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【万葉集 最果ての歌 中西進さんと行く】勇猛なる民 隼人

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波しぶきを上げて豪快に流れる黒之瀬戸。最大潮流は8ノット(時速約8ノット)という=鹿児島県阿久根市(彦野公太朗撮影)
波しぶきを上げて豪快に流れる黒之瀬戸。最大潮流は8ノット(時速約8ノット)という=鹿児島県阿久根市(彦野公太朗撮影)
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 日本三大急潮のひとつに数えられる鹿児島県北西部の海峡「黒之瀬戸」は、万葉集に詠(うた)われた歌の最南端。九州本土の阿久根市と対岸の長島(長島町)との間にある幅500メートル、長さ4キロの海峡だ。

 《隼人(はやひと)の薩摩(さつま)の迫門(せと)を雲居(くもゐ)なす遠(とほ)くもわれは今日見(けふみ)つるかも》 巻3-248

 (隼人の国、薩摩の瀬戸を空の彼方(かなた)の雲のように遠く、私は今日見たことだ)

 「隼人」とは古代、南九州に居住した人々で、独自の風俗習慣、文化を持ち、異民族として扱われたという。黒之瀬戸の激流と、敏捷(びんしょう)かつ勇猛な民だったとされる隼人が響き合う。

 作者の長田王は筑紫(現在の福岡県周辺)に派遣された官吏。南方を旅して瀬戸を遠望したのだろうか。雲居とは雲のある高い所、すなわち天皇のいる宮中の意もある。「遠路はるばる来た長田王の背景にある宮廷と、遠い南の果ての瀬戸と、ふたつの雲居の間に放り出された流浪感がこの歌にはあります」。11月中旬、瀬戸を訪れた万葉集研究者の中西進さん(90)は話す。覇者の歴史にのみ込まれていく隼人の運命と相まって、とらえどころのない空虚感が漂ってくる。

× × ×

 最果ての地で詠まれた万葉集を求めて、万葉集研究の第一人者である中西進さん(90)と訪ねるシリーズの最終回。南九州へと旅する。古代南九州に住んでいた隼人の名は、万葉歌に登場する。俊敏で勇猛、声が大きく呪術的能力を期待された隼人には、悲しい歴史の運命があった。11月半ば、隼人の歌を求め、鹿児島を巡った。(横山由紀子)

隼人塚を訪れた中西進さん=鹿児島県霧島市(彦野公太朗撮影)
隼人塚を訪れた中西進さん=鹿児島県霧島市(彦野公太朗撮影)
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 □隼人(はやひと)の湍門(せと)の磐(いはほ)も年魚(あゆ)走る吉野の滝(たぎ)になほ及(し)かずけり 巻6-960

◆歌人将軍の胸の内

 急流と渦潮が壮大な景観を作り上げる鹿児島県北西部の海峡「黒之瀬戸」。この瀬戸を詠んだのは、長田王のほかに、元号令和の典拠となった「梅花の宴」を開いた大伴旅人がいる。

 《隼人(はやひと)の湍門(せと)の磐(いはほ)も年魚走(あゆはし)る吉野(よしの)の滝(たぎ)になほ及(し)かずけり》 巻6-960

 (隼人の瀬戸の岩石のすばらしさも、鮎の走りおよぐ吉野の急流にはやはり及ばないことだなあ)

 荒々しい南洋の瀬戸と、山中の吉野の滝と。「比較にならないものを取り合わせるのはなぜでしょうね」。中西さんは、旅人の心境に思いを及ばせる。

 養老4(720)年、朝廷に牙をむいた隼人の反乱を鎮める征隼人持節大将軍として、旅人は南九州に赴き野戦を続けた。大和から遠く離れた戦地。故郷に帰りたいと願う若い兵士たちもいたことだろう。「戦闘に明け暮れる部下たちの郷愁をくんだ労(ねぎら)いの歌だったかもしれない。武将の人間味が響いてくる気がします」

