描く。=おわり

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