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【本郷和人の日本史ナナメ読み】戦国の小笠原氏(上) 信長は「歴史的人間」の一人だった

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芦名盛氏像(模本、東大史料編纂所蔵)
芦名盛氏像(模本、東大史料編纂所蔵)

 ぼくは最近、歴史的人間ということを考えています。一人の人間が歴史を変えられるのか、と問われれば、イヤそんなことはない、一人の努力では歴史の流れを変えることなどできない。大半の歴史研究者はそう答えるでしょう。ぼくもその一人です。英雄が出現して新たな時代を切り開く。そういうのはフィクションの世界での話だ。そう考えたからこそ、戦後の歴史研究は、人物を語ってこなかった。忠臣・大楠公がどうした、とか足利尊氏は逆賊だから墓を辱めてしまえとか、人物の顕彰や糾弾に余念がなかったのは、戦前の皇国史観に基づく歴史解釈だ、ということです。

 それに関連をもつと思うのですが、このコラムでも過去何度か言及したように、最近、織田信長の旗色が悪い。信長は万能でもヒーローでもない。「ふつうの」戦国大名にすぎない、という意見が多い。別にぼくは信長が好きなわけではないので、それはそれで構わないのですが、じゃあ、どうして戦国時代は終焉(しゅうえん)を迎えたのか、信長が現れたからこそ統一権力への道筋が見えてきたのではないのか、と尋ねると、そうした人たちは答えを用意していないのです。それでは説得力に欠ける、と言わざるを得ない。そのあたりのことを踏まえて、ぼくは「歴史的人間」という概念を一つの答えにしようと試みています。

 ある時代の社会を客観的に分析していくと、その社会特有の構造が見えてくる。マルクス主義史観が重視する下部の生産関係だけではなく、それに基づく上部の仕組みまでを視野に入れて、社会全体の構造を復元する。そうすると、その社会がどこから来てどこへ行こうとしているのか、どんな方向性・指向性、すなわちベクトルを有しているのかが解明できます。そのベクトルに合致した行動を取っている人、それが歴史的に「大きな成果」を生み出すことのできる「歴史的人間」なのです。逆に言うと、そうした人物に焦点を当てて観察していくと、ああ、この人を取り巻く環境はこういうものだったのだな、と分かってくる。

 信長が偉いとか偉くないとかいうのではありません。信長はそうした歴史的人間の一人だった。彼は社会の要請によく応えることができたからこそ、新しい時代の担い手になれたのだ、と考えます。

 源頼朝も同じ。鎌倉に居を定めて、関東の武士=在地領主層のニーズに丁寧に応えたからこそ、歴史的人間として名を残した。反対に木曽義仲は上洛を急ぎすぎた。北陸に腰を落ち着けて地力を養っていたら、平家を都から追い落とす名誉は逃しても、後白河上皇に政治的に敗北することはなかったかもしれない。

 足利尊氏の場合は、建武政権下において政治の舞台から疎外された在地領主層の不満の蓄積があり、彼らは尊氏の決起を待望していた。もし尊氏が旗揚げを躊躇(ちゅうちょ)したら、足利一門の誰か(たとえば弟の直義や一門の重鎮である斯波高経など)がそれに代わるか、あるいは佐竹・武田・小笠原などの源氏一門の誰かが武士を率いて新しい時代の担い手となったでしょう。

 ただし、そうした人よりも、足利尊氏が武士たちのリーダーとして適任であることは間違いがない。尊氏個人の意向はさておいて(彼が渋々立ち上がったか、それとも実はやる気満々だったかは歴史学では答えが出ませんので)、多くの在地領主の意志と動向こそが新しい時代を切り開き、室町幕府が京都で産声を上げた。このとき、源氏の名門である武田家は甲斐の守護に、小笠原は信濃守護に任命されました。

 両家はとりあえず守護大名として領国を形成し、やがて戦国大名へと成長していきます。そして武田家には信玄という傑物が現れた。信玄は父の信虎を追放して家督を継ぐと、すぐに信濃への侵略を開始。ほぼ10年で信濃を手中に収めました。さらに10年をかけて越後から攻勢をかける上杉謙信と川中島の戦いをくりひろげ、信濃支配を強固なものとします。

 一方の小笠原氏は信玄の攻勢を支えきれずに次々と所領を失っていき、天文19(1550)年には本拠である林城(長野県松本市)が陥落。国外に逃れて、京都の将軍家や各地の戦国大名家のもとを転々とする生活に入ったのでした。(次週に続く)

 ■小笠原氏を迎え入れた?芦名盛氏

 1521~80年。芦名家第16代当主。会津地方を領した戦国大名。軍事に優れ、芦名家の全盛時代を現出した。信濃を退去した小笠原長時は客将として盛氏に迎えられ、会津で亡くなったとされる(長時の墓は会津にある)。だが長時が会津へ向かったのは本能寺の変の後のことであるから、その時には盛氏は死去しており、計算が合わない。

【プロフィル】本郷和人

 ほんごう・かずと 東大史料編纂所教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒。博士(文学)。専門は日本中世史。

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