◆朝廷支配に屈せず

 古代南九州に居住した隼人。その名の由来は猛禽類(もうきんるい)の隼(はやぶさ)のイメージ、または敏捷性(びんしょうせい)に富んだ勇猛な性質など諸説ある。

 7世紀後半、隼人が朝貢し、朝廷で相撲を取ったとの記録が日本書紀にある。律令体制を進めていた朝廷は、畿内への移住政策なども用い、隼人をあの手この手で服従させようとしたが、手ごわい抵抗にあった。

薩摩国分寺跡を訪れた中西進さん=鹿児島県薩摩川内市(彦野公太朗撮影)
薩摩国分寺跡を訪れた中西進さん=鹿児島県薩摩川内市(彦野公太朗撮影)
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 隼人の反乱が勃発。県中央部の霧島市の国分平野には、隼人が立て籠もったといわれる断崖絶壁の山城がそそり立つ。乱は1年数カ月に及び、ついに隼人は敗北した。

 市街地の公園整備された小高い丘には、征伐された隼人の霊を慰めたとされる隼人塚がある。平安末期の仏教遺跡といわれ、3基の石塔と4体の石像が鎮座する国指定史跡だ。そして隼人の首塚があったと伝わる田園の中にも、石碑がひっそりとたたずむ。

 「ぽつんと残る碑が怨念の塊のように見えます」と中西さん。

                   ◇

 □隼人(はやひと)の名に負(お)ふ夜声(よごゑ)いちしろくわが名は告(の)りつ妻と恃(たの)ませ 巻11-2497

◆国づくりの道険し

 万葉集には、隼人が登場する作者不詳の歌がある。隼人の声は魔物を払う力があるとされ、吠声(はいせい)を上げながら宮廷を警護する任務を負っていた。そんな隼人の屈辱の声も、都人には物珍しいものでしかなかった。

 《隼人(はやひと)の名(な)に負(お)ふ夜声(よごゑ)いちしろくわが名(な)は告(の)りつ妻(つま)と恃(たの)ませ》 巻11-2497

 隼人の大きな夜警の声のようにはっきりと私は名を告げました、妻として私を頼りにしてくださいと。

 当時、女性が自分の名を明かすのは、結婚の承諾を意味したとされる。しかもこの場合、名だたる隼人の夜警のように大きな声で名のったというのだ。「だから私を妻として信頼してください、という男性の求婚に応えた歌ですね」

 律令国家を目指す大和朝廷は、日本列島に円を描くように統治の範囲を広げていった。その先々に、万葉集の歌が生まれた。

最南端を詠んだ万葉歌に登場する海峡「黒之瀬戸」を眺める中西進さん。激しい潮流と隼人の勇猛さが重なり合う=鹿児島県阿久根市(彦野公太朗撮影)
最南端を詠んだ万葉歌に登場する海峡「黒之瀬戸」を眺める中西進さん。激しい潮流と隼人の勇猛さが重なり合う=鹿児島県阿久根市(彦野公太朗撮影)
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 最果てに詠(うた)われた万葉歌をたどって巡った、唐や新羅の侵攻に備えて防人(さきもり)が配備された国境の島・対馬、蝦夷(えみし)の地と境を接した東北、そして隼人の住んだ南九州。外国の敵と対峙(たいじ)し、反政府勢力ともいえる民と激しい戦いを繰り返した辺境の地だ。

 旅を終え、「最果てに生きる緊張感と覚悟、吸引力と発動力のようなものを、風土と歌の中にとらえることができました」と中西さん。「それに守られるように、平和な愛や恋を詠った歌が存在していたのですね」

【プロフィル】中西進

 なかにし・すすむ 昭和4年、東京都出身。東京大学大学院博士課程修了。高志の国文学館長(富山市)、国際日本文化研究センター名誉教授。比較文学の手法で分析した万葉集研究は、「中西万葉学」とも評されている。著書に『万葉と海彼』『大伴家持』『中西進著作集』など多数。平成25年、文化勲章。

<鹿児島>

 8世紀初頭、現在の鹿児島県西部に薩摩国、東部に大隅国が成立。それぞれに国府、国分寺が置かれた。万葉集の主要編纂(へんさん)者である大伴家持(おおとものやかもち)は、薩摩国の国司に任命されている。国府が置かれた薩摩川内市には、家持の像や万葉歌碑が整備されている。

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